見出し画像

コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その8

「羽賀さんっ」
 私は思わず目の前の羽賀さんに抱きつき、そしてまぎれもなく羽賀さんがそこにいることを再び確認した。
「舞衣さん、心配かけてごめん。ボクはちゃんと帰ってきたから。安心して」
「羽賀さん、羽賀さん」
 私はまた泣き出してしまった。間違いない、羽賀さんがそこにいるんだ。嬉しくて嬉しくてたまらない。
「舞衣さん、もう十分確認したでしょ。さっ、そこまでそこまで」
 ミクが私と羽賀さんの間に割って入った。さらにミクが言う。
「舞衣さんが目を覚ますの、みんなで待ってたんだから」
「えっ、どうして?」
「みんな、羽賀さんがどこで何をして、どうやってここに来たのか。それを聞きたくてうずうずしているのよ。でも、舞衣さん抜きで話しを聞くのも悪いからって、舞衣さんが起きるのをずっと待ってたの」
 そうだ、羽賀さんは飛行機に乗っていたはず。なのにどうしてここに?
 みんなの目線は一斉に羽賀さんに向けられた。羽賀さんもそのことを話さないといけないという気持ちになっていたようだ。
「みなさん、心配をかけて申し訳ありません。体は大丈夫ですから」
「でも、お前飛行機に乗ったはずじゃなかったのか?」
 唐沢さんがまずは質問。
「そうなんだよ。確かにボクは桜島さんと別れて搭乗ゲートまで行ったんだ。その後、トイレに行ったときに信じられないことが起きてね」
「何があったんだよ?」
「突然、後ろから誰かに襲われてね。たぶん棒のようなもので殴られたんだと思うけど。気を失ってしまったんだ」
「気を失ったって? でもなんでお前が襲われたんだ?」
「さぁ、そこはさすがにボクでもわからないよ。ただ、その後どこをどうやって空港から連れ去られたのかわからないけど。気がついたら薄暗い倉庫の中で手足を縛られて放り出されてたよ」
「誰が、何のために羽賀くんを襲ったの?」
「堀さん、それがわかればボクも苦労しないよ」
「じゃぁ、それからどうしたのよ?」
 みんなは続きが聞きたくてうずうずしている。が、羽賀さんはここで一時話を中断。
「その前に、よく考えたらボクはこの数日何も食べてないんだよ。何か食べさせてくれないかなぁ。ボクも安心したら、急にお腹が空いてきちゃった」
 羽賀さんのそのリクエストで、あわえてて食事が用意された。羽賀さんは目の前に並べられた食事をがっつくようにかきこみはじめた。こんなにワイルドな羽賀さんは初めて見たな。
「でよ、それからどうなったんだよ?」
 羽賀さんがひと通り食べるのを見計らって、唐沢さんが続きの話を促した。羽賀さんは水をゴクゴクと飲んで、ようやく話ができる体制が整った。
「とにかくここから脱出しなきゃ。そう思ったんだよ。でも手足は縛られている。幸い目隠しはされていなかったから、周りの状況は把握できたけど。でも物が何一つ置かれていない、廃倉庫って感じの場所だったな」
「で、どうやってそこから脱出したの?」
「堀さんだったらどうする?」
 質問した堀さんが羽賀さんに質問返しをされて困っている。これについては誰一人回答することができない。
「降参。一体どうやってそこから脱出したのよ?」
「ははは、まさかこんなときにこれが役に立つとは思わなかったよ」
 そう言って羽賀さんは靴を脱いで、そのかかとをコツンと叩いた。するとかかとのところが外れ、中から一本の白い物体が出てきた。
「何、それ?」
「セラミックナイフだよ。これを靴底に隠してあるんだ。セラミックだから飛行機の金属探知機にもひっかからないしね」
「でも、どうしてそんなものを?」
 このとき、ミクの表情が一瞬変わったのを見逃さなかった。
「ミク、あなた何か知ってるっでしょ」
 私がミクをギロリとにらんでそう問い詰めた。
「えっ、そ、それは……」
「それはボクから話そう。実はこれ、裏ファシリテーターのコジローさんから授かったものなんだ。近々ボクに何か起こるかもしれない。そのときの用心のためにこれを持っておいたほうがいいって」
「なにか起きるかも知れないって、羽賀さん、何かに巻き込まれているの?」
「ごめん、今はそれはまだ言えない。ただ、ボクも本当にこんな事態になるなんて夢にも思わなかったからね。まぁこのセラミックナイフがあったおかげで、なんとか縛られてた手足のロープを解くことができて。でも相当時間かかったけどね」
