コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」16.信成万事 後編
「憂いをなくす、か。それができれば苦労はしませんよね」
羽賀さんの言葉は意外なものであった。先程までの言葉からすると、憂えれば崩れるということなので憂いをなくすいい方法があると思っていたのだが。
「じゃ、じゃぁ、どうすればいいんですか? 憂いをなくすことができなければ、私はどうしようもないじゃないですか」
思わず叫んでしまった。今の自分に必要なのは、いかにして憂いをなくすかということなのだから。
しかし、羽賀さんの答えはさらに私が予想もしなかった、意外なものであった。
「濱田さん、もう一度お伝えしますね。信ずれば成り、憂えれば崩れる。今の濱田さんには、後半の部分しか伝わっていないと感じました」
後半の部分しか、つまり前半の部分に目を向けろ、ということなのか。
「信ずれば成り……つまり、信じなさい、ということ……」
「はい、ボクはそう思っています。人はどうしても不安をいだいたり恐れを抱くものです。それを取り除こうとすればするほど、さらにそこに対しての不安や恐れが大きくなっていきます。それよりも目を向けて欲しいのは、信じること。そこなんです」
「信じること……信じること……じゃぁ、私は何を信じれば……」
「何を信じればいいと思いますか?」
羽賀さんから言われて、私はさらに自問自答を繰り返す。だが、その答えは既に見えている、わかっている。それを口にだすのが怖い。
怖い、それは憂い。憂いはなくすことはできない。できるのは信じることだけ。だったら信じればいい。自分の思った答えを。
「羽賀さん、わかりました。信じてみます。自分自身を、私のことを」
「はい、ぜひそうしてください」
ここでいつもの羽賀スマイルが登場。この笑顔を見ると、なんだか自信が湧いてくる。うん、これでいいんだっていう勇気に変わっていく。
この日の夜、私は北川さんと一緒に作業が終わった工場のラインを訪れた。
「じゃぁ、早速検証作業から入ります」
北川さんの前で、ダミーの製品をセットしての実験から開始。すると、最初の方は十回に一回ほど、宙を飛ぶ事象が起きていたのが、徐々にその割合が増えてきた。
「なるほど、そういうことか。けれどおかしいなぁ、プログラムミスなら毎回こんな現象が起きてもいいはずだけど。徐々に増えてくるというのは、どこか別のところに原因があるに違いない」
北川さんはラインのあちらこちらをいじり始めた。一番気になっていたのが、この治具を作動させているエアライン。圧縮された空気を送り込むことで、小さなピストンを動かして作動させている仕組みになっている。その空気が送り込まれているチューブを一本ずつ丁寧に確認する北川さん。私は別の観点から、そうなる原因がないかを確認する。
こういった作業は、かなり地道なものになる。どこに原因があるのかを追求しなければ、対策の打ちようがない。けれど、その原因が見つからない。見つからないと、だんだん不安になる。
ひょっとしたら根本的な設計が間違っているんじゃないか。そもそも、こんな装置は本当に必要なのか。考えれば考えるほど、悪い方向へと向いてしまう。
「信ずれば成り、憂えれば崩れる、信成万事です」
ふと羽賀さんの言葉が頭をよぎった。いかんいかん、自分を信じなければ。そして仲間である北川さんを信じなければ。
信じる、といえば私は羽賀さんのことを信じきって頼りにしている。実際、羽賀さんのおかげでいろいろな問題、課題を次々とクリアしてきた。特に、父との関係、これについて修復できたことは大きい。
私も羽賀さんのように、周りから信頼され、頼られる存在になりたい。そのためには、周りから信じてもらえる、そんな行動を起こさねば。
今がまさにそうだ。西谷工場長からは、私に任せたという言葉をいただいている。つまり、私を信頼してくれている証拠だ。だからこそ、まずは自分の力を信じて行動をせねば。
そう心に言い聞かせて、再度ラインを見て回る。念のため、私も北川さんが確認したエアラインを確認する。
「んっ? なんだこれは」
私が気になったのは、この治具がセットしてあるところとは全く別のエアライン。ある箇所で妙にエアチューブが重なっているところを発見した。
「北川さん、ちょっと」
「えっ、どうしたんですか?」
「これ、見てください」
「うぅん、ねじれは発生しているけど、あの治具のラインとは直接関係ないところですよね」
「でも、ちょっと気になるんですよ。北川さん、あの治具を動かしてもらっていいですか。私、ここで確認してみますから」
「オッケー」
北川さんは試験的に取り付けた治具を作動させる。私はそのときにねじれたエアチューブを観察する。すると、妙なことに気づいた。エアチューブが重なっているところ全体が徐々に膨らんで、そして突然風船がしぼむように小さくなる。
ちょうどそのとき、北川さんが作動させた装置にセットした製品がはじけとんだのを確認できた。
「北川さん、やっぱりこことその治具、関係していそうです。何度か動かしてもらっていいですか?」
「わかった、じゃぁ動かすよ」
やはりそうだ。エアチューブの重なりがしぼむタイミングで、不具合が発生する。間違いなくこれは連動している。けれど、どうして?
エアチューブの重なりをていねいに広げていくと、一本妙なものを見つけた。
「こいつか!」
それは他の素材とは違うチューブで、耐圧性があまりなさそうなもの。こいつが風船のように膨らんでいたのか。よく破けなかったな。
おそらく、何らかの緊急処置で、手近なサイズの合うチューブを取り付けていたのだろう。けれど、これを正しい物に変更せずにそのまま使っていた。結果、これが邪魔をして、他のラインに影響を及ぼしていた。そうに違いない。
北川さんを呼んで事象を説明。そして、このエアチューブを正しい物に交換。その後、ふたたび治具を作動させる。
「よし、二十回を超えた。今のところ誤作動なしだ。このまま百回まで作動させて見るぞ」
北川さんの言葉は、自信にあふれるものであった。手応えを感じていたからなのか、それとも原因がはっきりしたからなのかはわからない。私もさっきまでの不安はどこへやら。このまま百回まで、何の異常もなしに動作してくれるという自信はある。
「よし、百回! 全く問題なしだ。それにしても濱田さん、よくこんなのを見つけたよなぁ」
「きっと見つけられる、そんな自信があったからです。私の知り合いから教えてもらいました。信ずれば成り、憂えれば崩れる。不安が襲ってくることを怖がるよりも、自分のことをしっかりと信じていくことの方が大事だって」
「そうだよなぁ。自分を信じろ、か。うん、なんか今の言葉で忘れていたものをまた思い出したよ。オレたちがつくった特許商品、こいつは間違いなく二人の自信作だ。きっと買ってくれるところは現れる。だから、これからも自信を持って、新しい物を開発していこう」
「はい、がんばりましょう!」
私と北川さんには、ここで自信という確固たるものが生まれた。不安だから失敗する。自信を持てば成功する。よし、やってやるぞ!