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コーチ物語 クライアント16「落日のあとに」その7

 それからは羽賀さんの協力のもと、計画づくりを進行させた。
 まず、しずえはいま自力で歩くことがほとんどできない。そのため車椅子を使っての移動となる。そうなると車の手配やお店の対応が心配となる。
 まず車については羽賀さんの友達である唐沢さんが協力してくれる人のこと。大変申し訳ないと思い恐縮していたのだが、唐沢さんはこう言ってくれた。
「いやぁ、こっちこそお礼をしなきゃと思っていたんですよ。先日の神島さんのおかげで、コンサルの仕事が一本とれそうなんです。いやぁ、やっぱ情報って大事ですね」
 そう言っていただけるとありがたい。こちらも気持ちよく唐沢さんの協力をいただくことができる。
 そして小料理屋の対応。これが一番の問題点だった。まず思いでの小料理屋がどこだったのか、それを思い出すのに一苦労した。これについても羽賀さんが同行して一緒に探してくれた。
「たぶんこのあたりだったと思うのですが……十年も経つと周辺のお店も様変わりしていますね」
 やはり飲食業界も厳しいらしい。それにあの時に行った小料理屋も結構古かったのを思い出した。ひょっとしたらもう無くなっているのではないだろうか。
「何か特徴は思い出せませんか? そうですね、お店じゃなくて店員とかについてはどうですか?」
「う〜ん、なんとなくですけど。たしか威勢のいい人が包丁をさばいていたのは覚えています。べらんめぇ口調で、途中店主さんと喧嘩しているような感じもありました」
 ここで羽賀さん、何かを思い出したように携帯を取り出し、あるところへ電話をかけ始めた。
「あ、はっちゃん。お店の準備中にすいません。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが……」
 私は羽賀さんが電話をしている間、少しでも手がかりがないかと思い辺りを見回した。ひょっとしてここかな。そう思えるところはあるのだが、洋風の別のお店になっている。やはり潰れてしまったのかもしれない。
 少し落胆していたときに、羽賀さんが大きな声で私を呼ぶのが聞こえた。
「神島さん、いい知らせです! ひょっとしたら大きな手がかりになるかもしれませんよ!」
 何だろう。羽賀さんは笑顔で私に駆け寄ってくる。
「今、ひょっとしたらと思って知り合いの板さんに電話をしたんです。そしたら昔この界隈で板前として入っていた時期があったらしく。もしかしたらさっきおっしゃったべらんめぇ口調の威勢のいい板さんがその人かもしれない」
 確かに大きな手がかりだ。ここからそう遠く無いところにその人のお店があるらしい。羽賀さんと今から伺うことにした。
 私の足の具合もほとんど問題ない程度に歩けるようになった。けれど羽賀さんは私を気遣ってゆっくりと歩いてくれる。その途中、もう一度そのお店の光景を思い出すように話をした。
 面白いもので、羽賀さんと話をする前まではお店の光景がぼんやりとしたものだったのだが。話せば話すほど、細かいところを思い出せるようになってきた。
 その中で特徴的だったのが、カウンターに大きな招き猫が飾ってあったこと。小上がりの座敷には四人がけのテーブルが二つだったこと。そしてそのお店の名物が鯛のあら煮であったこと。
 あのとき、私がカウンターで一人で飲んでいたときに、座敷にいたしずえの友達が私に声をかけてくれたんだった。そして私も座敷に上がって話を始めた。そのときにふすまをはさんで隣の座敷では送別会なのか、ガンバレよ、バンザイの声があがっていたことを思い出した。
「それだけはっきりしていれば大丈夫でしょう。あ、ここです。ここのだるま屋のはっちゃんっていうのがひょっとしたらそのお店で働いていたかもしれない人なんです」
 そう言って羽賀さんは準備中の店に入っていった。
「おっ、羽賀さんいらっしゃい」
「はっちゃん、準備中にすまないね。こちらがさっき電話で話した神島さんです。神島さん、さきほど話をしたお店の特徴をはっちゃんに話してもらえませんか?」
 私はあいさつもそこそこに、さっき羽賀さんと話をして思い出したお店の光景を語り始めた。大きな招き猫、小上がりの座敷が二つ、名物料理が鯛のあら煮。さらに付け加えて、その日に目にした店主との喧嘩とガンバレよ、バンザイの声のこと。勢い良く話しすぎて喉がかわいてしまったほどだ。
