17年目のAKB48
12/8で劇場開設16周年を迎えたAKB48。彼女たちの曲を一年につき一曲を
づつ選定し、当時を振り返りながらその足跡をたどっていく。
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2006年 『会いたかった』 (センター:前田敦子)
前年の2015年12/8に、直営の専用劇場であるAKB48シアターがオープンした。当初は「秋元康がプロデュースしたアイドルグループ」として知名度が先行し、秋葉原という立地からメイドカフェや萌えキャラ的な、誤ったイメージが広がっていた。
AKBは「会いに行けるアイドル」をキャッチフレーズに、劇場公演を中心とした活動スタイルを取ったが、初日は客が7人しかいなかった。
それでも、前田敦子を擁する1期生のチームA・大島優子を擁する2期生のチームKがオリジナル公演を繰り広げているうちに、徐々に人気が高まってきた。また、劇場がオープンした時には併設のカフェの一店員でしかなかった篠田麻里子が、観客たちの強い要望により正規メンバーに加わった。
そして10月に、『会いたかった』でメジャーデビューを果たした。
2007年 『BINGO!』 (センター:前田敦子・高橋みなみ)
この年に渡辺麻友を擁する3期生のチームBが稼働し、AKBは計3チーム体制で劇場公演を回すようになった。
さらに日テレ深夜枠で初の冠番組『AKBINGO』がスタートし、バラエティにも取り組むことになった。AKBの知名度は上がり、個々のメンバーのキャラクターが徐々に広がりはじめた。
また続々と新たな劇場公演が発表され、初コンサートも開催された。AKBは順調に成長を遂げていた。そして、年末には ” 秋葉枠 ” という謎の扱いで、中川翔子とリア・ディゾン の抱き合わせで紅白に初出場した。
2008年 『大声ダイヤモンド』 (センター:前田敦子・松井珠理奈)
AKBを取り巻く環境が目まぐるしく変化した一年だった。
この年に出したCDのおまけを利用した販促が独占禁止法に引っかかり、その余波でソニーから契約を切られてしまった。配信限定でしかシングルを出せず窮地に陥っていたところ、助け舟が現れた。「本社がある愛知県栄に姉妹グループを作ること」を条件としてパチンコ台メーカー大手の京楽がスポンサーに付き、キングレコードとの契約にこぎつけた。AKBはこの後、本格的に握手会を展開するようになる。
レーベル移籍第一弾シングルが『大声ダイヤモンド』。Wセンターの一角に、栄を本拠地にするSKEの一期生オーディションに受かったばかりの松井珠理奈が抜擢された。彼女は
当時11歳。繁華街のビル看板などに、珠理奈が大声で叫んでいるCDジャケットと同じ画像が広告として多数掲示された。
上半期の苦境が嘘のように、AKBは社会に対して一気に攻勢を掛けていった。
2009年 『RIVER』 (センター:前田敦子)
この年、初の選抜総選挙が開催され絶対的センターである前田敦子が首位を獲得した。この時の上位7名が翌年も上位を独占し「神7」と呼ばれるようになる。ちなみに、当時8番人気だった柏木由紀が伏兵佐藤亜美菜に阻まれて、この年は9位止まりだった。
また、年長のメンバーの6名が新たに結成されたSDN48(AKBのお姉さん的な存在として企画されたグループ)に兼任を経て後に移籍となり、AKBは一気に若返りを果たした。
そんな中、『RIVER』で初めてオリコン1位を獲得した。K1グランプリのハーフタイムショーなどアウェイにも積極的に参加し、新たなファン層開拓に尽力した。秋元康が美空ひばりに書いた『川の流れのように』のアンサーソングの意味合いを持つこの曲を入口にして、新たにAKBに興味を持つ文化人が続出した。また、この頃に篠田や板野がCMで人気を博し、「アイドルらしくない娘たちの集団」がAKBであると世間に認知され始めた。この年に紅白歌合戦に再選出され、その後も出場を続けることになる。
