コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第六章 決断した男 その2
「ここだ」
ひろしさんは自分のビルの二階を指さしてそう言った。
懐かしい景色だ。この街に来るのは十五年ぶり。街の中心街は大きなビルが建って変わってしまったが、このあたりの街並みはほとんど変わっていない。
「じゃぁ行こうか」
そう言ってひろしさんは私を羽賀さんのところへと案内してくれた。
朝、長野を出てもここに到着したのは夕方。私は今まで俗世間からどれだ遠ざかっていたのだろうと実感してしまった。そしてこの十五年間の空白を今から埋めるのだという決意を込めて、一歩一歩階段を踏みしめて上がっていく。
「羽賀ぁ、ついたぞ」
ひろしさんがドアを開くと、そこには長身でメガネをかけた男性が待っていた。この人が羽賀さんか。
「お待ちしていました。どうぞ中へ」
事務所の中には羽賀さんと若い女の子が二人待ち構えていた。そのうちの一人はなんとなく見たことあるような顔だ。
「おじさん、久しぶりです」
その見たことある顔の女性が私にそう言ってきた。改めてその顔を見てびっくりした。ひろしさんの奥さんそっくりじゃないか。
「あ、もしかして舞衣ちゃん?」
「はい、そうです」
「いやぁ、美人になったなぁ。最後に見たのはまだ小学生だったからな。奥さんそっくりだ。そういえばひろしさんの奥さんは?」
「母は亡くなりました。今は父と二人ぐらしです。といっても、父はすぐにどこかに飛んで行っちゃうので一人暮らしみたいなもんですけどね」
笑いながらそう言う舞衣ちゃん。そうか、奥さんは亡くなっていたのか。
「でも、今はこうやってたくさんの仲間がいるので寂しくないですよ」
舞衣ちゃんのその言葉は強がりではなく、本心からそう思っていることが感じられた。その仲間というのが羽賀さんたちのことなのか。
「羽賀さん、そろそろ私も紹介してよ」
「あ、ごめんごめん。こちらは私のところでアシスタントのアルバイトをしているミクといいます」
「はじめまして、ミクです。よろしくね」
こっちの女性は活発そうな感じだな。まだ若いようだが。
「じゃぁ早速ですが本題に入りましょうか」
私たちはソファに腰を落とす。羽賀さんはホワイトボードの前に立ち、ペンを持ってこう私たちに伝えた。
「今回わざわざ和雄さんにおいでいただいたのには理由があります。私達の手で佐伯孝蔵の次の行動を止めなければいけない。そのような事態になってきたからです」
「それなんですよ。どうして父が羽賀さんの電話で急に気持ちが変わったのか。それを教えていただけないでしょうか?」
息子の雄大がそう言う。それを知りたいのは無理も無いだろう。私は羽賀さんと話をするまではずっと今までの暮らしを続けるつもりだったのだから。
「羽賀さん、それはオレも知りたいな。和雄さんにそのことを聞いても、教えてくれなかったんだから」
ジンさんも同じ思いのようだ。ここに来るまで、私は彼らに何一つ話をしていない。これは、私の口から伝えるよりも羽賀さんの方から伝えてもらったほうが確実だと思ったからだ。
私は今までの経験から、不確実な情報を人に与えることはしないほうがいいと思っている。不確実な情報は混乱を生むだけだからな。
「わかりました、じゃぁ説明しますね」
「その前にお茶をどうぞ」
舞衣ちゃんが突然横から割り込んできた。お茶とお茶菓子を持ってきてくれたのだ。
「ありがとう。まだちょっと緊張感が高いようなので、まずはお茶でも飲んでください。舞衣さんのお茶は天下一品ですよ」
羽賀さんがそう薦めるので、私は早速舞衣ちゃんの入れてくれたお茶に口をつけた。
「んっ、これはうまい!」
思わずうなってしまった。この人生の中で今まで一番美味しいと思えるお茶に巡り会えた気がする。おかげで心の中で張り詰めていたものが一気に解消された気がした。
「えへへ、喜んでもらえてよかった。じゃぁ私は仕事に戻るから。ミク、あとはお願いね」
「はーい」
このお茶のお陰で、場は一気に和やかなものになった。これからの話はかなり深刻なものではあるが、こういう時間も必要だなと感じている。
「じゃぁ説明しましょう」
羽賀さんはペンを握ってホワイトボードの真ん中に「佐伯孝蔵」と書いて丸印をつけた。