「でもよ、警察には駆け込まなかったのかよ。さっさと保護されちまえば、こんな大事になる前に帰って来れただろうが」
「竹井警部、ボクもそうしたかったんだけど。それ以前に連絡の取りようがなかったんですよ。財布も携帯も、とにかく身につけていたものは洋服以外にはすべて取られちゃってたし。おまけに、ボクがいた場所もどこだかまったくわからない状況だったんです。とにかくまずは人のいる場所を探すのに時間かかりました」
「でも、なんとか人のいる場所には出られたんでしょ。一体どこにいたの?」
「それがね、驚くことに隣の市の山奥の倉庫だったんだよ。ボクが自転車の練習に出かけるときに時々通る道に出たときにはびっくりしたよ。でも、北海道からここまでボクをどうやって運んだのか。何のためにそうしたのか。それは全くわからないんだけどね」
 羽賀さんの話は信じられないようなことばかりだった。けれどそれが真実であることは間違いない。
「じゃぁ、羽賀さんの代わりに誰かが飛行機に乗って、そして事故に巻き込まれたってこと?」
「そうなるね。それにしてもびっくりだったよ。まさかボクが乗る予定だった飛行機が事故に遭っただなんて。街なかに出て、街頭のテレビがこの報道ばかりだったからね。ほんとに驚いたよ」
「まさか、あの事故は羽賀を狙ったわけじゃねぇだろうな」
「そんな、偶然だよ」
 そのとき、テレビではさらに信じられない報道がなされていた。なんとこの飛行機事故、偶発的なトラブルとかで起きたのではないらしい。突然貨物室で爆発が起きた可能性があるとのこと。つまり仕掛けられた事故だということを私たちは後から知ることになった。
「じゃぁ、羽賀さんはそこから歩いてここまで?」
「うん、途中で警察に駆け込もうかとも思ったんだけど。よく考えたら自分の身分を証明するものを何一つ持っていなかったし。事情を説明してもにわかに信じてもらえるかどうかわからなかったからね。だから事務所に戻ったんだ。そしたら誰もいないし。そしたら舞衣さんのお店の張り紙にここでボクの告別式をやっているってあったから、あわてて駆けこんできたんだよ」
 なるほど、そういうことがあったんだ。それにしても、羽賀さんは一体どうして北海道で襲われたのか。さらにはなぜ隣の市の倉庫に放り出されていたのか。謎が謎を呼ぶ展開になっているのは間違いない。
 とりあえず羽賀さんは無事に私たちの元へ帰ってきた。これでまた、いつもと同じ生活が始まった。
「舞衣さん、おはよう」
 こうやって朝顔をあわせることがこんなにも幸せなことなんだっていうことをあらためて実感させられた。
「羽賀さん、おはよう」
 私は羽賀さんの朝食を準備しながらふと思った。この幸せがずっと続くといいのになって。このまま何も変わらなければいいのになって。
 けれど、なんだかそうもいかない予感がする。羽賀さんは一体どうしてあんな事件に巻き込まれたのか。今、羽賀さんはどんなことに手を染めようとしているのか。それについては何も教えてくれない。
 でもいいの。今は羽賀さんを信じているから。
「舞衣さん、今日は新しいクライアントさんがくるんだよ。もし時間があったら……」
「はいはい、お茶を入れてあげるわよ。そのくらいだったらお安い御用よ」
「舞衣さん、ありがとう」
 今私にできること。それはこうやって羽賀さんが安心して仕事が出来る環境をつくってあげること。私はそうやって人のお世話をして、その人が喜んでくれるのが一番の幸せなんだから。
 そしてもう一つ、今回のことで羽賀さん自身の過去のことを少し知ることができた。羽賀さんのお母さんはどうやらもうこの世にはいない。そしてお父さんはおそらくは刑務所の中。一体羽賀さんには何があったのだろうか。
 それを知りたい気持ちがあるけれど、でも余計な詮索はしないことにした。羽賀さんが私に話してくれる日がきっとくる。今はそう信じている。
「じゃ、ちょっと出かけてきます」
「はーい、気をつけてね」
 またそう言って羽賀さんは姿を消してしまうかも知れない。でも信じている。必ずここに戻ってくることを。私のところに戻ってくることを。
 それを信じて、今日も私は羽賀さんの後ろ姿を見送った。

いいなと思ったら応援しよう!