「なるほど、それなら一致するなぁ。いやよ、オレも板前としては全国あちらこちらに渡り歩いたからよぉ。一つ一つの店についてはっきりと覚えているところとそうじゃねぇところもあるからな。でもよ、大きな招き猫と小上がりの座敷が二つ、そして鯛のあら煮が名物。そりゃ間違いなく小料理屋の小梅だな。でもあそこは大将が病気になってもう潰れちまったんだよなぁ」
 なんと、計画はここで断念か。私はドッと疲れが出て肩を落とした。
「そうですか……それは残念です」
「でもよ、さっき羽賀さんから電話で聞いたけど、あんた奥さんのために最後の思いでを作りてぇんだろ。だったらこの店でそれをやらねぇか?」
「えっ、このお店でですか?」
「まぁ雰囲気はちぃっと違うだろうけどよ。どっからか大きな招き猫を借りて飾っておくし、鯛のあら煮も用意しておくよ」
 なんというありがたい申し出だろう。さらに当日は車椅子もOKなようにセッティングをしておくとのこと。これで準備はできた。あとは明日のその日を待つだけとなった。
 そして翌日。昼過ぎにはしずえの病室に行き、外出の準備を始める。
「あらぁ、今日は何かいいことあったのですか? とても笑顔がよろしいこと」
 しずえにも私の気持ちがわかるらしい。言われて気づいたのだが、私の顔は終始にやけっぱなしのようだ。けれどそれを隠すこともなく、むしろそのままの気持ちをしずえに伝えたくてこう答えた。
「しずえ、今日は私にとって、そしてお前にとってとても大事な日なんだよ。きっとお前も今から起こることを気に入ってくれるはずだ。楽しみにしておいてくれないか」
「うふふ。それはいいですねぇ」
 私が言ったことが本当にわかっているのかはわからない。けれどいつもよりしずえがにこやかになっているのは間違いない。
 そしていよいよ外出の時間となった。看護師の手伝いもあって、しずえはおしゃれをした外出着に着替えることができた。すっかり痩せこけた頬。白髪の多くなった髪。けれど私にとってしずえはずっと変りない存在であることは間違いない。
「では、行ってきます」
 主治医と看護師に見送られ、私はしずえの車椅子を押して病室を出て行った。外ではすでに唐沢さんが車で待ってくれている。その横には羽賀さんもいてくれる。その存在だけで心強い。
 車の中では、改めて羽賀さんと唐沢さんをしずえに紹介した。
「あらまぁ。それはよいお知り合いができましたねぇ」
 そう言ってにこやかに二人にお辞儀をするしずえ。パッと見た目はとても末期のガン患者で、しかもアルツハイマー病であるとは思えない。それだけに、今のしずえが不憫で仕方ない。もう治らない。あとは時間がくるのを待つだけ。私にしてあげられるのはこんなことしかない。それでいいのだろうか。本当にそれで。何度かそんな思いがこみ上げてくる。
 そうして車は昨日紹介されたはっちゃんのお店に到着。羽賀さんと唐沢さんの手伝いで車椅子に乗せられるしずえ。私は二人にお礼を言って、だるま屋へと足を踏み入れた。
「へい、っらっしゃい!」
 威勢のいい板前のはっちゃん。見ると昨日言った通りカウンターには大きな招き猫が飾ってある。するとしずえが突然こんなことを言い出した。
「あらぁ、なつかしいわね。このねこちゃんのおかげで私いい人と巡り会えたのよねぇ」
 この一言は私にとっては感動ものだ。間違いなく私との出会いのことを言っている。それがわかった。
「さぁ、こっちだ」
 そう言って車椅子をカウンターへと押して行こうとすると、しずえがお座敷の方を向いてこんなことを言った。
「わたし、あっちのほうがいいわ。あっちじゃなきゃいやなの」
 まさか、私と一緒に座敷席で飲んだことを思い出したのか? けれど車椅子から下ろしてお座敷へ上がるなんて一苦労だ。だがはっちゃんは快くそれを承知してくれた。
 ほどなくして羽賀さんと唐沢さんも現れた。はっちゃんから今のいきさつを聞いて、早速二人の協力でしずえをお座敷に上げることに。
 気がつけば、お店は違うけれど十年前のあのときと同じような感じに、差し向かいでしずえと二人になっていた。
 それからあらかじめお願いしておいた料理やお酒を運んでもらい、二人でゆっくりと時間を過ごした。しずえは抗がん剤のせいか、食欲はほとんどなく料理には手をつけていない。お酒も最初だけ口につけただけ。けれど、鯛のあら煮が出たときには目を丸くして箸を手にしてつまみ出した。
「うん、これよこれ。この味なつかしいわねぇ」
 私にとっては奇跡に近い言葉だ。私とのことは覚えてくれている。それがわかっただけでも私にとっては宝のようなことだ。
 そうして二人の宴もいよいよ終焉を迎える時間となった。

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