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サイババとミカエルはかく語りき 7

とにかくここ3年間は、体調の急変からさまざまなオルタナティブな治療法の発見と体験を通して、自己の人生の履歴を再生しながら、「わたしとは何者であるのか」という答えのない問いかけを意識の深層まで探しつづけてきた時間であった、と言えるだろう。

その過程で絵を描きながら、その内省プロセスは自我の地層をさらに掘り進めて、無意識層の向こうがわ、彼岸まで掘り進めていくような作業であった。

その最終形の旅としての京都での個展、それにつづくアーユルヴェーダのパンチャカルマへと至ったのだ。

すべての出来事は偶然の必然の連続であり、バラバラに起こる出来事のパズルのピースは、結果的に何枚もの絵となって、「わたしとは何者であるのか」と言う問いかけの抽象化へと昇華されていったのだろう。


そして現時点で理解に至ったことは、「生きると言うことは、死ぬことの反転であり、死んだ先に、生きてきた道程の答えが山塊のように待ち構えている」と言うこと。

若い頃、何冊も翻訳を変えて読み込んだ「チベットの死者の書」を読んできて、感じていたことが一枚の解答用紙になって、目の前に提示されたような気持ちではある。

またそれは昨年観た、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バルド、偽りの記録と一握りの真実』での映像体験によるフラッシュバックで、「生きると言うことは、死ぬことの反転であり、死んだ先に、生きてきた道程の答えが山塊のように待ち構えている」と言う概念が体感として蘇ったとも言える。

そしてさらに今年に入って、百冊は超える読書した書籍の中でもっとも心に引っかかったルドルフ・シュタイナーの著作『死後の星巡り~ホロスコープとは何か』の読書体験へと繋がるのであった。

シュタイナーはもうかなりの著作を読んできたけれど、この本はとても面白い、というか深い。

内容を端折って表すと・・・端折って表さなくても読んでいただいた方が話が早いのだが・・・ -


肉体の死を迎えた意識は・・・つまり魂とは巨大な意識エネルギーの圧力を中心に発生する渦であると言うこと・・「超感覚的な世界がわたしたちらどのように立ち現れるかは、わたしたちが通常の感覚世界から何を持ち込むかによって決まります。

これは重要です。

このことは、超感覚的な世界において、魂にかなりの困難を生じさせる可能性があります。

たとえば超感覚的な世界において、ある人をもっと愛すべきだったのに十分に愛していなかったことに気づくのはひじょうに辛いことでしょう。

その人は自分にもっと愛される価値がある人だったのに・・・この事実は、超感覚的世界に入った者の霊的な視線の前に、物質的な世界ではあり得ないほど強烈に迫ってきます。

さらに霊視者に大きな苦痛を与える別の事柄もあります。わたしたちが死後「物質的な世界にいるときに正しい魂の関係性を持てなかった」と気づいたとしても、超感覚的な世界から引き出せる力では、何ひとつそれを変えたり改善したりすることができないのです。


スピリチュアルな世界から引き出せる力では、何ひとつそれを変えたり改善したりすることができないのです。

スピリチュアルな世界から引き出せる力では、それは正せないのです。

この体験は、物質的な世界で体験するどんなことよりも、はるかに辛いものです。

物質的な世界でしか叶えられないカルマの必要性に対して無力感を持ちます。


この一節は強力だった。

わたしがここの数年間のフラッシュバックで「生きると言うことは、死ぬことの反転であり、死んだ先に、生きてきた道程の答えが山塊のように待ち構えている」と言う概念が体感として蘇ったことで、本当にリアルにこの一節が衝撃をともなって心に刺さるのであった。 

つづく

※画像はpetr valekによるものを転載しました。


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