人格障害とは、人格に障害があるということなんだよ
暗い話です。
治ってなんていなかった。
人格障害っていうのは、人格の成長に凸凹があるって言うことだ。
例えば、仮に発達障害が脳のハードの発達の問題なのだとしたら、人格障害は脳のソフトの問題と言えるのかもしれない 。
発達障害の場合は、まだ数値で表せる。それすら完璧でないけれど。
でも、人格の成熟度なんて、そもそも数値化できないし、パラメータだって、どう規定すればいいか、膨大すぎてわからないだろう。
人格は、成長させることが可能と言うけれど、一体どれだけの努力で、どこまで成長できるのだろうか。
「普通」のレベルに達するには、途方もない年月と努力とサポートが必要に思える。
そういう意味では、治療可能とは言えないだろう。
私には、まだまだ成長できてない 人格の側面がある。
だからこうして、50を過ぎて、独身で、子供もおらず、仕事も続かず、未だにお金の心配をしている。
その上、母親の健康問題までも乗っかってきつつある。
今までは、人格の「歪み」なのだと思っていたけれど、そうではなく、人格の「発達不全=劣性」なのだ。
「育ちそこない」「どうしようもない人」それが私なんだ。
「私の能力が活かせる場所がどこかにあるに違いない」なんていう妄想は、さすがにもう続けられない。
少なくとも、この現代社会においては、劣性を抱えた存在として生きていかなければならない。
私はどこかで「普通」なんてつまらないと思っていた。それは自己肯定感の低さの裏返しだったかもしれない。
だけど今、私は、頑張っても「普通」には届かないのだとはっきりと自覚した。
パーソナリティ障害って、うつ病なんかに比べたら、まだまだ全然マイナーだけど、性格と障害の境目も曖昧だけど、確実に障害者なんだな。
だけど、社会は私たちを障害者と認めてくれない。
ただの「出来損ない」「変わり者」「ダメ人間」「社会不適合者」としか見てくれない。だから、福祉にも頼れない。
だけどこれで、あきらめがついた。社会がどう呼ぼうとも、私は「障害者」なのだ。
だから、障害者らしく生きていこうと思う。
この言葉が、読んでいるあなたにどう響くかはわからない。
自分でも、前向きなのか、絶望してるのか、よくわからない。
でも、社会へのアプローチの仕方が変わっていくと思う。
幸い、知的には劣性ではない。知性と人格、どっちが大事かはわからないけれど。
でも、これをどうにか武器にして、やっていくしかないのだ。
なんてことを、この動画を見て思いました。
お読みくださりありがとうございました🤖💭
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?