見出し画像

コーチ物語 クライアント34「同じ朝日を」その4

「羽賀先生、ちょっと私が考えたものを見てもらえますか?」
 一人の男性が手を挙げて質問した。これを機に、私も、私もと手を上げ始める。それだけ、自分の思いが正しいものなのかに不安があるのだ。
 もちろん、私も同じ。
「羽賀先生、私もお願いします」
 みんなに同調して、私も手を挙げて羽賀先生からの理念の言葉のチェックをお願いした。すると、羽賀先生はこんなことを言い出した。
「きっとそうなるだろうと思っていました。そもそも、理念の言葉は一人で作ってはダメなんです。まずはご家族、そしてみなさんの周りの方に意見を聞いてみてください。このときに、相手から言われたことをそのままメモをとってきてください」
「それって、次回までにですか?」
「はい、そうです。次回までの宿題となります。あ、一つだけ注意点があります。ご家族や周りの人に見せたとき、自分の思いとは違う意見を言われることもあるでしょう。そんなときには、決して腹を立てず、その言葉をそっくりメモをするようにして下さい」
 今の羽賀先生の言葉は意味深だ。でも、腹をたてるなんてこと、あるのだろうか?
 なにはともあれ、第一回目の講義は終了。私は家路につくことにした。
 家に帰ると、妻は相変わらず部屋に閉じこもったまま。しまったな、理念の話を妻にしないと。羽賀先生の宿題ができないじゃないか。さて、どうしたものか。
 この日は悩みながら床につくことになった。だが、妻のことが頭から離れずに、なかなか寝付くことができない。
 ここは妻に謝るべきか。けれど、謝ったところで私が独立をしたい気持ちは変わらない。
 ここでふと思い浮かんだのは、羽賀先生の顔。確かコーチングをやっている先生だったな。だったら、先生のコーチングを受ければ、何かヒントを得られるかもしれない。よし、明日思い切って羽賀先生にコーチングをお願いしてみよう。
 そう思った瞬間、私は気がついたら夢の中にいた。
 翌朝も、いつもと同じような感じ。食事の準備がしてあり、メモに「今日は何時ですか?」とだけ書いてある。
 やれやれと思いながらも、今日は六時には帰ってくると書こうとした。が、ひょっとしたら仕事が終わってから羽賀先生に会えるかもしれないと思い、こんなふうに書いた。
「仕事の帰りに人に合うかもしれないので、はっきりわかったら連絡します」
 妻からすれば、夫の帰りがわからないので食事の準備が面倒だと思うだろう。だから、昼までにはどうなるかをはっきりさせないと。
 そう思いつつ、私は朝ごはんを食べて家を出た。
 九時過ぎ、もうそろそろいいだろうと思って羽賀先生に電話を入れてみた。電話番号はいただいた講師プロフィールに記載してあったし、いつでもご相談くださいという言葉もあったから、安心して電話をすることができた。
「はい、羽賀です」
「私、昨日の創業塾でお世話になった北川と申します」
「あ、昨日の受講生の方ですか。ご受講いただきありがとうございます」
「実は、創業についてどうしても羽賀先生のコーチングを受けたくてお電話をしたのですが」
「創業について、ですか? 具体的にはどのようなことで?」
「実は、創業するために早期退職を考えているのですが。妻がそれに反対していて、なかなか納得してくれなくて。昨日の宿題で、理念を家族に話して下さいってあったじゃないですか。それもできない状態なんですよ」
「なるほど、そういうことですね。ということは、今はまだお勤めなんですね」
「はい。なので、コーチングを受けるとしたら仕事が終わってからになるのですが」
「そうですね……ちょっと待って下さい、スケジュールを確認しますので」
 電話口で聴く羽賀先生の声。昨日も感じていたが、とても穏やかで話しやすい人だ。この先生なら信頼できそうだ。そう感じた。
「お待たせしました。今日なら十八時から一時間ほど時間は空いていますよ。えっと、お勤めはどのあたりですか?」
「はい、港近くの工業団地内になります。あ、場所はどこでも伺いますよ。仕事は五時半までですし、車で通っていますので」
「それでしたら……港公園のそばにある喫茶店、シーサイドはいかがですか?」
「そこなら会社からすぐですから。では十八時に喫茶店シーサイドにうかがいます。よろしくお願いします」
 これでコーチングを受けることは決まった。ちょっとワクワクしてきた。一体どんな答えを導いてくれるのだろう。妻には早々に、帰りは19時半くらいになることをメールした。返事はないが。
 この日も、早期退職に向けての引き継ぎの仕事がほとんど。もう私の思いを止めることはできない。このまま起業に向けてまっしぐらだ。
 五時半になり、私はすぐに帰り支度を始めた。すると、部長が私に声をかけてくる。
「北川さん、ちょっと折り入って話があるんだけど」
「え、今からですか?」
「時間はとらせないから」
 まぁ、待ち合わせの喫茶店シーサイドまでは、車で五分もかからないし。少しくらいならいいか。
「六時から待ち合わせがあるので、少しだけなら」
「じゃぁ、あっちで」
 わざわざ席を移動しなければいけない話とはなんなのだろう?
 部長はミーティングルームに私を誘導する。そして席について、少し目を逸らしながら話し始めた。このとき、嫌な予感がした。
「北川さんの早期退職の件だけど、もう少し延ばしてくれないかな」
「伸ばすって、ど、どうしてですか?」
「実は、今度取引先の四星商事の監査が入ることになって。今、四星商事では取引先の見直し業務を始めた。見直し業務といえば聞こえはいいが、いわゆる事業仕分けだ。我が社としては、大手の取引先を失うわけにはいかない」
 それはよくわかる。四星商事は最大級の商事会社で、我社の一番のお客様でもある。だが、私たちの業界も競争が激しく、コスト競争になりつつある。しかし、我社の製品は他では真似できない品質を保っているので、それに見合う仕入れ価格を提示している。
 が、噂に聞いたことがある。どうやら外資系の企業が、我社と同等の商品を売り込んでいる、ということを。
「なんとか監査を乗り切り、四星商事に取引を継続してもらわないとけない。そのためには北川さん、あなたの力が必要なんです」
 そう言われて、私の心は揺らぎ始めた。私を頼りにしてくれるのはありがたい。だが、私には私の夢がある。さて、どうすればいいのか?
「部長、そのお返事は明日まで待っていただけますか?」
「ぜひ頼む」
 私はこういうのに弱い。さて、どうしたものか……。

いいなと思ったら応援しよう!