読書メモ 『ナチスは「良いこと」もしたのか』
読んだ。『ナチスは「良いこと」もしたのか』
・平時ではない時に生じる断絶や変化を切り取ることに大きな意味がある。過去を切り取るときに自分のその時の立場とまったく無縁で入ることは不可能だが、自分にも他人にも色があることを認めた上で、切り取られたものの妥当性を相互チェックするというのが学問本来のあり方だろう。
・歴史的事実は「事実」「解釈」「意見」の三層に整理して検討できる。事実だけでなく、当時の人々がどう思っていたかという「心性」のような問題も歴史学は扱う。そのようにして積み上げられた歴史研究の蓄積によってなされた解釈が、非常に重要視である。事実のレベルから意見の層へと飛躍してしまうと、全体像や文脈が見えないまま個別の事象について誤った判断を下すことが多い。
・ナチズムの訳語は「国民社会主義」である。ナチスを考える上で欠かせないのが「民族共同体」という概念。争いが絶えなかったドイツで「城内平和」という挙国一致体制が叫ばれた
が第一次世界大戦に破れ、ワイマール共和国が成立しても内部対立が続いていた。そのような状況でナチ党が振りまいた夢、「政治的、社会的、宗教的な対立のない、議会も政党もない調和的な国民国家のビジョン」が、民族共同体だった。
・民族同胞であれば階級や出身地域などに関係なく対等な人間とみなされ支援を受ける一方、「共同体の敵」とされた人々は排除され、追放され、生殖を阻まれた。こうした包摂と排除のダイナミズムこそがナチ体制の本質だった。
・急進右派のひとつに過ぎなかったナチ党は世界恐慌を追い風にして、反ユダヤ主義的な言動を抑制して急進した。ゲッペルスのプロパガンダによって、ヒトラーは国民統合の象徴となった。政権与党だった国会人民党の政権運営戦略によってヒトラーは首相に担ぎ出されると、わずか数ヶ月で一党独裁態勢を築いた。
・多くの国に存在しドイツでも第一次世界大戦中に拡大した「社会的反ユダヤ主義」が、ナチ体制によって「政治的反ユダヤ主義」に転換した。ナチ党の街区指導者による監視によって、明示的な命令がなくてもユダヤ人の社会的排除が日常的なレベルで進行していった。
・ナチ政権は「メフォ手形」という疑似公債を発行したり、フランスに「ドイツ信用銀行証券」という軍票を発行したり諸外国との貿易において「清算口座」を開設したが、ことごとく支払いを踏み倒して、国内経済を維持した。またらユダヤ人からの「アーリア化」による収奪や外国人労働者な強制労働を行った。
・ナチ政権は民族・業績共同体の実現を目指し「ドイツ労働戦線」を設立した。福利厚生策として、「歓喜力行団」によって富裕層のシンボルだった余暇活動を労働者層にも提供した。もっとも、労働者の生活を余暇の時間まで含めて全面的な統制の対象にする目的があり、また優遇措置によって民心をつなぎとめる思惑もあった。
・ナチスは伝統的家族観への回帰を強く求めた。そこで、母の日を大々的に祝ったり、「母親名誉十字軍」制度での表彰や、一人産むごとに1/4づつ返済不要になる貸付金制度などを作った。もちろん対象者は「民族同胞」のみだった。さらに第二次世界大戦によって労働力不足が深刻になり、働く女性への支援すら行われるようになった。
・社会が急激に変わりすぎていることへの反発として生まれた「郷土保護運動」を背景に、ナチ政権は自然保護運動を行った。また、東部入植にあたりドイツの文化的な景観を移植したいという思惑もあった。動物愛護にも熱心であったが、これはユダヤ教が教義として持つ動物の残虐な殺し方へのカウンターであった。有機農法にも熱心だったが、戦争によって化学肥料の輸入ができなくなった時に備えてのものだった。
・ナチ体制には「民族体」というドイツ民族を一つの身体として捉える考え方があり、健康は個人ではなく民族全体に関わる問題となった。アルコールやニコチンの害を啓蒙するとともに、中毒者の断種手術が強制された。しかし軍人の士気高揚や税収確保の観点から、徹底されることはなかった。
・ポリコレへの反発でナチスを美化する人もいるが、別に結果として多少良いことがあったとしても、また他の国家や主義者が悪行を働いていたとしても、「悪の相殺」ができるわけではない。そしてそこに、過去の研究の積み重ねから謙虚に学んでそれを批判的に乗り越えていく姿勢はほとんど見られない。
・「自由』にものを言いたい欲求と「本当のこと」を知っている優越感を満たすために、一部の人は断片的な事実から意見へと飛躍してしまっている。啓蒙活動に限界はあるが、それでも専門家は「歴史知識」を伝えるだけではなく「歴史意識」にまで踏み込んで語りかける必要がある。
#読書記録 #ナチスは良いこともしたのか