休日の過ごし方と日本の家族の心配
娘達が2泊3日のお泊りキャンプに行きました。次女は姉がいたのでクラスは別でも寂しくなかったようですが、長女は寂しくてたまらなかったようで「生まれて初めて死にたいと思った。この同じ空の下にお父さんとお母さんがいると思ったら眠れた。」と言いました。彼女が死にたいと思ったのは後にも先にもこの時がたったの一回だったと今でも言います。
どちらかというとインドア派の私たちですが、せっかく違う環境に来たのだからと、土曜日に宿題などを済ませて日曜日はいろいろなところに出かけることにしていました。実際はそんなに上手くいかず、帰ってから慌てて宿題をする羽目になることが多かったのですが。
ブルーベリー摘みにも行きました。生のブルーベリーを初めて、それもお腹一杯食べてジャム用も買って帰りました。その後にもスイセン祭に行ったり、クリスマスの時期には家々のクリスマスライトを見て回ったりました。まだ日本ではそのような飾り付けをする家はない頃です。色々な国の人が来ているアメリカらしく、出身の国の特徴を出した村も色々ありますが、近くにあるギルマンビレッジ(ドイツ村)などにも地域のフリーペーパーで探して行きました。
アパートにあるプールにも入りました。学校のプールの1/3くらいの広さですが一部が深くなって飛び込みもできるようになっています。でも水温がとても低く摂氏4くらいしかなくとても冷たかったそうです。夜になるとアパートの住民がお風呂がわりに水浴びをしていました。木造のアパートなのでプールの水は防火用水の役目も果たしているようでした。
かたや日本では夫が自分の母親から私達の今の状態を非難されたそうです。「家族が離れて暮らすなんて、それも夫を一人置いて女子供が海外に出かけるなんて」と。先日は私の両親からも今の状態は良くないと言われたそうです。私たちは申し訳ない気持ちになりますが、今更という感じ。この時点で帰ることの勿体無さったらないと思います。夫はこのような愛情あふれる抵抗を身近に感じて暮らしていたのですね。これが男が外に出て女が残るのだったらこれほどの抵抗があったでしょうか。