時期的に忠臣蔵のことであたまいっぱい。 忠臣蔵との出会いはたぶんこれだな。まだ子供だったのに、忠臣蔵と切腹の本を買い漁った記憶が。。。 表の「忠義」にはなんの興味もなく、切腹と介錯と丹田の関係に興味津々だった。ずーっと後にいわゆるボディワークや太極拳、中医に出会うのだけど、理解の源泉がいつもここにあるようにおもう。 そして東海道四谷怪談が表裏をなす話だとわかって、何もかも納得。義士も民谷伊右衛門も。 声高に正義が語られるときには、いつも裏側にドロンドロンの欲望やのっぴきならな
今月の国立劇場、熊谷陣屋らしい。 観劇情報チェックしないようにしてるのに。。。 行きたくてうずうず。 熊谷陣屋、制札の見得は芝翫型が好き。 芝翫襲名の時以来? 芝翫さん、軽薄な色男がよくお似合いで熊谷陣屋みたいなのはどうなのかと思ってた、でもあの軽さがむしろ悲しみを引き立てて狂気を見せるような役割を果たしてるかもしれないなー。 辛気臭い「十六年はひと昔」ではベタでおもしろくもない。 これは確認しに行かなくてはならぬかも。 う”う”う” 高評判にも関わらずガラガラと聞き及び、
すみだトリフォニーにて。「玉三郎」を脱ぎ捨てている時もあるのだと、たおやかに優美に微笑むように、はにかむかのようにおっしゃる。ただ椅子にかけておられるだけなのに、その佇まいの美しく尊いこと。思い出してありがたくて涙が出ます。夢の中の出来事のようなそんな時間でした。 ホールを出て来た時は割と冷静だったのに。電車の中で、じわーっときた。ありがたい時間の中に包まれていたような。 ホールで3階席なのに、お座敷にいるような近さ。玉さまのお気遣いが隅々まで行き届いていた。気がつけばそ
栄二が「女性としての欠け」を指摘した時の章介の台詞。 「あれは私たちが、ああしてしまったのだ」というでしょう。 章介の立場、もう少し知りたかった。商家の主人をやり切るために、迷いを断ち切ったけい。それは本当に、けいが「選んだ」と言えるのかな これは「女の」一生というよりは、商家に丁稚で入った奉公人の立身出世の悲哀劇になってたような。年数を重ねて「けいという女の一生」になっていくのかもしれない。 なんとなく全体が淡々と軽すぎるような気がしていた理由判明。一人ひとりの気持ちは
初俊寛。好色の清盛と俊寛の二役演じ分け、さすがの吉右衛門さま。下卑た清盛のいやらしさ意地の悪さで、俊寛の悲劇が際立つ。かつての錦のボロが一行の品の良さを引立てる。又五郎さんの瀬尾のいい意地悪具合。瀬尾を斬りつけるところこそ見せ場と見えた。 かわいい千鳥。雀右衛門さんはいつも可愛らしく愛らしく、あのようにありたいと願うばかり。思わず、守りたくなるかわいい人。あれなら成経さまも捨てはしないよねぇ。品よく美しい成経さまは錦之助。ひときわの男前であらしゃった。 話としては、俊寛は