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家庭内での出来事

(写真は仲が良いのか悪いのか分からない当時の娘たち)

これまでアメリカの学校や授業の様子を書いてきましたが、家ではどうだったのか。昔のことで思い出が曖昧なので日記を読み直してみました。
 
アメリカに来て1年が過ぎようとしてこちらの生活にも慣れ始めていた頃です。学校から帰ると私は次の日の授業の準備をこなすのに必死。長女は毎日同じ時間割の授業の宿題や予習に追われ、次女はその頃は習慣になっていた読書を済ませるとヒマです。そうすると姉妹喧嘩が始まります。
 
きょうだいゲンカというのは何が原因だったか忘れてしまうような些細なことから始まり、しばらくすると当人達は何もなかったように笑ったり話したりしています。それでも時には度が過ぎて母親の介入という事態になります。原因はなんだったか忘れましたが、ある時あまりに長女の態度がひどいので、さすがの私も堪忍袋の尾が切れて、お尻を叩こうとしました。するとひょいと見事に避けられて空振りに終わってしまいました。その時、もうこんな手段では子供に言うことを聞かせることはできないと悟りました。
 
妹は妹で、時には「お姉ちゃんなんか死ねばいいのに」などと恐ろしくなるような言葉を発したりします。私自身は妹と6つも離れていたため喧嘩らしいことをしたことがないので驚くばかり。二人で始めた喧嘩は二人で解決するしかないのでしょう。
 
こんなこともありました。次女の指にイボができた時です。夫に頼んでモグサ(お灸に使う草)を送ってもらいました。次女はイボの上にのせたモグサに火をつけて痛さをこらえながらキッチンの周りを「お父さん大好き、お父さん大好き」と言いながら回っていました。長く会っていない父親に会いたかったのでしょう。今では考えられませんが(笑)
 
もう一つ問題がありました。最初に書いたように知人の18歳の娘さんを同行し、同居していました。高校卒業したてでそれまで面識も無かった私たちとそれもアメリカで同居していたのです。彼女も大変だったと思います。私も当時は自分の娘たちより年上の女の子の扱いに戸惑うばかり。最初のうちは娘たちもお姉ちゃんができたと喜んでいましたし、彼女も末っ子だったので娘たちに慕われるのを楽しんでいたようでしたが、ESLで日本人の友人もできると年の離れた娘達を避けるようになりました。
 
車も運転できるようになり私の車を使わせていたので学校に通う以外はいつの間にか自由に使っていいことになっていました。だんだんほぼ毎晩のように出かけるようになりました。でも私はうまく注意できません。彼女はよく言えば自分をしっかり持っている、悪く言えば頑固なところがあるので私が押し切られてしまうのです。
 
そんなある日彼女が風邪をひいて熱を出しました。アメリカの体温計では摂氏38度は華氏で100度を超えます。まずその数字にびっくり。どうにかしてあげようとしましたが部屋に入れてくれません。どうしていいかわからず薬を買ってこようとしますが、拒否されました。とにかく喉越しのいい食べ物を作って置いて、私達はいつものように学校にでかけました。でも彼女の友人が来るとその友人達は部屋に招き入れていました。明らかに私達は避けられていたのです。
 
何がきっかけだったかわかりませんが、彼女も異国で体調を壊し心細かったと思います。それ以来以前のような関係には戻れませんでした。1年目が終わった時、彼女は他のステイ先を見つけて出て行き、私達は同じアパート内にもっと狭い部屋を見つけて引っ越しました。その頃の日記には娘たちの喧嘩と彼女への心配事ばかり書いています。今で言う私のワンオペ物語です。

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