あるアメリカの小学校風景
今日は次女の通ったアメリカのある地方の小学校の様子について書きたいと思います。
アメリカでは小学校6年間と中学校3年間の9年間のみ義務教育の日本と違い、幼稚園の年長にあたる5歳くらいから高校を卒業するまで12年間が義務教育(授業料がいらない)です。そしてアメリカの学校は国ではなく、地域によって管轄されており、区立の小、中、高は日本と同じ6, 3, 3制のところと5, 3, 4制のところがあります(つまり小学校が5年、中学が3年、高校が4年)。私たちのいたワシントン州のシアトルのお隣の町は5, 3, 4制でした。
次女はアメリカで編入する際小学校の4年生に入りました。最初は3年生に入れられていたのですが、4年に入りたいと申し出て4年生になりました。私が言ったわけでもないのですが、日本では4年なのになぜ3年?と思ったのかもしれません。それを英語で主張したことと、先生がそれを受け入れてくれたことにもびっくりしました。
学校の中にELI(外国人のための特別クラス)があり、そこで毎日専属の先生について2、3時間英語の基礎の授業を受け、残りの時間は地元の子達と一緒に授業を受けることになります。生徒は一人でもいればELIを作ってくれる為、次女は同じアパートのK氏とAさんの次女と一緒に受けることになりました。
学校行事は日本と違うことがいくつかありました。授業参観は自分の行きたい時に先生に申し込めばいつでも行けます。PTAや懇談会、発表会、コンサートなどは必ず夜にあり両親で見に行けるようになっていました。驚いたのが昼休みです。次女の学校では昼休みには生徒は教室に入ってはいけないことになっていました。外で遊ぶので、安全を確認するために監督が必要でその役を当番制で親がするのです。
学校は国や州からの教育費の不足を補うために色々な方法でお金の寄付を募ります。特徴的なのが日本のように学校でバザーなどを開いてお金を集めるだけでなく企業と提携して企業からお金が入ってくるようにする仕組みです。
例えばWrapping paper saleでは学校が渡すラッピングペーパーのカタログから欲しいものを注文するとその売り上げの一部が学校に還元される仕組み。Magazine drive では近所の人に雑誌を買ってもらってその売り上げの一部が学校に行きます。その他に密封容器やアイスクリーム、タオルの販売などもありました。Food drive では家にある缶詰などの保存食を学校に持っていくとそれが恵まれない人のところに配られます。
School Festival は日本のバザーのようなもので学校が遊園地のようになって色々なアトラクションを楽しめました。その中でとてもいいアイディアだと思ったのが綿菓子です。日本では串や割り箸に綿菓子を巻いて売りますが、それは危ないので紙を細くクルクル巻いて筒状にしたものに綿菓子を巻きつけていました。これなら危なくないし、リサイクルでエコですよね。
次女が一番はまったのが本を読むとごほうびをもらえるというイベントでした。当時アメリカでも子供の文字離れが進んで子供に本を読ませるために様々な方法を考えてありました。ブックイット(Book it)では毎日30分間本を読んで親にサインをもらいます。20個集まるとピザハットのピザ1枚分の券がもらえました。毎日節約に努めている我が家ではそのピザが唯一の外食の機会でした。家族の期待を背に次女せっせと読書に励みました。
リードアソン(Read-a-thon)では近所の家を回って、自分はこの本をいつまでに読むからそれができたらご褒美の代わりに学校に寄付をする約束をしてくださいと頼み、読み終わったらその内容を話して寄付をもらいます。次女はアパートのお隣さんや管理人に頼んで約束をもらってきました。読んだ後に約束してくれた人の所に行くとどんな本だったか、それを読んでどう思ったかなどを聞かれます。そしてその人が払いたい金額(2-3ドル)をもらうのです。学校はそのお金で図書館の整備をしていました。
毎晩長女と私が夜8時になると勉強を始めましたが、次女は小学生なので宿題はあまりありません。その間次女はすることがないので本を読む時間がたっぷりありました。そこで2週間に一度、近くの図書館に行って読む本を20冊くらい借りてきました。最初は1ページに1行~2行しか文字のない絵本を30分読むことから始め、1年半後にはハリーポッターの英語版のような本を毎回自分の背丈の半分ぐらい借りてきて読み、30分で30ページを読めるようになりました。ピザもクラスで一番多くもらえるようになりました。
ちなみに次女は本を読むために1語たりとも単語の意味を私に聞いたことはなく、辞書を引いたこともありませんでした。内容がわかっているか疑問に思って尋ねると細かく話してくれました。私たちの時代は英語の勉強というと「辞書を引く回数は成績に比例する」などと言われており、すごい人は覚えた辞書のページは食べてしまうんだというような話をまことしやかに先生が話してくれたこともありました。でも娘のこの読書方法から私の英語勉強法に対する考えが変わりました。辞書をひいて学ぶのではなく、本などを読み、コンテクストから単語を理解するというやり方です。帰国してから再開した英語教室でもそのやり方が大いに役立ち成果もあげました。
2年後、帰国する直前に次女は単語力と読解力のテストを受けました。読解力のテストは内容があっている文を選ぶものでした。単語力のテストは単語だけが示され、それの同義語を4つの選択肢から探す問題です。次女は読解力はアメリカ人の中3程度、単語力は中2程度でした。単語力が低かったのは、文の中に入っているときは内容に沿って考えれば推測できるものの単語を一つだけポンと出されてわからないことが多かったせいです。どの言葉でも名詞(物の名前など)でなければ一つの単語に意味が一つというわけではありませんから文脈でわかれば問題はないのです。アメリカ人の中3というと、新聞もある程度読めるし、大人の百科事典の内容もわかる、本も難しい論文などでなければたいていのものは読める程度です。
日本では理系の学科、スポーツなどはできないことを平気で言えるし、それを誰も責めません。しかし英語になるとできないことをコンプレックスに感じることが多い気がするのは気のせいしょうか?それは人間が言葉を話す唯一の動物だから?一生英語に触れないで、またはできなくても困らない生き方もあるし、実際は日本に住んでいれば英語ができないくても生きていけるのです。「英語ができるに越したことはない」という考えもありますが「お金はあったに越したことはない」というのと同じで、説得力がありそうで、実はとてもぼやけた目標だと思います。それに情熱を注ぐのはその人の価値観や必要性によりますよね。
でも英語を本当に分かるようになりたい、というなら本を読むという方法はどうでしょうか?ただし、日本語に直さずにその文章の流れに沿って理解しながら読むのです。最初は文法や単語を覚えるより時間がかかるように思いますが、自然に日本語と違う語順も文法も単語も身につくだけじゃなく、何より楽しいし、知識も付き、とても良い方法だと思います。
(*写真は次女のELIの先生とその娘さんと)