00.私が一千年前の百人一首をラブレターのように作る話
こんにちわ。
グラフィックデザイン、ビジュアルアートディレクターの狸です。🐈⬛
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グラフィックの仕事をしながら、オリジナル百人一首を作っています。
ことばと絵で一千年前の「今」を歌う、をコンセプトに、一千年経っても風化されない人の感情や情景を、「今」のことばに描き下ろし、そこからイメージするイラストを一首ずつ描いてます。
ちょっと待ってちょっと待って。
そもそも百人一首ってなに?難しいよ!となる前に、スーパー簡潔に百人一首を説明すると、「歌かるた」です。
「百人一首」って聞いたことあるけどよく分からないんだよなぁと思っている人も周りに多かったのです。
実際にイメージを聞いたところ、「小学校の時に授業でやったなぁ」とか、「ちはやふるで見たよ!」など、様々な声聞きました。
とにかく古文だから小難しい印象がある、という意見もあり、少し固く捉えられていることもあるんだな、と思ったけれど、声を大にして言いたいのは、百人一首とは一千年前のTwitterのようであり、100首の中に無数に飛び交う「感情」がどうしようもなくJ-POPだ!(私は思う。)
どうして百人一首がJ-POPなのか、私が百人一首に興味を持った話をしたいんだけど、少し長くなるんだけどいいかな。聞いてくれると嬉しいな。
01.友達がいなかった幼少期、百人一首と出会う
私が百人一首にはじめて触れたのは、小学校3年生くらい。
毎年お正月に行くおじいちゃんの家で、分厚くて渋いカルタを手にしたことを覚えている。
大人たちはお酒を飲んでご飯を食べて、子供たちはお年玉はいつもらえるんだろう、と少しお行儀良く待っているようなお正月。
百人一首をする機会は年に1回のおじいちゃん家くらいしかなく、私はお年玉より美味しいおせちより、ご飯タイムが終わった後の親戚のお姉ちゃんが百人一首を広げてくれる瞬間が大好きだった。
その時だけ、私はヒーローになった気分だった。
ひとり遊びだと思っていたけど、今思えば100人の物語が私の遊び相手だった
小さい時から体が弱くて、筋書き通りのようにもちろん友達も居ない幼少期だった私にとって、「百人一首」とゆうものは特別だった。
まず、読手さんのカセットテープさえあればひとりでも遊べる。
ひとり完結できる遊びが好きだった私は、編み物、パズル、エレクトーンなど、1人で出来る遊びを淡々とこなす子どもだった。
百人一首はひとりでも遊べるのだけれど、覚えるたび親戚のお姉ちゃんがたくさん褒めてくれる。それがとても嬉しくて、誇らしかった。
そして数十年経った今やっと気づく。
私は一人で遊んでいたんじゃなくて、時代を超えた100人の歌い手と遊んでいた。そして年に一度必ずどれだけ覚えたかを聞いてくれるお姉ちゃん。
(なんだよ!友達いるじゃないか!わたし!)
02.初めて覚えた歌はお金持ちのおじさんが女性を想う歌だった
100首もあるから、全部覚えることはもちろん難しくて、その中で一首だけすんなりと覚えた歌があった。
何がそんなに気に入ったのか、「いにしえ」というパワーワードに惹かれたのか、そんなことより青空と桜と十二単衣を着たとてもきれいな女の人がいる情景が頭に飛び込んできた。
今でもずっとこの歌が大好きなのは、意味として好きなのか、歌のリズムとして好きなのか、まだ分からない。(そしてきっともっと好きにる予感。)
コンセプトにしている、ことばと絵で「今」を謳う、オリジナル百人一首を作ろう!と思ったのも、この「いにしえの〜」の歌の意味を知りたくなったからだった。
でも現実は思い通りにいかないもので、歌の意味を調べた時、全然思っていたものと違うかった。すこしがっかりしたりもした。
でもその時みた解釈は、誰かがこの歌を訳したものであり、本当の解釈や正解なんて、歌を聴いて感じた自分にあるものだ、と思う。
私が一千年前にタイムリープすることは不可能だ。
(机の引き出しを開けたところで片付いていない文房具が転がってるだけで、当たり前だけどタイムマシンもない)
でも今、まさに今、時を越えて私が存在して、この歌の情景を重ねることが、なんだろう、とても面白く思う。
03.百人一首は一千年前のTwitter
百人一首って一千年前のTwitterのようだ、と思う。
文字制限がある中で自分の感情をフルに出し切って歌う。
57577はとても短い。
その中に溢れる感情や情景が込められている。
恋の歌、孤独の歌、友を想う歌、月を詠む歌、愛しすぎた余り憎しみに変わる歌。
一千年前も、1000年後の今も、人の感情って変わらない。
人と関わる以上傷つき、恋焦がれ、孤独を知り、その心を通して花や風を感じる。
ひとつひとつ読み解いていくと、それはもう、どうしようもなく「歌詞」だった。
その時に聴く音楽が悲しく思えたり楽しく思えたりするように、きっと今の自分が鏡のように返ってくる歌の塊だと思った。
だからこそ受け取り手次第で歌の意味は変わるし、その余白感がとてもJ-POPに似ているなぁと感じた。
百首揃ったものが「アルバム」か!アルバムリリースか!と思った。
そしたら私がやろうとしているのは一千年前のリバイバルツアーか!(そうなのか!?)
なんにせよ、彼らの謡いを無視することは御法度なので、彼らの気持ちを私なりに読み解いた上で、リバイバルツアーをしようとしている。
3024年もきっと人の感情は歌って踊る
一千年という時を超えて「今」に届くと考えると、1000年後、3024年も人間って同じように歌を歌い、言葉を綴り、表現を繰り返していくのか、と思ったら、1000年後の人類もわちゃわちゃと怒って傷つき、愛し合ったりしているのだろうか。
それって素敵!
人間の形をして、心を持って生まれた私たちは、それを全面に出したり出さなかったり、直接誰かに伝えることができなかったとしても、届くことのないラブレターをしたためているような。
やっぱりそれってなんだかとても、嬉しくて少しむずがゆくて、好き。
04.一首つくるたび、心をえぐられる
実はまだ全ての歌は完成していない。
先日第一弾として28種類の歌カードをやっとリリースできた。
一つ一つを読み解いて噛み砕き、一旦自分の心を通して消化し、ことばと絵に描きおろしていく作業はとても面白いけれど、ものすごく心と頭を消費する。
悲しい歌を心に通すときはやっぱり悲しくなるし、思い出したくない恋愛やみじめな思いをした幼少期などを思い出してしまう。
逆に、私が知らない景色だろうなと思う歌や、この感情は知らないぞ!この先の人生でこの歌をもっと理解できる時があったらいいな、と未来に期待をする歌もたくさんある。
嬉しい歌、寂しい歌、全部ひっくるめて人の感情の歌だから、私は今も一千年以上前の彼らに心を踊らされている。
まだ長い道のりではあるけれど、彼らと一緒に作りながら旅をしようと思います。
結局長くなってしまったなぁ、と思ったけれど、ここまで読んでくれた方、とても嬉しく思います。
これから一首一首の物語を記事にアップしていく予定です。
もしよかったら、私と一緒に千年前の彼らと旅をしましょう🐈⬛
狸/(TANUKI・Orie Tamura)