渡米するまで

さて、前置きが長くなりましたが、私と娘二人の留学の話に戻ります。
留学をする事を決めたのは、長女と夏休みにヨーロッパに旅行をした後の1987年の秋でした。その後、どの国に留学をするか迷っていたのですが、2学期が終わった冬休みに次女も連れてカナダに下見に行き、金銭的に子供一人につき月5万かかる事が分かり、最終的に子供にお金のかからないアメリカに留学するのを決めたのが、1988年の1月です。

渡米手続きは今ならインターネットで調べたり、手続きも自分で簡単にできるようですが、1988年当時は子供を現地校に入れる情報も、手続きをしてくれる留学エージェントも少なく、また地方に住んでいたので聞きに行くところもありませんでした。たまたまNHKの語学テキストの広告に子供の手続きもしてくれる所があったのでそこにお願いすることにしました。

行き先は西海岸のワシントン州、野球のイチローがいたシアトルの郊外です。エージェントの現地駐在員(お世話をしてくれる人)がいるということで決まりました。先ずは私が語学学校(ESL)に入るためのビザを取らなければなりません。大学に入る道もあったかも知れませんが、自分の英語力のレベルもわからないし、向こうの大学授業にすぐについていけるとも思わなかったのです。また大学に入るなら申し込み時期が決まっていましたしTOEFL(外国人のための大学入学資格試験)も受けたことがなかったので、とりあえずだれでも入れる語学学校に入ことにしました。

エージェントは手続き費用を私達母娘3人で60万請求してきました。何もわからない私達は言われるままに払いました。しかし後でそのエージェントを通してアメリカに渡った人たちと会う機会があり、そこで聞いたところそのエージェントは人によって請求金額を変えていたようで一人で120万も請求されたお金持ちの子供もいました。日米教育委員会で手続きの方法を習って来た子などは1万円位ですんだそうです。情報は金だと思った最初の経験でした。私達の場合は、私の語学学校の手続きだけでなく、娘二人(中学校と小学校)の入学手続き、アパート探し、渡米してからの日用品の買い物や銀行口座開設などの諸手続き、車の見立てまでお願いしたのでそれで納得しました。

私達が渡米を決めたのが1月だったので、4月から学校に行くためには3か月しかなく、その間にアメリカの語学学校の手続き、娘達の学校の手続き、住む家の手続きなど全部を日本から平行してやらなくてはなりませんでした。また、母娘3人の渡米となると問題になるのがその費用。その頃、夫は私達の生活費を捻出する方法を考えていました。

仕事は設計事務所を経営していましたが、友人と二人でやっている小さな事務所を始めたばかり。賃金も給与方式で残業手当も、賞与もないので、月に手取り25万くらいの中から住宅ローンも払いながら私の授業料と生活費を仕送りしなければなりません。行けと言ったものの果たしてどのくらいいるのか見当もつきません。(当時1ドル128円でした。今よりは円高ですね)

そんな時高校を卒業して語学の勉強に行きたいという知人の娘さんを紹介されました。彼女を連れて行き一緒に生活することで下宿代を頂けることになったのです。彼女のお父様には無理を言って1年分の個室の部屋代と食事、光熱費込みで100万円を前払いでいただき、それを最初の費用に当てることにしました。

色々あった手続きの中で一番先にOKが出たのが住むところでした。2ベッドのアパートで、なんとプール付き。私自身は泳げませんが、プールのあるアパートなんて夢に見たこともありませんでした。それだけでワクワク。子供が小さいので1ベッドルームの部屋でも良かったのですが、知人の娘さんのFさんを連れて行くので2ベッドルームの部屋にすることにしました。

ですが、元々渡米する4月になってもビザが降りません。日本では新学期が始まり、世の中が一斉に新しい年を始めているのを感じながらも、私達の将来は1ヶ月先のことさえ予想がつかない宙ぶらりんの状態でした。そんな状態が1か月ほど続いた後、遂に5月の連休前に語学学校の入学許可I-20がもらえました。それをもって連休が明けるのを待って、Fさんも一緒に福岡の領事館に学生ビザを発行してもらいに行きました。

ビザは渡航の目的のために滞在することを許す証明ですが、語学留学の場合、ビザと語学学校の入学許可のI-20が揃った時はじめて学生として正規のアメリカ滞在を許されることになります。20代のFさんのビザは3年分降りたのですが、私のビザはなんとたったの半年分。年は取っていても学生にはちがいないのですが(当時私は37)、子連れだったので日本にいない時間が長いと子供の教育も困るだろうという親切心だったようです。私達は経済的に許せば長女が高校卒業する6年ぐらいいるつもりだったのでちょっとがっかりしたのを覚えています。

一般に出してもらえる学生ビザは3年で、その間はアメリカと日本の間を自由に行き来できるのですが、ビザが短いとそれができません。ただし、ビザが短くても入学許可I-20があれば(学校にもっと長く在籍したいと思えばI-20の延長ができる)、その間アメリカに出入国をしない限り当時は米国滞在は通常問題なかったのです。なので私達は最低2年は日本には帰らない覚悟をしました。それから先のことはその時考えようと。

余談ですがビザの取得については担当者によって差があると聞いたことがあります。以前出たテリー伊藤さんの外務省についての本にもありましたが、外務省というところは昔は縁故採用が多く、職員の質にもばらつきがあったようです。こっちの窓口でダメだったから次の日に違う窓口に行ったらOKだったという話は一度ならず聞きました。

準備は整いました。出発の日も決まりました。夫も様子見をかねて一緒に1週間ほど行くことになりました。これがまたトラブルの原因にもなるとは知らずに。続きます。


 

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