いよいよアメリカ生活開始!
ようやく入国審査を通過して手荷物受取所(Baggage claim)でスーツケースを引き取って外に出ると、留学センターの現地世話人のY子さんが私達の名前を書いた紙を持って迎えに来てくれていました。それからY子さんの車で私達がこれから住むアパートに直行。5月の空は澄み渡りなぜか解放された気分の30分のドライブでした。
アパートで先ず目に入ったのは真っ青な水を張ったプール。プールは複数の2階建てのアパートの建物に囲まれた中庭のマネージャー室のまん前にありました。柔和な初老のマネージャーは子供好きらしく優しい笑顔で迎えてくれました。部屋の鍵を受け取り、部屋へ。2ベッドルームに2つのバスルーム、15畳ほどのリビングのこぎれいなアパートです。流し、レンジ、冷蔵庫は作りつけ。Y子さんがレンタルしてくれたベッド、ダイニングテーブルと椅子、ソファも揃っていました。洗濯機はなく、洗濯は地下のコインランドリーでします。
口座を開かないと買い物が不便だということで、荷物を解くまもなく銀行へ。当時は買い物の際は小切手を使うのが普通だったので、銀行で小切手を作ってもらいました。なぜなら当時は50ドル以上の大金(?)を現金で払うと疑われたからです。当時は1万円もしない金額が大金だったのです。銀行を出たその足で寝具、最低限の台所用品を買うのを手伝ってくれ、Y子さんは帰って行きました。
その晩から自炊をする為、幸い歩いて7~8分の所にあるスーパーマーケットのSafewayに
行きました。アメリカに到着して初めての買い物です。日本の3倍ほどもある大きさのカートで食料を調達し、レジでお金を払う段階になると“Paper or plastic?”と聞かれました。当時アメリカでは紙袋にするか、ビニール袋にするかを選べたのです。
今はエコの観点から買ったものを何に入れて持って帰るかをレジで聞かれますが、当時はそんな経験がなかったので、大量消費のアメリカで袋のことを聞かれるという事態にびっくりして戸惑い とっさに”Plastic, please” と答えました。(レジ袋はビニール袋じゃなくplastic bagと言うのだともこの時初めて知りました。)当時アメリカでは紙袋がエコだと思われていたようで多くの人が紙袋で持って帰っていました。
また買ったものを車まで運んでくれるサービスもあったので、「車まで持って行こうか?」というようなことを言われましたが意味がわからず???の顔をしていたら”Forget it!”と言われました。後に”Forget it” という言葉が相手に「意味がわからないならもういいよ」という意味を持つことがわかりショックでした。
当時はもう時差が夏時間に変わっていて夜は9時前まで明るいのでゆっくりと買い物ができました。(シアトルは南樺太と同じ緯度なので、夏は日照時間が長いのです)食料などを買い、夫はビールの安さに感激。スーパーの外の公衆電話から日本の家族に電話して第1日目の夜が更けて行きました。
後日Y子さんが2回ほど来てくれ電化製品(TV、ビデオ、電話機、電気スタンド、電気釜)などの買物に付き合ってくれました。日本ではできるだけ子供達にはテレビを見せないようにしていたのですが、テレビは言葉習得に役に立つと言われたので見せることにしました。
近くに最大のショッピングモール(Bellevue mall、当時モールという言葉は知りませんでした)がある事もわかり、必要品を買う主な店の場所も教えてもらい、少し落ち着きました。幸い車で20分くらいの所に日本食料店「うわじまや」もあったので少し高いですが日本食料品の調達もできることがわかりました。カリフォルニア米は意外に美味しいのですね。まだまだY子さんに手伝ってもらうことはたくさんありそうです。