お金じゃないんだよ、目の前の子どもたちのために〜「ルポ 無料塾『教育格差』議論の死角 おおたとしまさ〜
こんにちは。ざまたかです。
あっという間に明日!となった逆引き読書会のお知らせはこちら。
https://note.com/tantan810/n/n3c0d4317ce41?sub_rt=share_b
ぼっとう&よはくのアッコさんも書いてくださってます。
https://note.com/s_akkojoujou/n/n6eb7f0142d1d?sub_rt=share_b
さてさて。
勤務校には放課後の補習教室がある。リタイヤした先生方がのんびりと教えてくださっていて、なかなかいい感じ。少人数で、自分のペースで、学校の提出物を仕上げるのをサポートしてもらったり、わからないところを質問したり。ちょっとでもわかるようになると褒めてもらって嬉しそうな子も。部活や塾を理由に申し込まない子が多いのがもったい。教えること、学ぶことを商品として売ろうとすると、何か目立つキャッチフレーズをつけたくなるし、意識の高い層にアピールしなくては!みたいな強迫観念も浮かんでくるのだろうけど、勉強って本来地味だし、わかるまでは手間暇のかかるこなのだ。お金じゃなくて、時間を共に過ごすことの大切さというのか。
「ルポ 無料塾『教育格差』議論の死角」を読んだ。子ども食堂がそうであるように、無料塾も単に貧困家庭の子どものために機能しているわけではない。学習に気持ちが向かない、環境がない子どもたちに生活まるごと関わるような、そんな営みだ。食事を共にし、励まし、話を聞き、遊び、共に学ぶ。「9お給料もらってたらできるら仕事じゃない」っていう言葉を
聞いたことがあるけど、その時は「何で?」って思った。でも、こういうことなんだよ、と思った。一方で彼らに学力をつけることが競争を激化することや「自己責任」と言われることを肯定することにつながるのではないか?という不安。それでも目の前の子どもののために、という気持ち。共感しまくりで泣けてくる。
「塾も商売だから」
という言葉を大手の学習塾に通っていた生徒から聞いたのは何年前だろう?「もっと頑張れば偏差値の高い高校に行ける。ついてはこの講習とあの講習をを受けて、、、」みたいなお誘いをされたんだそうだ。全ての塾がそうではないだろうが、不安を煽って優秀な子ほど追い込まれてしまうケースも見てきた。逆に、わからなくても「自己責任」とばかりに十分にケアされないケースもあった。そう、ここでも自己責任。そして教育は産業になっていく。
うまく感想がかけないので、加筆訂正したりするかもしれないのですが、これ!これなんだよ!
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