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あるアメリカの中学校風景

アメリカの夏休みは6月から8月までと長いですが(習ったことを忘れるに充分な長さだと嘆く親もいました)、毎日の授業時間数が多いので一年間を通すと当時5日制ではなく、6日制だった日本の授業時間より多かったと思います。

長女は中学校(Middle school)に通いました。中学校では小学校と違い市内のELI(英語を母国語としない学生のための教育機関)に通うべき生徒を一つの学校に集めて英語と社会を学びます。そして毎日スクールバスで送り迎えしてくれ、英語の授業が終わると地元の子達と同じ学校に戻りそれ以外の科目を受けます。

授業は毎日同じ時間割りで7時限目までありました。英語、社会、数学、科学、芸術、体育、コンピューターです。毎日同じ時間割で7時間なので宿題を次の日に持ち越せません。日本と違うのは週末は宿題が出ないのです。ゆっくり休むように言われます。メリハリをつける意味でとてもいいことだと思いました。

教科書は個人のものではなく学校のものなので原則として持って帰れないのですが長女は許可を得て持って帰っていました。1科目が電話帳ぐらいの大きさと厚さがありましたが、その中にある内容を全て習うわけではありません。先生の裁量でやることを決めていました。詳しく説明がしてあり練習問題もたくさんあるのでその本一冊あれば参考書などいらないようになっていました。

長女は日本で数学ができないと思い込んでいましたが、アメリカでは進度が遅いので(中学でまだ分数の計算をしていた)全く苦労しませんでした。日本には掛け算の九九がありますがアメリカにはないのでアメリカ人はそこでとても苦労するようです。マスコンテストという小規模の数学オリンピックのようなものにグループで参加することもできて自信も付きましたし良い思い出もできました。

芸術は音楽を選択し好きな楽器を選べたので長女はバイオリンを選びました。楽器も学校が貸してくれました。バイオリンは初めてだったので他の子に追いつくために週一回個人レッスンを受けに行ったのですが、その先生がとてもほめるのです。帰りの車の中で「またほめられた」とうれしそうに言うので「そんなにほめられてばかりじゃ、よし今度はがんばろうと思わなくなるんじゃない?」というと長女は「私はそう思わない。私はほめられた方がもっとほめられたいとがんばる」と言いました。

これを聞いて日本でピアノレッスンを受けに行った時のことを思い出し、考えを変えました。現代はいわゆるハングリー精神がなくても、やる気がなくてもどうにか生きていけてしまいます。それよりほめて、がんばればもっといいことがあると思うほうがやる気がでて良いのかもしれないと。もちろん時と場合にもよりますが、今では減点法でなく加点法が有効な場合が多いのではないかと思っています。

体育では体育館をローラースケートですべる授業があったり、バスケットではゴールにいくつ入れられたら合格というテストがありました。中学校の行事で面白かったのが先生と親との面談でした。体育館に各教科の先生達が机を前にして座っています。親は自分の子供の担当教科の先生のところに行き子供たちの様子を聞くことができます。日本ではほとんど担任の先生としか話せませんが色々な教科の先生と話せて良いシステムだと思いました。

ある日娘がある理科の先生が不公平だと怒っていました。ある成績の良い女の子がテストの日に休みました。普通なら0点になるのですがその先生はその子がいつもいい成績なので試験は受けなかったけれどいつも取るくらいの点数を与えたそうです。当然それにはクラスの子達は猛反発。そのことを面談の時いわゆる主任の先生に言うとそれはその先生の方針だから他の先生が何も言うことは出来ないとにべもなく言われました。個人の尊重という考え方について考えさせられました。

またある日カッコイイ男の子が転校して来たと学校の女の子の中で大騒ぎになりました。しかし2日後には彼の評判はガタ落ちになりました。性格が悪いことがわかったと言うのです。何をもって性格の良し悪しを判断したのかわかりませんが、顔が良いだけに期待が大きかったのかもしれません。人によっては顔が良いだけじゃダメだといいたい(思いたい)という心理も働くこともあるでしょう。

発表会は小学校と同じように金曜の夜にありました。体育館で観客が丸く座って出演者を囲む形で見守る中、中央で演奏や演技をします。間違うと拍手が大きくなり「がんばって!」という声援となり和気あいあいとした雰囲気が増幅されました。

長女の英語力は全科目を英語で勉強することで付いていったと思います。辞書を引いているのはほとんど見ませんでしたが、色々な科目でプロジェクト(自由研究のようなもの)をさせられたのも特徴でした。

家では毎日夕食の後TVでニュースを見たり、コメディを見たりして8時からは勉強の時間と割り切っていました。次女は本を読みちょっと早めに寝ていましたが、長女と私は学校の勉強です。のちに娘達は私が勉強する姿を見せてくれたから自分も勉強が頑張れてよかったといってくれました。私はただ自分の授業に付いて行くのに精一杯だっただけでしたが。もしかしたら親が子供に勉強しろ、と言うよりも自分が勉強する姿を見せる方が効果的なのかもしれません。
 
 

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