【童話】空とかがみの通いみち
葉っぱの落ちるきせつに、一日中ふりつづいた雨は、夜から朝にかけてやみました。どんよりした雲がちりじりに旅立って、空はからりと晴れました。
その日は、もう雨がふりそうにないのですが、小学三年生のルイくんは、家をでるときに、みず色の長ぐつをはきました。そして、“とうこうはん” のあつまる場所に、おねえちゃんといっしょにむかいました。
背の高いおねえちゃんは、とっても大人っぽくて、長いかみを自分でおしゃれにセットします。最近は、色あざやかなヘアピンがお気に入りです。三つくらい年上に見えますが、いがぐり頭のルイくんとは、一つしか変わりません。
二人は、ちょっぴりはなれて歩きました。アスファルトの道路には、ところどころに水たまりがありました。
ルイくんは、ちらちらと後ろを “けいかい” するおねえちゃんのすきをついて、空のうつる大きな水たまりへジャンプしました。
「ばーん!」
そう声をあげて両足で着地すると、飛びはねた水がおねえちゃんの近くまでとどきました。道路がへこんだ場所だったので、水がたっぷりたまっていたのです。
「それ、やめろって言ったでしょ」
「おねえちゃんにはかかってないよ」
「次にやったら、おじいちゃんちの物置にとじこめるからね」
「え! ジャンプするぐらいでひどいよ。オニだ。オニ!」
すると、おねえちゃんは、ニコニコしながら近づいてきました。
「ねえ、わかったよね?」
ルイくんは、ほんきで怖いと思いました。ですが、やるなと言われるほど、やりたくなります。おねえちゃんの後ろでこっそり水を飛ばす方法を考えました。
その日の夜、ルイくんとおねえちゃんは、おかあさんに交通安全の “おまもり” をもらいました。ちりめんの小さなふくろに入っていて、ルイくんにはこん色、おねえちゃんにはえんじ色のふくろでした。二人のランドセルの右側に結びつけてくれました。
ルイくんは、ふくろのなかに何が入っているのか聞いて、おまもりの力にわくわくしましたが、おねえちゃんは、さめた顔をしていました。
おかあさんが心配するのは、とうぜんのことです。先月、近所で “じこ” がありました。自転車にのった中学生の男の子が自動車にひかれたのです。かるいケガですんだのは、不幸中のさいわいでした。
次の日の朝も、おひさまが元気よく空にのぼりました。
ルイくんは、おまもりのついた黒いランドセルをせおって、ぴかぴかと光るスニーカーをはきました。ぶっきらぼうなおねえちゃんの後を追いかけると、おねえちゃんのむらさき色のランドセルから、おまもりがなくなっていることに気づきました。
「おまもりどうしたの? 家に置いてきちゃダメなんだよ」
立ちどまったおねえちゃんは、カーディガンのポケットに手を入れて、かくしてあったおまもりをだしました。
「あげる。こんなダサイの、つけてられないから」
「それじゃあ、見えないところに入れとけばいいじゃん」
「いらないの。おまもりで交通安全とか、ありえないから」
「あー、そんなこと言って、バチがあたるぞー。車にひかれても知らないぞー」
「おかあさんは別にいいと思ってるよ。私がひかれたって。本当にかわいいのはルイだけ」
「なにそれ? ちがうよ」
「ちがわない!」
おねえちゃんは、おまもりをルイくんの胸に投げつけて、さっと歩きだしました。ルイくんは、足元に落ちたおまもりをひろって、ズボンのポケットにしまいました。
その日の授業がおわると、ルイくんは一人でおじいちゃんの家にむかいました。小高い丘の上にあって、ちょっぴり遠いのですが、雨や雪がふっていなければ、ルイくんはへっちゃらです。道路のわきに立ちならぶ木は、燃えたつように色づいていました。なだらかな坂をのぼったあと、通りぬけた公園のなかは、しばふの上に赤や茶色の葉っぱがいっぱいちらばっていました。
おじいちゃんの家は、日あたりのいい場所にひろい庭があって、かわら屋根の大きな家です。
「おじいちゃーん! 来たよー!」
ルイくんは、げんかんでスニーカーをぬぐと、おじいちゃんがでてくるのを待たないで、家のなかへドタドタと走りました。はんてんを着て、こたつに座っていたおじいちゃんは、どっこいしょと立ちあがりました。
「おーおー、よう来たねえ」
「見て! おかあさんにおまもりもらったの」
ルイくんは、ランドセルの右側をおじいちゃんにむけました。おじいちゃんは、ぶらさがるおまもりを手にとって、交通安全とししゅうしてある文字をよみました。
「かっこいいでしょ?」
「うむ。すごくセンスがいい」
「でもね、おねえちゃんはダサイって」
