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嫌われたままで、誤解されたままで。

以前、知り合いと話をしたときに「丹澤くんは嫌われ慣れていないんだね」と言われたことがあった。そんなことに慣れる人はいるのか、と腑に落ちなかったのだけど、最近すこしわかった気がする。べつの友人といやな体験について話をしていたときに「その人のことを許さなくてもいいと思う」そんな言葉が口から出た。本当にその通りで、傷つけられた、理不尽なことを言われた、いやなことをされた、その相手に優しくする必要はない。世間では許しが寛大さや強さの証だと思われることもあるけど、僕はそうは思わない。でもよく考えてみると、それは「許されない人もいる」ということだよな、自分がその対象になることもあるし、実際にもあった。僕はそんなとき相手に許してもらおうと必死に足掻いてしまうタイプで、やっぱり嫌われ慣れていないのだと思う。同じように相手に誤解されているな、と思ったときも必要以上にそれを解きにいく癖がある。自分が悪いことをしたら謝罪をする、間違った認識を持たれていたら訂正をする。それはすべきだと思う。だけどそれを超えて、許しを求めたり、解釈の違いを正そうとするのはただの傲慢な弱虫な気がする。嫌われたまま、誤解されたまま、それは悲しいけど、人生の後半では慣れていく必要があるかもしれない。誰からも許されなくても、生きていかねばならないときもあるので。

犬だけは味方


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