コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第三章 真実とともに その3
羽賀さんのコーチング、それは一見すると優しい口調で私に語りかけるものでもあるけれど、内容としてはとても厳しいものであった。
「では坂口さんが本当に欲しかったもの、それは家族とのゆっくりとした時間ということですね?」
「はい。私は家族を愛しています」
「家族を愛している。だからゆっくりした時間が欲しかったのか。本当にそうなんですね」
ここで羽賀さんはにこりと笑って、語尾を上げて私の目を見る。とても穏やかな表情なのに、「そうなんですね」と質問をされると考え込んでしまう。本当にそうなんだろうか。私は家族を愛している。だからこんなことをやろうと思った。いや、それは建前かもしれない。じゃぁ、どうして私はこんなことをやろうとしたのか。
一瞬の間だけれど、そのことを真剣に考えてしまう。それを考えているときには羽賀さんは何も言わない。それがまた怖いのだ。
なぜ怖いのか? 羽賀さんはひょっとしたら私の心の中を全て知っているのではないか。その上で私にこんな質問をしているのではないだろうか。そんな気になってしまう。
だから、自分の中にある正しい答えを見つけなければという気持ちになる。
しかし、不思議なことにそこには脅迫の概念はない。ゆっくり考えていいんだよ。そんなメッセージを感じさせてくれる。
その結果、先程の羽賀さんの問い掛けに対して出した答えがこれだ。
「ゆっくりした時間、これは家族のためじゃない。自分の神経。これを回復するためですね。そうしないと毎日息が詰まってしまう。そうだ、自分の時間を自分に使って何が悪い。そんな当たり前の生活がしたいんだ」
頭で考えてしゃべっているのではない。口から先にしゃべっている。そして自分がしゃべった言葉に納得する。
しゃべり終わった後になぜだか安堵の表情が生まれる。その表情を見てなのか、羽賀さんはこう言ってくれる。
「坂口さん、やっと自分の本音が出てきましたね。さっきの答え、そのときにはまだ構えてた感じがしましたからね」
そうなのか? 羽賀さんが言うのだからきっとそうなのだろう。
こんな感じで、私が一度目に答えた答えに対してはほとんど聞きなおしてくるのだ。けれど、そのおかげで私も自分の心の中にある気付かなかった本音にどんどん気づいていくことができた。
そうして最後に私の口から出た言葉はこうだった。
「私がこれからやること、それは真の仲間づくりです。最大のライバルであり仲間であった石塚さんはもういない。けれどその意志を継いでさらに何かを成し遂げるには仲間が必要です。けれど、今の仲間はまだ真の仲間とは呼べないかもしれない。ひょっとしたら誰かが裏切っているのではないか。そんな思いを持ったままじゃ、この先のことはやっていけない」
私はいつの間にか拳をぎゅっと握り締めていた。
「坂口さん、まずはやるべきことが見えてきましたね。私もその意見には賛成です。やはり、こういうことはチームを組まないとね」
羽賀さんは今までの厳しさの中にある笑顔とは違う、心の奥から私を賞賛してくれる笑顔を送ってくれた。
「でも、そうなるとますます誰を仲間にしなければいけないのか。裏をかえせば、誰が裏切り者だったのかを知る必要があるんじゃないですか?」
一つのことが解決すると、今度はもう一つの疑問が湧いてくる。それがこれだった。
「それなら大丈夫ですよ。おそらく明日には目星がつくんじゃないかな。彼らはそういうのを見つけるのは得意ですからね?」
「彼ら? ジンさんのことじゃないんですか? 他にも誰か仲間がいるんですか?」
「えぇ、企業秘密なので多くは語れませんが。こういった情報を集めることに長けた人間がいますので。それに僕の仲間はそれだけじゃないんです。今日はまだ来ていないけれど、パソコンを使わせたら天下一品のミク。営業コンサルタントとして有能な唐沢。ファシリテーションでは右に出るものはいない堀さん。僕の師匠の桜島さん。そしてセラピストとして独特の世界を持つ由衣ちゃん。自転車仲間で活動的なトシくんと、カウンセラーの勉強をしている妹の百合さん。警察官の竹井警部もいたな。まだまだ信頼できるたくさんの仲間がいますよ」
羽賀さんがとても羨ましく感じた。ジンさんだけでもとても信頼しているなって思ったのに。こんなにたくさんの仲間がいるだなんて。今の私にはとても無理な話だ。
「でもね、大事なのは数じゃないですよ。むしろボクは坂口さんのほうがうらやましいですよ。ライバルでありながら心を開き、そして仲間の志のために死んでいった仲間、石塚さんがいたんですから」
