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子どもが子どもらしくいること

この年末年始、子どもの権利条約にどうやって出会ったのかを思い起こしていました。
教員になったころ、ちょうど日本が子どもの権利条約を批准したので、なんとなく現場に風が吹いていたんですね、今思えば。ささやかな校則の見直し、のようなことではありましたが、具体的には冬場に着るコートが、色に多少の指定は残ったものの普段着ている物でよくなったり、髪の毛を止めるゴムの色が黒一択ではなくなったり。ゆとり教育の頃でもあったので、選択授業が増えたりもしたし、子どもたちの自主的な活動を増やしていこうという流れがあったように思います。不登校についての捉え方も変わり、SCが導入されたりもしました。道徳などで、子どもの権利条約を扱うこともありました。(ここではまだ「遠い国の可哀想な子どものための」条約でしたが。)一方で、中学受験をする子が増えてきたのもこの頃ではないかと思います。地域にもよるのかもしれませんが。私も子育てをするようになり、地域の中で自分の子供より大きい子が中学受験する子を見る機会ができて、「これって子どもの生活としてどうなんだろう?」という疑問を持ちました。小5で土日のない生活って、子どもが望んだとは言うけれど、無理がないだろうかと率直に思ったのです。その後子どもの遊びに関わるようになり、それがら核心に変わります。

遊びの中には、ほぼすべてある

学校で授業として行われるような
毎日友達とやりとりしていれば
コミュニケーション力はそれなりについてくるし、
外で遊べば体力もつく
集中力や工夫することや
失敗からのリカバリー
風の暖かさや木の実が赤くなることで季節を感じることもできる 
もちろん個人差はかなりあるだろうし、
暮らしている環境によっても違ってはくるのでしょうが、
それを差し置いて塾!受験!
お金を払って最短ルートで!
というのが、なんだか辛そうに思えたのです。

また、虐待を受けていたり、家族のお世話をしながら生活している子たちにも出会いました。海外ににルーツがあることで日本での生活に馴染めない子たちにも。いろんな子が子どもらしく育つことを損なわれていると感じました。そう。子どもにはかけがえのない「子供として成長していく時間」があるはず。

そんな中、TOKYO PLAY の学習会で、子どもの権利条約に再会します。その時扱ったのは31条。そう!子どもには休む権利や余暇を楽しむ権利があるんだ!と「国連の人が言ってるんだよ」と、ユーモアを交えて学ぶ会だったのですが、これがよかった。
以来「子どもは休んでいいし、遊んでいいんだよ」をわりと胸をはって主張できるようになりました。
でも、子どもの権利条約自体は本当に知られていないし、「権利」という言葉があまり好かれていないというか、大人たちがそれをどう受け止めていいのかわからないから知らないことにしておく、みたいなことがあるなあとずっと思っていました。

そんなときにふと勤めている学校の生徒が「国連でスピーチしてきた」とか言うんですよ。聞いた時は「へー、すごいね!」くらいの感じだったのですが、某研究会の研修担当をしたことで、後にこれがCRC日本の活動の一環だということがわかったのです。そして、今読書会をしている「子どもの権利条約ハンドブック」の著者の木附先生との出会いにもつながっていったのです。

そんなこんなで、子どもが子どもとしての時間軸の中で成長することを保証できる社会であるには?を考えたい。そんな気持ちで権利条約のことを学び続けています。今回の震災でも、子どもたちの子どもたちらしい時間が守られますように。


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