2010年 『ヘビーローテーション』 (センター:大島優子)
この年はAKBが一気に知名度を上げ、社会現象になった一年だった。テレビ東京で、メンバーを総動員した深夜ドラマ『マジすか学園』が放映され、シングル『ポニーテールとシュシュ』は初動売上が50万枚を超えた。
メディアは彼女たちの一挙一投足を、血眼になって報じた。子どもたちはこぞって真似をし、忘年会ではサラリーマンたちが仮装をして踊り狂った。また、『じゃんけん大会』もこの年からはじまった。
前田敦子と大島優子、チームAとチームKの対立軸が、全盛期AKBの人気を牽引したといえよう。この年、第2回選抜総選挙で前田から首位を奪還した大島優子がセンターを務めたのが『ヘビーローテーション』だ。この曲はカラオケで歌われた回数の年間ランキングで二連覇を果たしたほどの人気を博した。
2011年 『フライングゲット』 (センター:前田敦子)
前年から飛ぶ鳥を落とす勢いだったAKBだが、3月11日に起こった東日本大震災の余波でその勢いが失速した。しかし、そんな状況でも彼女たちは『誰かのためにプロジェクト』という被災地訪問を長期にわたり繰り返し、国民的アイドルとしての責務を果たした。
この年に行われた第三回選抜総選挙では前田敦子が首位を奪回した。これまで「AKB48」の顔としてセンターに立ち続けた前田は、(少なくともシングル表題曲としては)はじめて “自分のために作られた” 曲を手に入れた。そして、この曲で日本レコード大賞を初受賞した。
また姉妹グループとして大阪にNMB、福岡にHKTが誕生し、組織が拡大した。
2012年 『永遠プレッシャー』 (センター:島崎遥香)
この年の2月、かつてAKBが所属していたSONYグループのレコードから「AKB48の公式ライバル」と称して乃木坂46がデビューシングルを発売した。SONYはのちに欅坂(現桜坂)・日向坂と「坂道シリーズ」の姉妹グループを続々とデビューさせることになる。
そして8月、目標だった東京ドーム公演を花道にして前田敦子が卒業した。劇場での卒業公演は地上派ゴールデンタイムに生中継されるほどの注目度だった。そして、社会現象としてのAKBはここで終幕を迎えた。
それでもAKBは続けて行かなければならない。次世代メンバーの発掘が急務とされた。9期生を中心に作られたチーム4のセンター島崎遥香がこの年のじゃんけん大会で優勝し、盛大に売り出された。握手会が隆盛を誇る中、塩対応と困り顔を売りにする逆張りの戦略が功を奏し、一定の知名度を得ることに成功した。
2013年 『恋するフォーチュンクッキー』 (センター:指原莉乃)
前年の選抜総選挙を圧勝した大島優子を一枚看板としたが、対立軸を失ったAKBは社会的な注目度が急落した。そんな中、ふたたび世間の注目を集める出来事があった。それまでバラエティ班だと思われていた指原莉乃が、この年の選抜総選挙で大島を破り首位に立ったのだ。前年にスキャンダルの制裁で博多のHKT48に移籍していた経緯も含めて、「アイドルらしくない」メンバーの快挙によってAKBらしさが復活した。
指原と同じくスキャンダルが発覚した峯岸みなみは、頭を丸めた上で研究生に降格し、これ以降は若手の育成担当にキャリアチェンジを図った。
また、篠田麻里子や板野友美の卒業を売りにした全国ドームツアーも大成功し、数字的にはこの年がAKBのピークになった。
2014年 『前しか向かねえ』 (センター:大島優子)
この年に、TOYOTAをスポンサーとして全国47都道府県から1名づつ選抜されたメンバーで構成される ”会いに行くアイドル ” AKB48チーム8が結成された。彼女たちはTOYOTA販売店の販促を兼ねながら全国各地を巡業し、AKB本体と地方の各グループの中間的な働きをした。
また、前年大みそかの紅白歌合戦で突如卒業発表をした大島優子が、この年に卒業した。3月の終わりに国立競技場で卒業コンサートを予定していたが、当日大嵐に見舞われてしまい、コンサートは6月に延期となってしまった。
