コーチ物語・クライアントファイル6 私の役割 その1
いつもの朝、いつもの場所。そしていつものように仕事が始まる。私は今日も店頭に飾られたお花からいくつかのものを選び、それをアレンジして飾っていく。これが私の仕事。
フラワーショップ・フルール。ここが私、吉田恵子の勤め先。私よりも一回り近く年下の舞衣さんが店主のこのお花屋さん。舞衣さんのお母さんがやっていたころからここに勤めて、そしてフラワーアレンジメントを行なっている。舞衣さんのお母さんにこの仕事を教えてもらい、技術を磨いて今に至る。これが私の役割だって思って、このお店の役に立ちたくて、舞衣さんの支えになりたくて、その気持ちで仕事を続けている。
「おはようございまーす。舞衣さん、いるかな?」
「あら、羽賀さん。舞衣さんなら配達に出てるけど。何か用?」
ひょっこり現れたのは羽賀さん。ちょっと前にこの店の二階に住むようになった新しい住人。とても優しくて笑顔がステキな男性。まぁ私の旦那さんの次にステキってことにしておこう。
「いやぁ、この前蜂谷さんのお店の件で舞衣さんにもお世話になったし。で、蜂谷さんのお店も改装を済ませて、もうすぐ新規オープンになるから。お祝いとお礼を兼ねて食事でもどうかと思って。あ、もちろん吉田さんも一緒にね」
「わぁ、うれしいっ!」
「吉田さんってお酒はイケるクチですか?」
「どう思う?」
「うぅん、見かけによらず結構酒豪だったりして」
「それは見てのお楽しみ」
「じゃぁ、楽しみにしておくね。でも旦那さんは吉田さんが飲みに行くのって許してくれるの?」
「うん、うちは割りとそういうのは結構行かせてくれるし」
旦那と結婚して五年。幸か不幸かまだ子どもができないから、お互いの時間は自由にしている。
「そういえば羽賀さんってまだ結婚しないの?」
「いやぁ、まだそんなこと考える年齢じゃないし」
「えぇっ、そんな年齢じゃって、もう三十は超えているでしょ?」
「はい、三十三歳になります」
「えぇっ、羽賀さんって私より五つも年下なんだ。落ち着いているからもっと上かと思ったよ」
「えっ、吉田さんってもう三十八歳なの? うそーっ、まだ二十代かと思ってましたよ」
「またまた、お世辞がうまいんだから」
「お世辞じゃないですって。ホント吉田さん若く見えますよ」
「でも、羽賀さんなら世の中の女性が逃さないと思うんだけどなー」
羽賀さん、背は高いしスポーツマン体型してるし、笑顔がステキだし。そして頼りになりそうな感じ。私が独身なら見逃さないけどな。
「いやぁ、結婚って相手がいることですからね」
「相手って、舞衣さんがそうじゃないの?」
「えぇっ、舞衣さんは違いますよ」
羽賀さん、顔を真っ赤にして大慌て。ちょっといじめてやろうっと。
「あれーっ、だって舞衣さん、羽賀さんの晩御飯もつくってあげてるんでしょ。お客さんがきたらお茶を入れてくれるし。この前は洗濯物がどうとかって舞衣さん言ってたから、身の回りの世話もしてくれてるんだって思ったけど」
「あ、いや、別にそういうつもりで舞衣さんと……」
「羽賀さんって、女心を見抜く力には弱いのね」
まったく、羽賀さんって純粋で可愛いんだから。
「でも、舞衣さんがあんなに笑うようになったのは羽賀さんが来てからだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん、舞衣さんはお母さんを亡くしてから、とにかく一生懸命だったから。なんとかしてお母さんが残したこのお店を続けていこうって必死だったの。だから私もなんとか舞衣さんの力になりたくて」
そう、舞衣さんの力にならなきゃ。これも私の役割だもん。
「よし、決めた。なんとかして羽賀さんと舞衣さんをくっつけてあげる。よぉし、久々に燃えてきたぞぉ〜」
「あの……本人同士の意志を無視してません?」
羽賀さんのそんなつぶやきも耳には入ってこなかった。おかげでこの日は、二人をどうやってくっつけるのかで頭がいっぱいになっていた。
そんな私の楽しい気分を根本から打ち壊す出来事が、この日の夜に起きてしまった。
「ただいま……」
「あ、弘樹さんおかえりなさい」
旦那様の弘樹さんのお帰りだ。最近、仕事のほうが何やら大変みたいで、このところ帰りが遅い。今日も十時すぎにようやく帰宅となった。さらに今日はなんだか暗い雰囲気。一体何があったのかしら?
「どうかしたの?」
私は弘樹さんの大好物の肉じゃがとビールをそっと差し出してそう質問した。このとき、弘樹さんの口から笑えない事実が。
「恵子……会社が……つぶれるかもしれない」
「えっ、どういうこと?」
私は弘樹さんのその言葉で、一瞬目の前が真っ暗になった。頭が半分ショートした状態で弘樹さんの言葉を聞いたので詳しいところは覚えていないけれど、どうも最近開発した特許製品を製造しようとしたところ、銀行からの融資が突然ストップして不渡りを出しそうだ、ということらしい。弘樹さんが総務関連を見だしてから、会社全体の雰囲気も数字も上向きだと聞いていたのに……
この日、弘樹さんは大好物の肉じゃがに手も付けずに、頭を抱えたまま朝を迎えることになった。そして翌日、私も弘樹さんもあまり多くを語らないまま、お互いの職場へと足取り重く出勤していった。
「吉田さん、何かあったの?」
舞衣さん、私の顔を見るなり心配そうに顔を覗いてそう聞いてきた。私、よほど暗い顔をしていたみたい。
「いえ、心配かけてすいません」
「吉田さんが元気が無いと、なんだかこっちまで暗くなっちゃいそう。私で力になれるかわからないけれど、よかったら話してくれる?」
舞衣さんの気持はありがたい。けれど、こんなことを舞衣さんに話したところで解決するとは思えない。けれどこの苦しい胸のうちは誰かに話さないと、解消することはないんだろうな。
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