ちがう環境の力 その1

算数で苦労している頃、(苦労していると思っていたのは母親の私だけだったのですが)鈍感なはずの長女が日本の中学校に行きたくないと言い始めました。その頃の中学校は校則が厳しく、校内暴力も身近な問題でした。友達間の上下関係も大変だというのをどこからか聞いてきたようです。私もドリルを破り捨てては買ってくるという毎日に疲れていました。だからといって塾にやろうという発想は全くありませんでした。

そこで環境を変えよう。つまり今の状況から逃げさせてみようと思いました。ちょっと大げさですが日本中のユニークな教育をやっている学校を探しました。何度も言うようですが、インターネットのない時代です。色々手を尽くして探しました。でも娘に良さそうなところは見つかりません。「一芸」で入れる学校もありましたが娘に一芸はないし、どこも義務教育を終えた生徒達のための学校でした。

それではと海外の学校を探しました。さすがに言葉もわからないのに13歳で現地校に入れる勇気はなく、日本の学校の海外校を調べました。暁星のロンドン校、成城のフランスのアルザス校、慶応のニューヨーク校などがありました。授業料と寮費で当時300万ほどかかりました。当時我が家の総収入が300万ほどでした。あきらめざるを得ません。娘のために我が家は飢え死にしなければならなかったからです。

そこで前にも書いたような経過を経て母娘三人でアメリカの学校に行くことをきめました。1988年、長女は中学1年、次女は小学4年、私も最初は語学学校に入ることになりました。 日本人学校ではなく、現地の公立学校に入ったので英語と社会は外国人のための特別クラスを受けますが、それ以外の授業はアメリカの子達と一緒に受けます。

よく言われるようにアメリカ人は計算が苦手な人が多いようです。九九のないアメリカでは日本人は有利です。アメリカで娘は算数が得意な子になりました。自分から希望して数学コンテストにも出場しました。数学の楽しさを知り、自信もつきました。

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