「彼は先日、自分の力を日本政府に誇示するために、航空機事故を引き起こしました。これは日本政府の政党が変わったためそこを牛耳るために起こされたものです」
そう言いながら羽賀さんはホワイトボードにその旨を記載していく。
「さらに、先日行われたロシアとの軍事交渉。ここでも佐伯孝蔵は動きました。本来ならば日本側を有利にするために、ロシア側の情報を失敗に終わらせるように動いたのです。これも、自分の力がなければ日本は守れないという脅しをかけるつもりだったようです」
佐伯孝蔵ならやりそうなことだ。私は思わず拳をぐっと握っていた。
「しかしこれについては、リンケージ・セキュリティと敵対する信和商事の有志が立ち上がり、阻止することが出来ました。しかし………」
羽賀さんはここで言葉を詰まらせた。その言葉の続きはジンさんが言ってくれた。
「そこで関わった石塚さん、坂口さん、そして大磯さんは殺されましたけどね。佐伯孝蔵に」
なんと、そんなことが起きていたのか。私の握る拳に、さらに力が入った。
「しかし、日本政府、いや友民党は未だに佐伯孝蔵とは距離を置いています。そこで業を煮やした彼は次の手を打ちに来ました」
「次の手? おい、それは初耳だな」
ジンさんが驚いた表情でそう言う。
「えぇ、私もこの情報が入ってきたときには驚きました。それも昨日ようやく入ってきた情報です」
「それを和雄さんに伝えたのか?」
「はい。この情報はおそらく和雄さんにとっては衝撃的なことですから」
「どういうことだ?」
「今回佐伯孝蔵がやろうとしていること。それは十五年前に和雄さんが動いていたプロジェクトの一つとして計画されていたものと同じ事をやろうとしていたからです」
「そこから先は私が説明しましょう」
いつまでも羽賀さんに説明させる訳にはいかない。これは私が引き起こしたことでもあるのだから。
「十五年前、私は佐伯孝蔵に命令されて航空機事故の計画を立てました。実はそれと同時にもう一つプロジェクトを計画していたのです。その計画は航空機事故が失敗した場合の保険として考えていたものです」
「その計画ってどんなことなんですか?」
雄大が不安そうな顔で私を見てそう言う。私は一度深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「首相暗殺計画です」
自分の口からどれだけ恐ろしいことを言ったのか。それがどういう意味なのか。あらためてそのことを噛み締めていた。
「首相暗殺って………でも、首相を暗殺した所で佐伯孝蔵が有利になるってことはないんじゃないですか?」
「普通に暗殺しただけではそうなる。だが、佐伯孝蔵の一番の強みは何だと思う?」
私は息子の雄大にそう問いかけた。
「佐伯孝蔵の強み………やはり情報を一手に握っている、ということですか?」
「その通りだ。裏を返せば、情報操作などは簡単にできるということになる。さらにその情報を操作すれば、日本の情報を海外に流すことも可能だということだ」
「でも、首相を暗殺することと情報を操作することと、どうつながりがあるのですか?」
息子の疑問ももっともだ。首相を暗殺したところで日本は混乱はするだろうが、それと佐伯孝蔵の情報操作とはつながりが感じられないだろう。が、ジンさんはピンときたようだ。
「なるほど、それが狙いか」
「それがって、どういうことなんだ?」
「お前さんはまだまだ青いな。しかも株をやっているのにまだ気づかないのか?」
「ボクが株をやっているのと首相暗殺は関係するっていうんですか?」
「大アリだ。一国の首相が暗殺されたら、株価はどうなると思う?」
「まぁ、企業によっては大きく変動するでしょうね」
「ただでさえ変動幅が大きいのに、そこに妙な情報が流れ始めたら、日本の経済はどうなる?」
「………かなりの打撃ですね。今円高だと言われていますが、これは日本が評価されているのではなく、欧米諸国の評価が低くなっているだけですからね。そりゃ日本そのものがピンチになる………」
ジンさんの誘導で、雄大もその事の重大さに気づいたようだ。
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