大竹しのぶ『女の一生』@新橋演舞場

栄二が「女性としての欠け」を指摘した時の章介の台詞。
「あれは私たちが、ああしてしまったのだ」というでしょう。
章介の立場、もう少し知りたかった。商家の主人をやり切るために、迷いを断ち切ったけい。それは本当に、けいが「選んだ」と言えるのかな

これは「女の」一生というよりは、商家に丁稚で入った奉公人の立身出世の悲哀劇になってたような。年数を重ねて「けいという女の一生」になっていくのかもしれない。

なんとなく全体が淡々と軽すぎるような気がしていた理由判明。一人ひとりの気持ちはすごく重いのに、家とか立場が当然に優先していく。時代的には当然で、現代だってそんなに変わってやしない。それがこの淡々とした演出で際立ってたように思う。

何もない焼け跡で、けいは「これからの一生」と云ったけど、そういうにはあまりにも歳をとりすぎた。唯一はそこに栄二がいるのが救いだけど。それさえも淡々と描かれていて。
時代とか社会情勢とか個としての思いとかありようとかを凌駕していく。だからこれは現代の物語なんだよね。
この時期は大竹しのぶ『ピアフ』の時期です。あの憑依的な鑑賞体験を期待してしまってた。けど、この淡々とした演出は一時的な興奮でなく、じんわりと後から効いてくる。できれば台本で台詞確認したい。

銀粉蝶のしずと風間杜夫の章介。この二人が、けいに一族を託す。これを断ったり「選ぶ」ことができただろうか。しずに渡された通り、けいはしずそのものになってしずの人生を生きたのかもしれない。だから「女の一生」であって、けいの一生ではないのだ。
歳を重ねるごとにしずそのものになる感じは、必要なことしかしゃべらなくなっていくことと重なっているようにも感じる。

見切れ席だったのが残念。もうちょい良席で舞台に集中したかった。けいの眉の描き方が大きく変わったところなんか正面からみたかった。

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