忠臣蔵雑感
時期的に忠臣蔵のことであたまいっぱい。
忠臣蔵との出会いはたぶんこれだな。まだ子供だったのに、忠臣蔵と切腹の本を買い漁った記憶が。。。
表の「忠義」にはなんの興味もなく、切腹と介錯と丹田の関係に興味津々だった。ずーっと後にいわゆるボディワークや太極拳、中医に出会うのだけど、理解の源泉がいつもここにあるようにおもう。
そして東海道四谷怪談が表裏をなす話だとわかって、何もかも納得。義士も民谷伊右衛門も。
声高に正義が語られるときには、いつも裏側にドロンドロンの欲望やのっぴきならない事情がある。
そのあたりがよくわかるのはやっぱり歌舞伎。大衆演劇で社会風刺であることがよくわかる。
国立50周年の時には人形振りではじまって、左團次の高師直の嫌なやつぶりが際立ってた。
日付変わりまして、いよいよ討ち入り。
泉岳寺に行こうとしていたけど、断念。無念😭
どんどんどん、どんどんどん
山鹿流陣太鼓 一打ち二打ち三流れ を擬音にするの難しい。
12月師走といえば、忠臣蔵。いわば十四日こそが晦日であって、明けて十五日は、実質的な朔日。まさに夜明け。
そうだ!今更気づくなんて。
どんどんどん、御簾内の太鼓の音は雪!
「大高源吾の頃にも降った」と、『雪の賦 』で中也もうたっておりました。
年の瀬や 水の流れと人の身は
あした待たるる その宝船
雪の両国橋でのこの場面、どんどんどんと雪がつないでくれてた。
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