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会社員として働いた日々②

なんとか会社員としての体を為して暮らす中で、
風俗と違うと一番感じた事は男性からの対応でした。
自分を女性としてではなく、人として見ている(事にしている)んだなと感じて戸惑った事を覚えています。
女性として見ちゃいけないですよね。そりゃそうか。

職場の環境と指揮者の特質として男でも女でも本当に関係なかったので、より極端ではありましたが新鮮でした。

女性扱いされない事は、中々大変でした。
実験室付近は女性トイレが無いのでまず大声で断って入るしかないし、
試験のために車内に男性とスシ詰めで数時間とかザラだし。
平気でガッツリ手首握られてアース線代わりにされるし。
フレキシブルケーブルでスパッと切れたら、無言で接着剤を渡される(これは未だにやります最高)。
出張時の機材も全部私が持ちます。
残業は当たり前というか、そもそも生活としての時間の概念は無い。
生理でトイレが近いと試験が進まないとキレられる。
単純に体力的にキツかったです。

あとは、社会的にステータスが整っている人と自分のギャップでしょうか。
これは結構長い間苦しみました。
カードはブラックで持てないし(実家?でちょっと事件があってそのまま引き摺りました)、緊急連絡先になる親族も居ない。
海外出張も後精算だったので、現地での支払い自体はデビットカードで誤魔化したものの相当キツかったです。
風俗時代は気にした事もなかったのですが。

異質な存在って浮くので、堅気の顔で、会社員として生きるのって大変でした。

飲み会の会話の貯金とか結婚も戸惑ったかなぁ。
この頃はまだプライベートは滅茶苦茶だったので、
自分に縁が無さすぎて、それが当たり前のような世界の人達が眩しくて、上っ面の回答すら禄に言えなかったです。

ただ、ごちゃごちゃと内面で悩む間にも、開発ステータスは進み指揮者は容赦なく実験室にやってきます。

実験室では基本的に一人で、他の実験者も居ましたがメイン在席者は私でした。
データを取って、配線を作って、基板をハンダごて持って改造して、またデータを取って。

1年近く経っても数式への理解はポンコツで、ノートでフーリエ換算やってる指揮者の言葉を別の言語体系の生き物として見ていましたが、
2年目に入る頃には指揮者の言葉も少しはわかるようになり、仕事の進め方も大分落ち着いていました。

(勤務先は関連事業の中では有名所で、本来は労災やコンプライアンスには厳しい会社です。
私が居た環境は社内でも特殊でした。)

会社員として月払いの給与で色々生活費を計算して、ほぼ見たことが無かった自分名義の給与明細を見て、住民税は天引きで。
夜の街は離れたけれど、今度は深夜の実験室か。
大して知識も無しに、何やってんだろうな。

自分がいる場所が本当に自分が望んだ場所かわからなくて自問自答を繰り返しましたが、
そんな事は意に介さず、実験者の私の元にやってくる基板と設計図の山。

私のぼやきなんて良くも悪くも大して仕事に影響しない。
これが組織に属して働くって事なのかな。
謎は山積みでしたが、多分私の人生で一番幸せな会社員生活の3年でした。

つづく

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