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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」15.心即太陽 前編
父の一件から、私の考え方が大きく変わった。あのときに羽賀さんから言われた「反始慎終」の言葉。目の前のことだけに目を向けるのではなく、もともとの志や想いを忘れないようにする。
私はもともと、工場で働く人が楽に、そして楽しく仕事ができるような工夫をこらすこと。これを目指していた。だからこそ、もう一度この気持ちに戻ってアイデアを出し直すことにした。
だが、問題は私一人だけで仕事をしているのではないということ。一緒に仕事をしている設計士の北川さんにも、同じ想いを持ってもらわなければいけない。
さて、どうすればいいのか?
自分一人ではどうやっても良いアイデアは浮かばない。やはりここで頼りにするのは羽賀さんか。思い悩んだ挙句、私は羽賀さんへ電話をかけることに。
「あ、濱田さん」
「あの、羽賀さん、北川さんのことでご相談があるのですが」
「あぁっ、ごめんなさい。私、今日から一週間ほど東北の方へ出張になっていて。しばらく戻らないんですよ」
「え、えぇっ、ど、どうしよう……」
頼りにしたい人がそばにいない。急に不安が襲ってきた。
「濱田さん、一つご提案なのですが。この件、お父さんに相談してみてはどうでしょうか?」
「えっ、父に、ですか?」
「はい。お父さんもそれなりにいろいろな経験をされている方です。きっと力になってくれますよ」
「は、はぁ」
正直、この提案には気乗りがしなかった。前ほどのわだかまりはなくなったとはいえ、すぐに何でも相談できるほどの関係までには戻っていない。けれど、今すぐに頼りになる人は思いつかない。
そのことを察したのか、羽賀さんはこんなことを私に伝えた。
「親を頼ることも、親孝行の一つですよ。特にお父さんは今まで、濱田さん一家に何かをしてあげたくても、してあげられなかったのですから」
頼りにするのも親孝行の一つ、か。まぁ、一人で悩むよりも何か動いたほうがいいかもしれない。
私は羽賀さんにお礼をいい、気持ちを切り替えて父へと連絡を入れた。
「雄一か、どうしたんだ?」
電話口の父の口調は、とてもやわらかく耳馴染みの良い声であった。私はなぜかそこで安心感をおぼえてしまった。
「父さん、実はちょっと仕事上のことで相談があって」
「この前話していた、工場改善のアイデアの件か? 私の知恵でよければ、いくらでも力になるぞ」
ありがたい言葉だ。父の会社は東北の方にあるのだが、あと二、三日はこちらにいるらしい。そのため、時間はゆっくりとれるとのこと。早速待ち合わせて喫茶店で話をすることにした。向かったのは、以前羽賀さんから紹介されたカフェ・シェリーだ。
お店に入ると、父は先に待っていた。
「雄一、こっちだ」
父は昨日よりはにこやかに、私を出迎えてくれた。やはり息子に会うのは嬉しいのだろう。太陽が大きくなって同じような事があれば、私も太陽に力になってあげたいと思う。それと同じ気持ちなのだろう。
お店のオリジナルブレンド、シェリー・ブレンドを注文して、私は早速今の状況を父に話した。
「なるほど、その北川さんにも自分と同じような想いを持って欲しい、ということなんだな」
「そうなんだ。どうすればいいのか。彼は独創的な考え方を持っているからこそ、ちょっと頑固なところもあって。こちらがいいと思っていても、それを素直に受け入れてくれるかが心配で」
父はしばらく腕組みをして考え始める。私は父の言葉を待つしかない。
「希望、そう、希望を持つこと。人は希望を持てば、そこに情熱を感じる。情熱を感じることができれば、人は必ず動いてくれる」
父の言葉は、予想外のものであった。もっとテクニカルな答えをイメージしていたのだが。どちらかといえば根性論っぽいもので、漠然としたもの。ちょっと期待はずれであった。
だが、父はこんな話を続けた。
「私が最初に、お世話になっていた会社の経理業務をお手伝いしたときがそうだった。傍から見れば、日雇いの職人がいきなり経理の話をしだすのだから。うさんくさく見られたものだ」
そういえば、今の仕事にいきついたいきさつは詳しく聞かされていない。私は父の言葉に耳を傾け始めた。
「けれど、私はお世話になったこの会社の危機を救いたい、なんとかしたい。その想いを理解して欲しい。その一心で社長にかけあった。その結果、会社は危機を脱出して私の評判が高まることになった」
父は遠い目をしながら、話を続ける。
「あのとき、私は希望を捨てなかった。なんとかして今の生活から抜け出し、早く家族と一緒に暮らせる日を迎えたい。その希望が私を動かす情熱になり、この情熱が社長の心を動かしてくれた。その結果が今になったんだ」
情熱が人を動かす。そういう人は多い。だが、それを実感するには至っていなかった。けれど、目の前にいる父がその経験を話してくれたおかげで、私の中に一つのイメージが湧き上がった。
「じゃぁ、今私が抱いている想いを、情熱を込めて北川さんに伝えることができれば、きっとわかってくれる。そうですよね?」
「あぁ、きっとわかってくれる。けれど、一度や二度ではわかってくれないかもしれない。私も、経理の仕事をやらせてもらうまでに何度も社長にかけあったから」
すぐには理解してくれないのか。ちょっと難易度が上がったな。
「雄一、ぜひおぼえておいて欲しいことがある。人は上手くいかないから望みを失うのではない。望みを失うからうまくいかなくなるのだ。だから、希望は必ず持ち続けること。これが大事なことだ」
上手くいかないから望みを失うのではない、望みを失うからうまくいなかくなる。私はあやうく間違った方へと引きずり込まれていくところだった。父の子の言葉は、私の心に大きく響いた。
「父さん、ありがとう」
一通り話が終わったタイミングを見計らって、シェリー・ブレンドが運ばれてきた。あの魔法のコーヒーだ。
「ここのコーヒー、すごくおもしろい味がするんだ。まずは味わってみてよ」
「あぁ、ありがとう」
父はそう言うと、シェリー・ブレンドをひとすすりした。すると、みるみるうちに顔色が変わってくるのがわかった。
「えっ、なんだこれ。初めての味だ……」
「どんな味がした?」
「初めての味……いや、違う、懐かしい味といったほうがいい。コーヒーの味じゃない、母さんの味だ。母さんが作ってくれた料理の味がする。不思議なコーヒーだ」
つまり、父さんが求めているのは母さんの味なのか。そこで私は一つのアイデアがひらめいた。
「父さん、よかったら一度うちで夕飯を食べないか。太陽も喜んでくれると思うから」
「あぁ、ぜひそうさせてくれ」
母さんの味ほどじゃないかもしれないが、紗弓の手料理を味わってくれれば、少しは満足してくれるかもしれない。きっと、これが親孝行になるはずだ。そう思いながら、私もシェリー・ブレンドをひとすすりした。