コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」6.夫婦対鏡 後編
私はちょっと調子に乗って、妻の紗弓と今まであったケンカや意見の違いについてしゃべり続けた。
例をあげればきりがない。そう思えるほどたくさん妻とは言い合いをしてきた。そのたびに、価値観の違いを感じずにはいられなかった。
私が一通り話し終えると、羽賀さんは一言こんな質問をしてきた。
「そんな奥さんと、また一緒に暮らしたい。そう思っているのですか?」
「えっ、えぇ、まぁ」
「それはどうして?」
「どうしてって……まぁ、そんな妻ですけれど、私のことは理解してくれていると思っています。なんだかんだいいながらも、私のやることには最後は賛成してくれるし。もちろん、私も妻の言うことがもっともだと思ったら、妻のやることには賛成していますし」
「だから、結局はお互いに頼り合っている。そうではありませんか?」
「はい。こうやって離れて暮らしてみて、やはりあそこが私の居場所。帰るところなんだなって、しみじみ思います」
カラン、コロン、カラン、コロン、カラン
そこまで話したところで、けたたましくドアのカウベルが鳴り響いた。
「ご、ごめんなさい。遅くなっちゃって」
駆け込んできたのは妻の紗弓。かなり走ってきたのか、息が切れている。
「紗弓、ど、どうしたんだ?」
「はぁ、はぁ、ちょ、ちょっとまってね」
お店の人が紗弓にお水を差し出した。それを一気に飲み干して、ようやく呼吸が落ち着いたようだ。
「ごめんなさい。ちょっとトラブルに巻き込まれちゃって」
「トラブルって?」
「駅前まで来たところで、おじいさんに道を尋ねられて。まだ時間があるからと思って道案内したら、そこまで連れて行って欲しいって言われて。放ったらかしにもできないし、まだ余裕あるからと思って一緒に歩いていたんだけど」
私は心の奥で、紗弓らしいなと思いながらも話の続きが気になった。
「そしたら、おじいさんが急に苦しみだしちゃって。それから救急車を呼んで、病院にもつきそって、家族にも連絡を入れてってしてたら、こんな時間になっちゃって」
ここまで話したときに、羽賀さんがすごくにこやかな表情を浮かべた。
「濱田さん、奥さんのお話を聞かれて、何か思うことありますか?」
「えっ、思うこと、ですか。ま、まぁ」
「えっ、何かあるの?」
紗弓は私の方を向く。ちょっと睨んだような目つきが怖かったが。別に悪いことではないので正直に話すか。
「実は、私もここに来る前に同じようなことがあって」
そこで、私もオレオレ詐欺に引っかかる直前だったおばあさんの話をした。
「まったく、あなたってホント人がいいんだから」
「そういう紗弓だって同じじゃないか」
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。じゃぁ、ボクから一言だけお伝えさせて下さい。お二人は離れていても、本当に夫婦なんだなって感じました」
「それ、どういう意味ですか?」
「夫婦対鏡、という言葉があります。意味は、夫婦とは一対の反射鏡である、ということ。つまり、自分の心が相手の言動になって返ってくる、ということです」
「ということは、今回似たような出来事が起きたというのも、そういう意味なのですか?」
「はい、ボクはそう思います。お互いに人を思いやる心を持ち、人のために貢献しようという気持ちがある。だからこそ、同じタイミングで同じような出来事が起きたのだ、と」
「でも、私はこの人とは性格が全く違うと思っています。私は家でゆっくりしたいのに、この人はアウトドア派で外に連れ出そうとするし……」
「奥さん、その話、先ほど濱田さんからも聞きましたよ。だからこそ、反射鏡なんだなって感じました」
「さっきと言っていることが違うように思いますが?」
私は羽賀さんの言うことがわからなくなってきた。さっきは同じような価値観を持っているから、同じようなことが起きるのだと言っていたのに。
「そもそも、男性と女性とは正反対のもの、対になっている存在です。いわばプラスとマイナス、陰と陽、光と影。どちらが正しい、間違っているとかではなく、反対の者同士がくっつく。磁石で言うと、S極とN極という反対のものがくっついちゃうのと同じです」