おじいちゃんは、声をあげて笑いました。ルイくんは、ランドセルをおろして、ズボンのポケットからおねえちゃんのおまもりをだしました。
二人は、横にならんで、たたみの上に座りました。
「おー、色ちがいでいいじゃないか。さすがおかあさんだ。おねえちゃんはいらないって言ったのかい?」
「そうなの。ダサイし、キカナイって言うんだ。だから僕にあげるんだって」
「ほう。おまもりが信じられないと」
「信じられるでしょ?」
「そりゃわからん」
「え! なんで?」
おじいちゃんは、右手をひらいて、ルイくんからおまもりを受けとりました。そして、おまもりをじっと見たあと、ルイくんにほほ笑みかけました。
「おじいちゃんは、神様じゃないからね。わからないことだらけなんだよ。おまもりにいのったら、神様がすくってくれるかもしれないし、すくってくれないかもしれないし、本当は、わからないんだ。もちろん、おかあさんもね。だけど、すくってくれるかもしれないから、どうかすくってくれますようにって、おかあさんが願いをこめたんだよ」
ルイくんは、こくりとうなずきました。
「こっちに来てごらん」
立ちあがったおじいちゃんは、南むきの大きな窓をあけました。
「神様は、あの雲の上にいるかもしれんなあ」
ルイくんは、おじいちゃんといっしょに遠くの白い雲を見あげました。そして、目を落とした庭のしょくぶつは、ちょっぴりさみしげで、夏のいきおいはありませんが、“こはるびより” にかがやいていました。
「ルイくん、あの花はキレイかい?」
おじいちゃんは、色とりどりに咲く小さな花のあつまりを指さしました。
「うん、とってもキレイ」
その花の名前は、パンジーです。黄色やむらさき色を中心に、青かったり白かったり、個性ゆたかです。
「では、次はこっち」
二人は、となりの部屋にいどうしました。
「この花はキレイかい?」
おじいちゃんがそう聞いたのは、かべかけ時計のわきに、いつもささっている “いちりん” のピンク色の花です。ルイくんは、首を横にふりました。
「だって、にせものだもん。キレイじゃないよ」
「うむ。だけどこの花、おじいちゃんが病気して入院したときにな、リナちゃんが買ってきてくれた花なんだよ」
「おねえちゃんが?」
「そう。ようちえんのころさ。ねんちょうさんだったな。めずらしく、おとうさんと買いものに行ったらしい。それで、おやつはひゃくえんって言われたけど、おやつじゃなくて、この花をえらんで、おじいちゃんのおみまいに来てくれたんだ。だからこの花は、おじいちゃんの “たからもの” さ」
ルイくんは、うなり声をあげてうなずきました。
「キレイだろ?」
「うん。すっごくキレイだ」
「人はやっぱり心、気持ちだよ。花で病気がなおったり、おまもりでキケンをふせいだり、できるかわからないけど、願ってくれた人の気持ちを感じないとな。その気持ちさえわかれば、ああ、この花キレイだな、このおまもり大事だなって、思うだろ?」
「思う!」
おじいちゃんは、目を細めておまもりをさしだしました。
「これは、返せるときに返さないとな。リナちゃんは、おかあさんの気持ちがわかる子だよ。今はちょっと、ひねくれてるだけさ」
「ひねくれる?」
ルイくんは、その言葉の意味をおじいちゃんにおしえてもらいました。
それから四日後の朝、空にはい色の雲があつまってきて、またつめたい雨がふりました。
ルイくんとおねえちゃんは、傘をさしていっしょに家をしゅっぱつしました。ざーざーぶりの雨でしたが、おねえちゃんは、おかあさんがじゅんびしてくれた長ぐつをはきませんでした。
「もっとはなれて」
そう言われたルイくんが後ろにさがると、おねえちゃんはすぐにふり返りました。
「ジャンプしないよ」
「とうぜんでしょ」
ですが、ルイくんはいたずらっ子です。おねえちゃんが前をむくと、プラスチックの水でっぽうをズボンのなかからだして、むらさき色のランドセルに “ねらい” をさだめました。そして、ぴゅーぴゅーとはっしゃされた水は、ランドセルのつるつるの背中にめいちゅうしました。
とうこうはんのみんなに会うと、「あー、こんなとこがぬれちゃってるー、ほんとだー」と声があがりました。ルイくんは、うっかりニシシと笑ってしまったので、おねえちゃんにギロリとにらまれました。
ぬれたランドセルは、タオルをもっていた女の子が、キレイにふいてくれました。
雨は、お昼すぎにやみました。あっというまに晴れると、青くすみわたった空のあちこちに、白い雲がぷかぷかと流れてきました。
ルイくんは、学校の外にでたあと、おともだちがもっている傘を見て、手に水でっぽうしかもっていないことに気づきました。ですが、はやくおじいちゃんに会いたいので、学校にもどりませんでした。