その2ヶ月のエアポケットを突くかのように、大事件が勃発してしまった。握手会会場で川栄李奈を含む若手メンバーふたりが暴漢に刃物で襲われ、大けがをしてしまったのだ。奇しくも、会場はAKBが訪問を繰り返していた被災地、岩手県だった。握手会の存続が危ぶまれる中、事態の鎮静化を求めたファンたちの行動によって、選抜総選挙では正統派アイドルの渡辺麻友を1位に押し上げた。
2015年 『365日の紙飛行機』 (センター:山本彩)
大島優子が卒業してから、ふたたび勢いが失速したまま結成10年目に突入した。前年にグループすべてを巻き込んだ『大組閣』を行ったが、各グループの特色が薄れてしまい逆効果だった。シングル曲の選抜メンバーに姉妹グループのメンバーが多く入って来てAKB生え抜きのメンバーにチャンスが回ってこないなど、特に若手メンバーが抱える停滞感は大きかった。
話題といえば、総監督高橋みなみの卒業と横山由依への禅譲くらいしかなかった。
そんな中、NHK大阪放送局から朝ドラテーマ曲のオファーが来た。センターはNMBの一枚看板山本彩が指名された。シングルのカップリングでしかなかったこの曲は大ヒットし、皮肉にも売上ミリオン割れが懸念されていた状況を払拭した。
2016年 『君はメロディー』 (センター:宮脇咲良)
” 10周年記念シングル ”として、卒業した神7メンバーが勢ぞろいした『君はメロディ』が3月に発売された。センターはHKTの若きエース宮脇咲良。前述した理由により、AKBは自前での世代交代に大失敗していた。次世代メンバーの筆頭だった島崎遥香は、この年いっぱいで卒業した。彼女ですら、大所帯のセンターを務められるほどのメンタルとカリスマ性を持ち合わせていなかったのだ。
グループは相変わらず拡大の一途をたどっていた。この年から新潟のNGTが活動を開始した。一方で活動はオタク向けに閉じ続け、『SHOWROOM』などの動画配信やスマホゲームでの課金イベントが新たな活動の柱になった。
年末には紅白歌合戦では「夢の紅白選抜をみんなで選ぼう!」という企画が組まれ、TV一台につき一票のルールでの投票の結果、選抜総選挙を連覇中のHKT指原莉乃を抑え、NMB山本彩が首位を獲得した。AKBからはこの日で卒業する島崎遥香が3位、エース渡辺麻友は4位だった。
2017年 『11月のアンクレット』 (センター:渡辺麻友)
グループの拡大は止まらず、この年から瀬戸内6県を船上劇場で巡るコンセプトのSTU48が活動を開始した。AKBから14期生岡田奈々が兼任でキャプテンを勤めることになった。また無理やり指原莉乃をHKTとの兼任で劇場支配人に据えて話題作りを図ったが、劇場完成どころか着工前の段階で指原は要職を去るというドタバタがあった。
AKB本体の話題としては、創世記からAKBを支えていた神7の小嶋陽菜と渡辺麻友もこの年で卒業してしまった。知名度があるメンバーがほぼいなくなってしまったため、テレビ出演(特にCM)量も壊滅的に減少した。
沖縄で開催された選抜総選挙が台風襲来で無観客開催になったのもこの年だ。
2018年『Teacher Teacher』 (センター:小栗有以)
壊滅的な人材難を解消するために、前年末の組閣でAKBはチーム8の在籍メンバー全員を兼任というかたちで吸収した。これによってAKBの中心軸がチーム8に動き出した。東京都代表の小栗有以がシングル表題曲の単独センターを務め、『マジすか学園』から続くTVドラマシリーズでも主演を務めるようになった。
そして、10回目を迎えた選抜総選挙でアクシデントが起こった。11歳から10年近くSKEのセンターを務め続けた松井珠理奈の奇行と、それを原因としたネットの大炎上だ。子どもの頃から一番であることを求められ続けた彼女は、ようやくグループの頂点に立った瞬間をピークに一気にアイドルとしての栄光を失ってしまった。
