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アメリカで初めての感謝祭とクリスマス

(写真は初めて子供達がそり滑りに行った時の物)

もうすぐアメリカではサンクスギビング、感謝祭ですね。感謝祭は毎年11月の第4木曜日に行われます。木曜が休日になると金曜だけ出社するのも、ということで木、金、が休みの所も多いですが、金は厳密には祝日ではないので休日手当を支払わない所も多く、最近は働く人も多いようです。ちなみに感謝祭は16世紀にイギリスからアメリカに渡ってきたpilgrim(ピルグリム)と呼ばれる人たちが原住民が秋の収穫を感謝して行った事が由来です。
 
最近ではネイティブアメリカンの追放と抑圧を及ぼした植民地主義に根差すものという認識も出てきて、サンクスギビングを批判する声も出てきています。が、アメリカではサンクスギビングに家族と過ごす、という風習が根付いているため、アメリカではクリスマスよりもこの時期に家族に会いに行く人の方が多く、1年のうち一番人が移動する時期でもあります。(クリスマスは長くて2日休みなので動きやすいのかも?)また、家族とは過ごさずに友達と過ごすと言う人たちはFriendsgivingと言ってお祝いしています。
 
さて、アメリカで初めての感謝祭が訪れ、私が英語を教え始めた最初の1年目に所属した英語教室の団体の交流会で知り合ったAさんが感謝祭に遊びに来ないかと誘ってくれました。Aさんは私たちがいるワシントン州の東側、フリーウェイで4時間ほどのリッツビルに住んでいました。Aさんは4Hクラブという農業関係の団体で、農業の改良と生活の改善に役立つ腕(Hands)を磨き、科学的に物を考えることのできる頭(Head)の訓練をし、誠実で友情に富む心(Heart)を培い、楽しく暮らし、元気で働くための健康(Health)を増進するという、クラブの4つの信条の頭文字を総称)の一員で日本に視察に来ていたとき我が家にホームステイしてもらって着物も着てもらったことがあったのです。

写真はAさんが日本に来た時のもの

彼女はご主人と想像を超える広さの大きな牧場を経営していました。以前お邪魔した時に家のリビングに望遠鏡があったので「この辺りは星が綺麗に見えるでしょうね」というと、星じゃなく自分の牛の様子を見るのだといわれ驚きました。地下室の冷凍庫には牛一頭分の肉が保存してありました。娘たちも会った事があるので行くのを楽しみにしていましたが、途中のスノーコールミーという峠が雪で道路閉鎖になるかもしれないというので諦め、暖かくなったら行く約束をしました。
 
その代わり、友人のU子さんのホストマザーが教会の感謝祭の夕食(Thanks Giving Dinner)に誘ってくれたのでそちらに行く事にしました。こちらでは感謝祭が日本のお正月のようなもので家族が揃ってターキー(七面鳥)焼いて食べます。帰りにホストファミリーのお宅にお邪魔しました。U子さんのホストマザーはフィリピン系の中国人でした。彼女はアメリカ人と結婚して息子もいてアメリカの企業で仕事をしています。
 
その時彼女は同居のお母さんも連れてきていました。その当時お母さんはアメリカに来て16年経っていましたが、全く英語が話せません。私達が言ったサンキューさえもわからない様子でした。驚いたことは、お母さんは纏足(てんそく)をしていたのです。歴史では習っていましたが実物を見るのは初めてでした。本当に小さいのですね。卵くらいの大きさの足でした。
 
サンクスギビング後の週末に雪が落ち着いたので、M子さん、Fさんと車で45分で行けるスノーコールミースキー場に行きました。そこはもう別世界。それまで日本の最南端出身の私は雪道を運転したことがありませんでした。チェーンを付けて恐る恐る運転しました。スキー場の景色は初めて見るものですごく感動しました。スキーは難しかったので娘たちとスノースライダーで滑りました。久しぶりに心から楽しみました。
 
12月になり、私の秋学期が無事に終わりました。初めてのレギュラーもどうにかこなせ、ほっとしたのもつかの間、夫から仕事がうまく行っていないと知らされ全身の力が抜けました。やはり私達には無理な試みだったのかと思うと悔しい。やっと3人共成果が表れ始めて来たのに。町はクリスマス気分で浮かれているのにそれを楽しむ気持ちにもなれないでいました。
 
そんな中でも夫はサンタクロースをいまだに信じている娘たちのために娘たちがお願いしたプレゼント(前もって私が聞き出していたのを伝えてあった)をU子さんのホストファミリーに送ってくれました。U子さんから受け取って私が枕元に置いておくという作戦でした。娘たちが大喜びしたのはいうまでもありません。

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