おともだちと別れると、長ぐつの足でぴょんぴょんと走りだして、そこらじゅうの水たまりに水でっぽうをうちました。自動車の行きかう道路では、きちんと “ほどう” を歩きました。
そして、なだらかな坂をのぼっているとき、たまご形の黄色い葉っぱがおでこにくっつきました。風がふいたわけでも、自動車が横をとおったわけでもないのに、とつぜん葉っぱがぺたっとあらわれたのです。頭の上を見あげると、木の枝は一本もなくて、空からもう一枚の黄色がすーっと落ちてきました。
ルイくんは、二枚の葉っぱをひろって、先をいそぎました。おじいちゃんにまず伝えたいことは、葉っぱが空から落ちてきたことになりました。
丘の上の公園が近づいてくると、長いかみの女の子の後ろすがたが見えました。むらさき色のランドセルをせおって、傘を忘れていませんでした。
「おねえちゃーん! おーい!」
ルイくんは、遠くから大きな声で呼びましたが、おねえちゃんは、まったく聞こえていないように、スタスタと公園に入りました。むこう側へ通りぬけると、ちかみちになります。
ルイくんは、おねえちゃんの後を追いかけました。公園のしばふでは、はしゃいで葉っぱを投げあっている男の子たちがいました。
「ねえ、おねえちゃんってば!」
すると、おねえちゃんは、やっとふり返りました。
「ついてこないでよ」
「ぼくだって、おじいちゃんちに行くんだ」
おねえちゃんは、めいわくそうにぷいっと目をそらして、また一人で歩きだしました。
ルイくんは、おねえちゃんに近づきすぎないようにちゅういしましたが、アスファルトの “ちゅうしゃじょう” にでると、水でっぽうをおねえちゃんの足元にむけました。そして、いっぱつ、にはつ、わざと足に当てないで水をはっしゃしました。ニシシと笑いました。
すると、おねえちゃんは、くるっとまわれ右をして、ルイくんにズンズンと近づきました。あきらかに怒っていました。
ルイくんは、たたかれると思って顔を両腕でふせましたが、おねえちゃんは、その横をさっと通りすぎました。
「帰る」
「え、どうして?」
「どうでもいいでしょ」
ルイくんは、また仲良しになって、いっしょにおじいちゃんの家に行きたいと思いました。おねえちゃんにちょっかいをだすのは、嫌いだからじゃなくて、気を引こうとしているだけです。おねえちゃんのことが大好きです。
そんな気持ちをわかってほしいな――
ルイくんは、おまもりの入っているポケットをぎゅっとにぎりました。そして、ちゅうしゃじょうのはしっこに、大きな水たまりがあることに気づきました。近づいてみると、コンパスでえがいたようなまん丸の水たまりで、青と白の空模様をうつす “かがみ” になっていました。
「おねえちゃん、来て!」
呼びかけながら、水たまりのなかに水でっぽうをうちました。はっしゃされた水は、穴のなかに吸いこまれるように、ふっと消えました。
「これ見て! すごいよ」
おねえちゃんは、いじをはって “むし” しました。ルイくんの目の前に、空から黄色い葉っぱが落ちてきました。
「おねえちゃん!……よーし」
ルイくんは、ひざを曲げてかがみました。そして、おもいっきりジャンプしたとき―― ふいにふり返ったおねえちゃんは、すとんと消えるルイくんを “もくげき” しました。
「え!?」
青ざめたおねえちゃんは、ぶきみな水たまりにむかって走りました。水でっぽうがぽつんと残されていて、水たまりはいっしゅん大きくなったあと、みるみる小さくなりました。
「ルイ!」
傘を落として、ひっしに走ったおねえちゃんは、地面を右足でつよくけりました。体がちゅうをまって、のばした左足から水たまりにのまれて、そのまま着地することはありませんでした。
水たまりの先は、空でした。ルイくんとおねえちゃんは、雲と雲のあいだをじゅんばんに、ぐんぐん落ちていきました。ランドセルをせおったままでした。そのときに見た一番高いところにうかぶ雲の上には、おどろくほど大きな木がそびえ立っていて、枝につらなる葉っぱがおひさまのように、金色にかがやいていました。
そこは、天国かもしれません。二人は、死んでしまうかもしれません。
そんな二人を助けたのは、おりかさなった金色の葉っぱです。ひくい雲のなかに、葉っぱのじゅうたんが広がっていて、はじめに落ちてきたルイくんをふんわり支えました。そして、おねえちゃんも。
おおっていた雲が立ちのくと、葉っぱのじゅうたんはキラキラと光りました。学校の教室くらいの広さがあって、その中心で “さいかい” した二人は、わんわんと泣きました。とってもとっても怖くて、いたいほど空気がさむかったのですが、やわらかいじゅうたんの上は、なぜかほっこりあたたかくて、ホットカーペットに座っているようでした。