「でも、価値観の違いで離婚する人もいますよね。それに、結婚する前は価値観が同じだと思って結婚したのに」
紗弓の言うことももっともだ。私も結婚前は紗弓と価値観が似ている、そう思って結婚したのに。結婚してから、こうも価値観が違うとは思わなかった。
「だから、結婚なんですよ。結婚とは、一生をかけた訓練の場である、と誰かが言っていました。お互いに自分にないものを認め合い、相手の良い所を高め合っていく。そのための修行の場である、と聞いたことがあります」
「修業の場って……じゃぁ、夫婦って一生辛いことを経験していかないといけないのですか?」
「では、お二人は一緒に暮らしていて、ずっと辛かったですか?」
「いえ、そんなことは。楽しいこともありました」
「だったら、どうやったら楽しくなるのか。それを考えたことは?」
「そこまで考えたことはありません。まぁ、その場のノリというか、雰囲気というか。良いときもあれば悪い時もある。そんな感じでしたね」
私の意見に妻も同意しているようだ。首を縦に振っている。
「では、相手を自分の思い通りに動かそうとしたことは?」
「まぁ、なくはないですが。けれど、結局妻から反発されてしまって」
「私だってそうよ。結局私の思った通りに、あなたは動かなかったじゃない」
「はい、それで正解です。たとえ夫婦であろうと、他人を自分の思いのままに動かそうということ自体、間違いだと私は思っています。大事なことは、まず相手を理解すること、受け止めること。その上で自分の思いとの差を感じ、その差をどうやって埋めるのかを一緒に考えること。このことを、一生をかけて学んでいくのが夫婦だと私は思います」
羽賀さんの言うことは正論だ。今まで反発し合っただけではない。なんかいいなって思った時は、羽賀さんが言ったようにお互いに歩み寄っていたときだ。
相手のことを思い、自分が行動を起こす。それが夫婦で一致した時に、幸せを感じる。
「夫婦対鏡。自分に足りないところを相手が気づかせてくれる。それが夫婦です。私は濱田さんと奥さんであれば、その関係が復活できる。そう感じています」
「あの、そのことなんですけど……」
紗弓が口を開いた。もしかしたら、もうそんな気持ちはない。そう言い出すのかと覚悟を決めた。
「私、この人と離れて暮らしてわかったんです。やっぱり私にはこの人が必要なんだって。この前も太陽のトラブルの件で、どうしようもなくてこの人に連絡を取ろうと思ってしまって。結局、頼りにしちゃうんだなって、あらためて思いました」
「濱田さん、これに対して何か思ったことは?」
羽賀さんも意地悪だな。私の紗弓に対しての気持ちはわかっているくせに。
私はあらためて、姿勢を整え、紗弓の方を向く。そして、紗弓の両手を握り、真剣な目でこう言った。
「紗弓、私もあらためて君がいないことが、どれだけ寂しくて、辛いものかがわかった。こんな人生を歩んでしまった私だけど、また一緒に暮らしてほしい」
紗弓はじっと私の目を見る。目には涙が浮かんでいる。
「……はい」
涙声で、そうやって答えるのが精一杯だったようだ。
こうやって、私の再プロポーズは成功した。このあと、また家族で暮らすための段取りの話に入った。
夫婦対鏡。今まで、相手と価値観が違うからといってあきらめていたところもあったが、羽賀さんのおかげで価値観の違いが必然であることも理解できた。
これから夫婦で、新しい価値観を作っていく。そのためには、お互いに違いを認めたら、相手を責めたり変えようとしたりするのではなく、まずは受け止めることを誓い合った。
「おめでとうございます。じゃぁ、これ、私からのささやかなプレゼント」
そう言ってお店の方から、小さなケーキをプレゼントされた。どうやら私たちが話しているのを感じて、超特急でつくってくれたようだ。
「じゃぁ、せっかくだから」
そう言って、紗弓と一緒になってケーキ入刀。すごく小さな、小さなものだけれど、二人の二回目の結婚式を挙げることができた。こうして私たちは、再び家族となった。
この幸せな気持ちをどうやって維持していくか。これがこれからの私の使命になるな。