「私」というストーリー4~ADHDが長所になるまで【第一章】
恩寵とエゴの意識の間で
苦しくて長い長い探求の旅が終わりを告げましたが、これですべてが上手くいったわけではありませんでした。
意識が180度引っくり返ったとき、一瞬エゴ(思考や感情)がぶわぁーーーーとどこかに吹っ飛びました。
それは本当に驚異的な体験で、身体ってこんなに軽かったんだ~~~って、私は心底感動していました。
でも数時間後、そのエゴたちは戻ってきました。
戻ってきてくれた?!というべきでしょうか(笑)
一度、抑圧から外れたエゴを再び抑圧することは難しく、戻ってきたエゴは暴れ馬のように激しく私の中で踊り狂っていたのです。
頭と心が完全にちぐはぐ状態でした。
身体を左右から同じ力で引っ張られているような痛み、苦しさを味わっていたのです。
怒りも悲しみも喜びも、私の感情や思考は幻想で、それを生み出している「いまここにある意識」が私の本体だとは体感しています。
「けれどもこの激しく湧き出てくる怒りはどうしたらいいの?」
「この強い悲しみはどうしたらいいの?」
と、とても頭が混乱していました。
この体験は人間のエゴでは決して起こせない恩寵であるにも関わらず、エゴはこの体験を自分のものにしようとします。
自分にとって都合のいい解釈をしようとするのです。
理解して自分は「分かっている!!」とやろうとするのです。
それがエゴの働きですからね。
身体の中で大暴れする思考や感情に翻弄されながらも、自分がいかに感情を抑圧していたのかを知り、それが本当にびっくりでした。
これでも何年も感情を解放することを人生の中に取り入れていたつもりだったので、ちょっぴりショックでした、、、。
加速する虚無の世界
何よりも辛かったのは、この感情や思考の暴れ馬が日常生活に支障をきたすほどだったことでした。
ウツが再発したの?!というくらい、心が不安定になりました。
突然涙がホロホロと出てきたり、怒りが抑えきれなくなったり、、、そんなことが度々起こっていました。
そしてこの世界は幻想という感覚は、無気力感を体験以前よりも増やしてしまい、本当に何もする気が起きずにいたのです。
「この見えている世界が幻想だとわかったけど、じゃぁどうすればいいの??」
30代後半の大人が何をしたらいいのかが全くわからない状態になったのです。
今なら笑い話ですが、体験したことの意味を頭はまだ理解できず、完全に生きる方向を失いました。
生きることも死ぬこともできないと感じていた虚しさをさらに加速させ、さらなる虚無の世界へ落ちるようでした。
悟後の修行?の始まり
でも一つだけ違っていたことは、もう探求する必要がないという確信があったことでした。
答えはここにしかないということを知っているということは、これ以上無用な放浪を繰り返さずに済んだのです。
一瞥体験者の中には、この体験を再体験したくて、グルを求めて放浪する人も多くいます。
それはしなくていいことだけは分かっていたことが私には救いでした。
非二元のティーチャーである、ガンガジやアジャシャンティの著書に助けて頂きながら、ただただ今ここにある意識に寄り添うことをしていました。
強い虚無感にかられていた私にはそれしか出来ることがなかったというのもあります。
休みの日は一日中、家の白い壁をみつめながらボーっとしていたのです。
それが心地よくて心地よくて、、、10時間でも壁一点を見つめていることができました。(はっきりいってヤバイ人です(^^;))
でもあのエックハルトトール氏だって、覚醒後2年間ほど至福の(?!)ホームレスとして過ごしていましたし、、、。
となると、私のヤバさはそれほどでもないのかも(^^;)
今ここにある意識はただただ活き活きとした輝きでした。
こんな自分でも100%受け入れられていることを感じることができました。だからそんなに長時間、ただただその意識に浸っていることが出来たのかもしれません。
解き明かされる幼い時からの疑問
その意識に寄り添っていると、さまざまなことが分かりはじめました。
世界でたくさんの戦争が起こっているのはなぜか?
世界で飢えが蔓延しているのはなぜか?
人が殺されるということはどういうことなのか?
平和になるためにはどうしたらいいのか?
人間が存在することの意味?
時間の存在とは?
過去世の存在とは?
感情や思考の存在意義とは?
すぐに分かったわけではなく数年の時を経て、徐々に私の中で理解がされていきました。
それは小さなときの疑問への答えでもありました。
「何も知らない」を知ることの絶対的な安心感
めちゃくちゃ長くかかりましたが、願いは叶えられたのだなと感じます。
その中には自分がもう一度生きていこうとする道も含まれていました。
こればかりは自分のことなので、今でもあまり確信がもてませんが、それでも道はできてきています。
そして今でも最も大切で私の心の大きな支えになっていることを理解できたことが、一瞥体験の最大のギフトだったなと思います。
それは「私」は何も知らないということです。
第一章終わり⸜(*ˊᵕˋ*)⸝
第二章をお送りする前に、番外編をどうぞ。
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