回避性の私が診療を受けるようになるまで②
昨日の続きです。
昨日書き忘れましたが、このテーマで投稿をするのは、回避性パーソナリティ障害に当てはまる人たちの中で、医療につながっている人が少ないのではないかと想像するからです。
人が苦手なことや新しいことを避けがちなことを、自分が精神的に弱いからだと自分を責めている人が多いのではないかと思ったからです。
回避性パーソナリティ障害は、脳の特性と生育環境の影響であって、決してあなたが人としてダメだからだと思ってほしくないからです。
続きです 。
私は高校を卒業してすぐに就職しました。バブルがはじけた直後で、その余韻もあってか、全国的に名の知れた大企業に就職できました。
学生時代は、ただ心を空っぽにして目立たず騒がず過ごしていれば時が過ぎていくだろうという、家での過ごし方と同じやり方で、学校生活をやり過ごしてきました。
「就職」しても、その方法で大丈夫だと思っていました。
AC味も手伝ってか、そもそも人にも社会にも偏った考え方を持っていた私には、「働く」ということがどういうことなのか、まるでわかっていませんでした。
私が配属されたのは、地元の営業所でした。 所長、副所長、それに先輩事務員さん、その他に40人弱の営業さんがいる事業所でした。
まず、大勢の知らない大人がバタバタと出たり入ったりすることが恐怖でした。元気がないと注意されたり、電話の取り次ぎもまともにできませんでした。
特に、人が見ている前で電話で話すというのも、恥ずかしくて頭に血が上る思いでした。
顧客や営業さん、それに支社の職員たち、大勢の人とコミュニケーションを取ることが必須の業務で、私にとっては毎日7時間、地獄でした。家に帰るとクタクタで、ただ横になってテレビを眺めていました。
この職場では、忘れてはならない大きな出来事があります。今までだれにも言ったことのない、黒歴史です。
営業所では、営業さん達が集金してきたお金を取りまとめて銀行に入金に行くのが日課でした。集金袋に伝票と封筒に入れた現金を入れて、銀行の窓口に持っていくのです。
ある日、窓口の女性に、「これだけ差額が出ました」と、6万円返されました。
私は、そうですか、と返事して、その6万円を集金袋に入れたまま、デスクの引き算出しに戻し、先輩事務員さんにも報告せず、先に帰りました。
今思えば「いや言えよ!!」しかないのですが…当時はそれが大変なことだとは分かりませんでした。
(2024-09-24追記 場面緘黙的な傾向があったことも関係しているかもしれません)
その日私が帰った後、営業所に銀行から電話があったらしく、翌日 私が出勤すると、先輩事務員さんが血相を変えて「昨日のお金どうしたの」と、詰め寄ってきました。当たり前なんですけど(苦笑)
私が「ああ、それならここに」という感じで引き出しから集金袋を出し、開いてお金を見せると、先輩事務員さんは言葉を失っていました。「理解不能」という顔をしていました。
彼女には、私がお金を取ろうとしたのではないということは理解してもらえましたが、銀行の方には、私がポケットに入れたらしいという風に話が伝わっているらしく、次の日からは、入金に行くたび冷たい視線を浴びました。
あの時、一言先輩事務員さんに伝えておけばよかっただけの話です。そもそも計算ミスをしたのは窓口の女性ですし。
ですが、とにかく人に話しかけるハードルが高かった私には、込み入った説明をするなんて、とてもできない、お金は袋に入れておけば別にいいよね、と都合よく決めてしまったのです。
私の世間知らずもあったとはいえ、相手の反応が怖くて話しかけられない、という回避性パーソナリティ障害の特徴は、ここまで社会生活に影響をおよぼすのです。
残りはまた明日に。
なるべくサクッとまとめたいです。