2019年 『サステナブル』 (センター:矢作萌夏)
NGTを舞台に前年12月に起こった暴行事件から始まった一連のゴタゴタは連日ワイドショーやSNSを賑わせた。被害者である山口真帆は卒業し、グループ全体の信用も地に落ちた。TVやラジオの冠番組も、この年に次々と終了した。またこの年、3代目総監督に向井地美音が就任した。
一方、前年に行われた韓国との合同オーディション『プロデュース48』により選抜された、宮脇咲良をはじめ3名が韓流アイドルグループ『Iz*One』の一員として海を渡った。
オワコンとなってしまったAKB。運営は限られたオタクからの集金に執心し、オーディションでのメンバー選考権までもオタクたちに明け渡した。AKBに入ること自体が目的化してしまった応募者が目立つようにもなり、グループ全体が地下アイドル出身者のメジャーリーグ的な存在に変質してしまっていた。そのシステムの中で圧倒的な支持で選ばれたメンバー、矢作萌夏がシングル表題曲の単独センターに抜擢された。しかし彼女はこの曲を最後に卒業してしまった。
2020年 『離れていても』 (センター:横山由依)
16期生山内瑞葵を単独センターに年初に1枚シングルを出したところで、コロナ禍に見舞われた。劇場公演や握手会といった主要な活動がストップしてしまった。幸か不幸かネットを使った課金システムがあったために、活動は細々とではあるが続いた。しかし世間的な存在感は地に落ち、紅白歌合戦の連続出場も途切れてしまった。
肥大化したグループは再編成され、各地方や海外グループ統括など分社化された。AKBの運営会社はHKTとNGTを抱えるのみとなった。前田敦子や大島優子など卒業メンバーも参加した配信限定シングルを出したが、まったく話題にものぼらなかった。
2021年 『根も葉もRumor』 (センター:岡田奈々)
コロナ化が続く中、2年半に活動期間を終え『Iz*One』の3名が戻って来た。しかし宮脇咲良は帰国早々に卒業してしまった。また、AKB本体でも最後の1期生峯岸みなみが、コロナ禍で延期されていた卒業コンサートをようやく行って卒業していった。
1年半ぶりにようやく発売できたシングルは、「どえらいダンス」がキーワード。選抜メンバーは、キングレコードに移籍して以来はじめて「純AKB」のメンバーのみで構成された。
センターにはSTUのキャプテンを先日まで兼任していた岡田奈々を据えた。本体生え抜きの次世代メンバーでは向井地総監督と二人だけの生き残りだ。
両脇を固めるのはチーム8きってのダンスメン。『Iz*One』から戻って来た栃木県代表本田仁美と、ロックダンスが抜群に上手い青森県代表横山結衣。裏センターには小栗有以と山内瑞葵のセンター経験者を配置し、アイドル性を加味していく。病み上がりのアラサー柏木由紀や前総監督横山由依が2列目に控え、フォーメーションの要である最後列のセンターはチーム8熊本県代表の倉野尾成美が構える。
かくしてAKB本体とチーム8は幸福な融合を果たしたのであった。
コロナ禍で活動が停滞していた1年半あまりの時間は、彼女たちには無駄ではなかった。かつての栄光と共に、地に落ちた評判もいつしか忘れられた。時代の荒波に耐えて生き残ったメンバーのみで繰り広げられる躍動感あふれるパフォーマンスは、AKBのイメージを上書きした。『どえらいダンス』はtiktokでも大ブレークを果たし、新たなファン層の開拓が期待される。
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AKBを立ち上げた時に「続けることに意味がある」と言ったのは、創設者の秋元康だった。宝塚や歌舞伎のように末永く活動が続けられること、それが今後のAKBが目指していく目標になるのだろう。
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