先に泣きやんだおねえちゃんは、ルイくんを抱きしめました。これから何が起こるのかわからなくて、まだまだキケンでしたが、いろんな言葉をつかって、ルイくんを安心させようとしました。
しばらくすると、じゅうたんの形がくるくると変わりはじめました。二人は、手をつないだままひっくり返り、また怖い思いをしました。
変身したじゅうたんは、“みかづきがたの舟” になりました。金色の葉っぱで作られた空にうかぶ舟です。落とされなかった二人は、そのなかで細長い木のぼうを見つけました。おそるおそる舟の下をのぞくと、地面ははるか遠くでした。
「これをつかって、前に進めるかも」
おねえちゃんは、木のぼうを両手でつかんで、舟をこいでみました。すると、水をかいたような手ごたえがあって、舟はすいーっと動きました。
「うわー! おねえちゃんすごい」
はじめは、手さぐりで前に進んでいましたが、こぎかたを変えると、上の方にも下の方にも進むことができました。地面までぶじに “おりられそう” でした。
それがわかった二人は、わくわく楽しい気持ちになりました。ちょっぴり “よりみち” して遊びました。空の青さにつつまれて、上から見るけしきがとってもキレイで、ゆめごこちの旅でしたが――
かんぜんに “ゆだん” したころ、舟の葉っぱがはがれ落ちはじめました。お尻からでるけむりのように落ちていく葉っぱは、金色から黄色に変わって、かがやきをうしなっていました。そのほとんどは、すぐに消えてなくなっていました。
「やばい! おねえちゃん、葉っぱがどんどん落ちてる」
「どうして急に」
おねえちゃんは、あせってこぎました。遠くの地面にむかっていそぎました。
「おねえちゃん、見て!」
ルイくんが指をさした右の方に、まん丸の水たまりがひらひらとうかんでいました。“とうめい” なので、よく見ないとわかりませんが、ぺったんこの水のあつまりで、おひさまの光をぴかっとはね返していました。そこは、地面におりるよりも、あきらかに近い場所でした。葉っぱをまきちらす舟は、底がぬけてしまいそうでした。
「あっちに行こう」
「うん、そうしよう!」
おねえちゃんがいっしゅんで決めたことに、ルイくんは “はんたい” しませんでした。
「かならず、いっしょに帰ろうね」
「うん、いっしょだ! いっしょだからだいじょうぶだ」
おねえちゃんは、ぜんりょくでこぎました。まん丸の水たまりをめざして、舟はスピードをあげました。
ですが、ついに舟のお尻に穴があいて、それは燃えひろがるように大きくなりました。ルイくんは、自分の左足が穴に落ちかかると、ポケットからえんじ色のおまもりをだしました。
「おねえちゃん!」
ふり向いたおねえちゃんは、さしだされた手をつかみました。ルイくんの体がずるりと落ちても、その手をはなしませんでした。
「ぜったいに、はなさないから!」
二人がにぎった手のあいだには、おかあさんの気持ちがありました。
気をうしなったルイくんは、きゅうきゅう車のなかで目をさましました。あおむけに寝かされていて、体はどこも痛くありませんでした。マスクをつけたおにいさんが話しかけてきて、おねえちゃんのことを聞くと、べつのきゅうきゅう車にのっていると知らされました。
ルイくんとおねえちゃんは、丘の上の公園のわきに、ぐったりとたおれていたのです。
そして、大きな病院で顔をあわせると、空のときと同じように、二人でわんわんと泣きました。見たりさわったりするかぎり、どこもケガをしていませんが、“せいみつけんさ” をすることになりました。ランドセルがあったので、二人の家と学校に、すでに電話で伝えられていました。
さいしょにすっ飛んできたおかあさんは、目に涙をいっぱいためて、二人をまとめて抱きよせました。一人ずつほっぺたをくっつけあいました。
ルイくんが空へ落ちた “だいぼうけん” をしゃべりはじめると、おねえちゃんはダメダメと首を横にふりました。
「それはまだ、ヒミツだよ」
そして、カーディガンのポケットに手を入れました。だした手をひらくと、えんじ色のおまもりがありました。
「くわしいことはヒミツだけどね、このおまもりのおかげで助かったんだ」
「そうなんだよ! おかあさんの気持ちがまもってくれたんだ」
それは、きっと本当です。手をつないで舟から落ちたとき、水たまりがぴゅーっとつよい風にのって、二人の下にすべりこんだのです。
おかあさんは、とっても嬉しそうに笑いました。おねえちゃんは、自分のランドセルに、大事なおまもりを結びなおしました。