【四周年】進水記念日
当方は、毎年六月八日に、“進水記念日” と題する文章を航海している。本稿は、四回目である。
読者諸賢の中に、毎年恒例と思われる方がいらっしゃれば、我が兄弟航路のファンとして認定いたしたい。過去三回をご存知でない方も、いやいやファンですよ――とおっしゃっていただけるなら、丸四年の旅路を共に祝いたい。
旗揚げから今日に至るまで、兄弟航路のファンは、最低一人、必ずいる。その一人とは、当方の、要するに我が兄弟の、実母である。
還暦を過ぎた母は、デバイスの操作に不慣れだが、朝な夕なに兄弟航路のページを開き、いつとも知れない新たな航海を心待ちにしてくれる。スキを押すのが、楽しみの一つのようだ。noteのアカウントを持たない為、非会員ユーザーからのスキで、愛情と読了をひっそりと示してくれる。
本稿も、航海当日、或いは翌日の早いうちに、名もなきそれを確認できるであろう。
勿論、母だけではない。当方は、多くの方々からいただくスキやコメントなどに励まされ、海の苦しみを乗り越えてきた。元来の遅筆に加え、卓上の外では、一社会人としての現実に向き合い、様々なことを考えなければならない。限られた余暇の中で、創作以外の欲求も湧き出てくる。
故に、四年続けてきたと言っても、短編ばかりのその本数は、たかが知れている。ただ、弟が育休に入った昨年の夏以降も、月単位で途切れることはなかった為、四十八か月連続の航跡を少しばかり誇らしく思う。
小説を書く際、やはり書き出しが最も難しい。“零” から “一” の、決然とした踏み出しは、“一” から “百” に至る道程よりも、時に遠く感じる。
最初の糸口は、普段の何気ない生活の中で掴むことが多い。そして、虚構の出来事を手繰り寄せた上で、広がる空想のままに、或いは虚実ない交ぜに、物語を展開する。
先月は、長野方面から甲府に帰る電車内で糸口を掴んだ。電車は、各駅停車の鈍行である。
よく晴れた土曜の午後三時過ぎ、少ない乗客の中で、制服姿の高校生の割合が高く、側壁沿いの長椅子に、五人の男子生徒が並んで座っていた。その向かいと右手には、女子生徒が一人ずつ、離れて座っていた。
男子生徒らは、大判の参考書をそれぞれ開き、小声で話をしながら勉学に励んでいた。そして、二人が電車を降り、三人になった時、向かいの女子生徒の手元から、赤い暗記シートのようなもの――文字を隠す為に使うのではないか――がひらりと落ちた。彼女も勤勉そのものだったが、いつの間にか寝落ちしていた。
すると、男子生徒の一人が、腰を曲げたまま立ち上がり、落ちたシートを女子生徒の脇にそっと拾い上げた。数人がチラ見した彼の両耳は、かあっと赤くなった。
しばらくして、彼らの右手にいた女子生徒が、韮崎という駅で電車を降りた。プラットホームを歩く彼女は、乗っていた車両を窓の外から気にかけている様子だった。そして、忘れ物があったように、慌てた足取りで車内に戻ると、例の眠っている女子生徒を起こした。
「ありがとう」「早く」――二人の女子生徒は、無事に韮崎で降りた。
かくも微笑ましい光景を元に、甘酸っぱい青春をあれこれ空想したが、今は余計な脚色をせず、記憶が薄れないうちに、“事実” として書き残した方が良いと思った。
えらく胸を打たれたのは、意地悪く拾わなかったり、声をかけなかったりする、これまでの罪悪感が根底にあるのかもしれない。当方は――いや、筆者の兄は、優しくなれないからこそ、優しさや救いを小説で書こうとするのかもしれない。
筆者の内面にひそむ “深海” は、未だ闇に包まれている。
兄弟航路の旅は、未知との遭遇であり、これからも自由闊達に新たな挑戦を続けてまいりたい。
今年は、“創作大賞” という煌びやかな大海へ、小説を航行しようと計画している。
創作大賞とは何か。
note公式で開催される為、読者諸賢の大半は、詳しくご存知であろうが、謳い文句を借用すれば、日本最大級の創作コンテストである。
昨年は、航行しなかった。しようとさえ思わなかった。遅筆の筆者にとって、二万字以上という小説部門の規定は、たじろぐほどの障壁である。
だが、今年も来年も、安穏と回避することになれば、いずれ不戦敗に似た慙愧の念がうごめいてくるに違いない。
目指すは、原稿用紙百枚分の、四万字である。百枚を意識すると、最初の一枚分に目眩を覚えるが、全力で書き出そうとせず、長距離走と言おうか、遠洋に挑むような舵取りを意識したい。
ゴールまでの海図は、すでに仕上がっている。
予定では、前半と後半の二分割、或いは三分割にして、次回から創作大賞に向けた小説を航海する。ネタバレになりそうで恐縮だが、規定通りに “あらすじ” を冒頭に挿入する。
気がかりは――
母の他に、最後までお読みいただける方がいらっしゃるか。
なにせ、当方が航海してきた小説は、四千字程度が多かった為、ざっくりと言えば、これまでの十倍の長さになる。
できれば最後までと、要望を申し上げるつもりはなく、一部でもお読みいただけるなら、得難いご縁である。世に放たれる小説は、数限りないことを肝に銘じたい。
当方のファンはもとより、仮にアンチであっても、読者諸賢の一人ひとりに、心より感謝申し上げる。
令和六年六月八日