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コーチ物語 クライアント31「命あるもの、だから」その2

「あ、あの……」
 恐る恐る、背の高い男性に声をかける。
「ん、どうしたんだい?」
 見ると、その男性の腕に抱かれていたのは……
「あーっ!」
 思わず声を上げてしまった。なんと、あの、まだ名前もつけられていない白い子犬がその男性に抱かれているじゃない。
「あ、この犬? ボクがジョギングしていたら見つけちゃって。どうやら捨て犬みたいなんだけど。この犬のこと、知ってるの?」
 私は一瞬迷った。本当のことを言おうか。しかし、私が捨てたって思われるのがなんだか嫌だった。けれど、この男性、私の心を見透かしたかのような言葉をかけてきた。
「ほら、君に甘えたがってるよ。君の事が好きなんだね」
 そう言って私にその子犬を抱かせようとする。私は思わず子犬に手を伸ばし、そして思いっきり抱きしめた。さらに頬ずりまで。
 すると子犬は私の鼻をペロペロと舐めてくる。
「やはり、君の子犬だったのか。何か事情があって飼えなくなった。そうじゃないかな?」
「えっ、ど、どうしてそれが……」
「そんな感じがしたんだよ。だって最初からこの子犬を見る目が違っていたからね。とても愛情を持った目でこの犬を見ていたから。犬を捨ててしまったけれど、気になって早い時間に家を出てきた。そんなところじゃないかな?」
 あまりにも図星だったので驚いてしまった。その後、持って来たパンを子犬にあげながら私は家で起こったことをこの男性に話した。
「そうか、お母さんが反対しているのか。けれど、このままじゃ保健所に連れて行かれちゃうかもしれないな」
「保健所……そのあと、どうなるんですか? 保健所で飼ってもらえるんですか?」
「残念ながらそうはならない。二週間ほどは保護するんだけど、その間に里親が見つからなければ……」
「見つからなければ?」
「かわいそうだけれど、ガス室に送られることになる」
「ガス室って……それって、殺しちゃうってこと!?」
 男性は黙って首を縦に振る。まさか、そんな。こんなにかわいい子犬なのに、こんなにかわいい命なのに。そんな、そんな……
「そうならないためにも、この子犬を飼ってくれる人を探さないと。けれど、ボクのところも難しそうだからなぁ。一時預かりくらいならできるかもしれないけれど」
「お願いします。ぜひ少しの間でいいから、この子犬を預かってもらえないでしょうか? その間に私がなんとかして、この子犬を飼ってくれるところを見つけますから。お願いします、おねがします」
 私は何度も何度も頭を下げてお願いした。男性も少し困った様子ではあったが、最後は笑顔で私のお願いに応えてくれた。
「ボクのところはここだから」
 そう言って教えられた場所。この花屋さんなら知ってる。そこの二階なのか。その人は羽賀さんという、コーチングっていうコンサルタントをしている人ということ。
「今日の夕方ならここにいるから。子犬に会いにおいで。あ、それまでにこの子犬に名前をつけないと」
「名前……それはやめておきます。だって今私がつけちゃったら、新しい飼い主が困るから。それに、名前をつけると別れるのがつらくなりそうだし」
「そうか、まぁちょっと不便だけど、便宜上子犬ちゃんと呼ぶとするか。よし、子犬ちゃん、しばらくボクのところにおいで」
 羽賀さんは私に抱かれた子犬ちゃんを引き取る。私もそろそろ学校に行かなきゃ。そしてなんとかして飼ってくれる人を探さないと。
 この日、私の頭のなかは授業どころではなかった。今まではクラスメートだけにしか話をしていなかったけど。もっと範囲を広げてみよう。まずは先生あたりに声をかけてみようかな。
 昼休み、私は担任の先生を捕まえて早速小犬ちゃんのことを伝えてみた。もちろん写真を見せて。
「ね、先生、どう?」
「うーん、かわいいんだけど、残念ながら我が家には一匹いるからなぁ」
「じゃぁ、他の先生は?」
「そうねぇ、まぁ聞いておくから」
「じゃぁ、写真先生に送るね」
 早速先生に写真を送って、子犬ちゃんの飼い主を見つけてくれることに期待。私は他にも別のクラスの友達にも話を持ちかける。けれどなかなか飼ってくれるようなところは見つかりそうにない。
 放課後、生活指導の石垣先生に呼び出された。何だろう? ひょっとして子犬ちゃんを飼ってくれる、とか?
 生活指導室に向かうと、石垣先生が険しい顔で私を迎えた。
「進藤、お前、子犬を飼ってくれる人を探しているということだな」
「はい、石垣先生飼ってくださるんですか?」
「バカモン! 学校はそんなことをする場所じゃない! 犬のことにばかり気を取られて、授業を全然聞いていないようじゃないか!」
 石垣先生の激が飛ぶ。この先生、独身の35歳。彼女募集中の社会の先生なんだけど。体育会系でマナーとか生活態度にはとても厳しいことで有名。残念ながら今回はお小言をもらうこととなった。
「そういう犬はさっさと保健所にでも引き取ってもらえばいいんだ。面倒なことは手放しなさい!」
 その言葉に私はムカッときた。
「先生、保健所に引き取られた犬がどうなるのか、ご存知なんですか!」
「そんなもん、保健所の人がどうにかするんだろうが」
「二週間、引き取り手がいなかったら殺されちゃうんですよ。あの子犬だけじゃなく、みんなそうやって殺されちゃうんです。それって私たちが飼えなくなったから捨てたっていう、人間の身勝手で放置された犬までそうなっちゃうんですよ。そんなことさせられるわけないじゃないですか!」
 私はすごい剣幕でそう言ったものだから。石垣先生のほうが圧倒されてしまった。
「わかった、わかった。進藤、お前の言い分もわかった。けれど、それが現実なら仕方ないじゃないか。おまえだってその子犬を捨てたんだろう?」
 そう言われると何も言葉を返せない。そうなんだ。あのとき私がかわいいからって連れて帰ったあの子犬ちゃん。そもそもそこから間違いだったのかもしれない。けれど、私があのとき拾わなかったら、あの子犬ちゃんは今頃すでに保健所の檻の中だったのかも。いや、ひょっとしたらもっといい人に拾われていたかもしれない。
 私の選択は間違っていたのだろうか? そんな思いがグルグルと頭のなかで駆け巡り始めた。そして気がついたら、私の目には涙が……。
 ぐちゃぐちゃになった思いのまま、私は子犬ちゃんのもとへと足を運んだ。その足取りはとても重たい。

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