羽賀さんの言葉は私に希望の光を見せてくれた。大事なのは数じゃない。どれだけ信じられる仲間がいるか。その結びつきの強さのほうが大事なんだ。
「羽賀さん、ありがとうございます。でも、私にまた石塚さんのような心から信じられる仲間ができるでしょうか?」
「できますよ。そうなる未来を信じていれば」
羽賀さんの言葉には何の根拠もない。いままでロジックの世界で生きてきた私にとっては、そういうものをにわかに信じることはできなかった。なのに羽賀さんから言われた言葉にはなぜだか安心感を覚える。
このとき気づくべきだった。本当に信頼しあえる仲間に必要な条件というものを。このときの羽賀さんにそのヒントがあったはずなのに。
けれど私はそこに気づかないまま、またロジカルな世界へと身を投じてしまうことになった。
羽賀さんのところを訪れた翌日、私は何もなかったかのような顔で出社。そしていつもと同じような仕事に取り組み始めた。
この日、私は親会社であるリンケージ・セキュリティと打ち合わせの仕事が入っている。実はその打ち合わせの相手が石塚さんを始めとした五人の仲間の一人なのである。名前は大磯司。私たちの中では一番年長者であり、役職も一番上の主幹技師という肩書きを持っている。一般的な会社で言えば部長クラスに当たる人物だ。
実は私は今回の一連の中で、彼が裏切り者ではないかとにらんでいる。そもそも仲間になった経緯が彼だけ異なる。
石塚さんと同じ信和商事の仲間、川崎さんは、石塚さんの同僚で社内でも一番話をする信頼を置ける人物だということで紹介された。そしてリンケージテクノロジーの仲間である兵庫は私の二つ下の後輩であり部下である。彼が入社してからずっと育ててきた信頼できる人間。だからこちらから声をかけてみた。
しかしこの大磯という人間は向こうからこちらにアプローチをかけてきたのだ。それも、今回と同じように打ち合わせの場面で。
「坂口くん、君はなにやらおもしろいことを始めようとしているそうじゃないか」
二人きりの打ち合わせの場面で最初にこの言葉を言われたときにはドキリとした。
「えっ、何のことですか?」
最初はシラを切ったが、大磯はさらにこんなことを言ってきた。
「ここに面白い通信記録があるんだが」
そう言って彼が出したのは、サーバーの通信記録の一部であった。その日付と時間は、私が一番最初に石塚さんと交信を行ったものである。
「普通の人間がこれを見ても何のことだかわからないだろうが。この相手が誰なのか、私はよく知っているよ。なにしろさんざん戦った敵なのだからね」
確かに、この大磯さんも私と同じく信和商事のハッカーと幾度となく対戦をしている人間である。私と大磯との打ち合わせは、その対策がほとんどなのだから。
「大丈夫、何も坂口くんを責めようとは思っていないよ。実はね、私も君たちの仲間に入れてくれないかと思ってね」
これが大磯からの最初のアプローチだった。こちらは弱みを握られている立場なので、断るわけにはいかない。様子を見ながらではあるが、徐々に五人の仲間と引きあわせ今に至る。
だが、大磯の活躍は想像以上であった。我々の連絡がどこかで傍受されないような手段を考えついたのも大磯だし、人工衛星の制御技術をネタにロシアと軍事交渉を行うことをサポートしようと言い出したのも大磯だ。
大磯の存在は徐々に頼れる年長者という立場になってきて、私も彼を頼りにするようになってきた。
さらにありがたい事に、私と大磯は普段の仕事でもこうやって顔を合わせることが多い。表向きは会社側の仕事をしているように見せかけ、実は裏ではこちらの行動を行っていた、というのは何度もある。
けれど、大磯の本当の狙いはなんなのだろうか? 彼は本当に私や石塚さんと同じように、日本のことを考えて行動をしているのだろうか?
一度起きた疑問はなかなか拭えない。その気持を持ったまま、石塚さんが亡くなって初めて大磯と顔を合わせることになった。
「大磯さん、今日もよろしくお願いします」
いつもの打ち合わせ室に通される。打ち合わせ室といっても、応接室や会議室のような場所ではない。そこには所狭しとコンピュータや計測機器が並んでいる。ここでは打ち合わせをしながら、実際にその場ですぐに行動できるような設備が整っているのである。この場所で何度となく石塚さんと戦ったな。そのことをふと思い出してしまった。
「じゃぁ、早速始めよう」
今日の大磯の態度はいつもと何ら変わらないように見えた。私のロジカルシンキングはその態度を「大磯は冷静な人」と捉えていた。
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