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2022年夏、青春18きっぷを使った伏線回収旅 ” 旅先で『日常』を走る ~spin-off⑫~ 前編 "

今年のお盆休みは、8/13から17日までの5日間となった。

この連載では何度も話しているが、私は大学を出てからずっと飲食業に従事しているので、お盆や年末年始などいわゆる暦通りの休みを取ることなく20年以上過ごしてきた。ところが、転職やコロナ禍による業務転換など思わぬ要因が重なり、最近ではようやく人並みに盆暮GWに5日間づつの休暇を取れるようになったのだ。

まとまった休みを過ごすことに慣れていない私は、休暇を目いっぱい使って旅に出るようにしている。今回は8/12金曜日の勤務を終えた後、東京駅近くのバスセンターから深夜発の高速バスに飛び乗って山形に向かった。

8/13 山形県内を縦横無尽に味わう

山形駅前には6:20頃に到着した。

山形駅には2020年の大晦日に足を踏み入れたのだが、折しも大雪に見舞われており鉄路が翌日までの計画運休を決めてしまっていた。本来は山形県を縦断してから秋田県に入る行程を組んでいたのだが、やむなくあきらめて山形駅前から仙台駅行きのバスに乗って踵を返したのだった。
今回はその時に訪れる予定だった場所を訪れつつ、兼ねてから行きたかった場所にも寄り道する算段になっている。

まずは山形駅から10分ほど歩き、霞城に向かった。
ここには3年ほど前に訪れたことがあり、夕暮れの城内を一周走った記憶がある。今回はキャリーバッグを引きづっていることもあって走ることはないが、早い時間に到着してしまいひとまず時間をつぶさなければならない事情もあるので、軽く散策をするつもりだ。

線路沿いにひたすら進んで行くと、眼前に霞城のお濠に突き当たった。濠沿いいにしばらく進み、城内への入口にたどり着いた。

時刻はちょうど6時半。どこからともなくラジオ体操の音源が流れてきた。あたりを見回すと、けっこうな数の人たちがラジオ体操にいそしんでいる。

みんなこのために自家用車でこの公園まで乗り付けているのだろうか?

体操の一群から距離を置き、私は公園内を軽く一周散策する。

以前夕方に訪れた時よりも、断然多くの人たちが犬の散歩をしたりベンチに腰掛けて歓談したり、山形県の中心地にある城跡の公園を活用し楽しんでいる。

入った場所とは違う門から出て、ブレックファーストを摂るために駅前に戻る。

ブレックファーストは、リッチモンドホテルのバイキング1,800円を奮発した。

芋煮や玉こんにゃくなど山形名物が多数並んでおり、貧乏性の私はなんとか元を取ろうとすっかり食べ過ぎてしまった 笑。

では腹も満たされたところで、次の目的地に移動しよう。

新庄行きの各駅停車に揺られ小一時間。新幹線停車駅でもある大石田駅に到着した。

駅前のコインロッカーにキャリーバッグを預けて、路線バスに乗り込む。バスは市街地をあちこち寄り道しながら、40分ほどで銀山温泉に到着した。

じつは、2020年の大晦日に山形駅からこのルートを通って銀山温泉に来る予定だったのだ。雪化粧を纏った温泉街を堪能したかったのだが、その時は想像以上の大雪に阻まれて足を踏み入れることができなかった。「さすがに真夏なら障害は少ないだろう」と、今回再チャレンジすることにしたのだ。

宿泊客がチェックアウトした後の時間帯だけあって、想像していたよりも人出は少ない。それでもお盆休みの真っただ中、家族連れを中心に温泉街は賑わいを見せている。

” 銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができます。”

銀山温泉の歴史

映画『千と千尋の神隠し』の舞台とも噂されるこの地。大正浪漫をコンセプトにしているだけあって、撮影所のセットに紛れ込んだような錯覚に陥ってしまう。周囲は山々に囲まれていることもあって、非日常感が際立っている。

念願かなってようやくたどり着いた銀山温泉。さっそく探検することにしよう。私はリュックからノルディックポールを2本抜き出し、セットする。温泉街から銀山まで、ノルディックウォークで進むことにした。
いざ、スタート!

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まずは、川沿いに進む。

温泉街の外れに滝があり、その手前の橋を渡ると長くて細い上り坂が続いている。周囲には家族連れが2組。どちらも、両親と女の子2人という組み合わせだ。細道は至るところで二手に分かれるが、少し進むと結局1か所に合流する。先ほど道を分かれた家族連れとも、すぐにまた合流してしまう。なんだか、物語の世界に紛れ込んでしまったかのような不思議な道のりだ。

川を上流に向かって進んでいるため、川筋は徐々に細くなり曲線を描き、流れは激しくなってきた。岩肌にぶつかった流れの一部が空中に跳ね、飛沫になって周囲に飛び散る。それが川を抜ける風に乗ってこちらまでやって来て肌に纏わりつき、冷ややかな触感を感じる。

渓流に架かる橋を渡り、なおも上流へ向かう。先ほどの賑わいが嘘のように、周囲には切り立った山ばかり。渓谷と称しても大げさではないほどに感じられた。

進行方向の左側、山肌に空いた大きな穴から冷風が吹き付けてくる。

『夏しらず抗』

” 夏しらず坑は坑口のひとつで、クーラーのような冷風が常に吹き出し、さっと汗をひかせてくれるスポットです。”

風の通り道である川沿いに、長椅子が用意されている。帰り道には、ここで休憩しよう。

もう少し進むと、左手に急な上りの坂が現れた。その道を上って行くと、お目当ての延沢銀坑洞の入口に到着した。

どうやら、坑道に立ち入れるようになっている。内部を見学できるとは思っていなかったので、ちょっとしたサプライズに心が躍る。我々探検隊(隊員1名)は、さっそく内部に潜入することにした。

岩に囲まれた急な階段を下り狭い穴を道なりに進んで行くと突然視界が開け、目の前には大きな穴、そしてその中に通された木製の渡り廊下状の見学通路があった。

坑道内の湿度は高くなっており通路も滑りやすく、また半袖1枚では肌寒いくらいに気温は低い。岩肌は照明に照らされて黒光りしている。人間が硬い岩盤に開けた大きな穴。これだけの穴を開けるには江戸時代の技術ではどれくらいの労力を要したのだろうか? 思いを馳せても想像がつかないほど果てしない。

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来た道をそのまま下り、銀山温泉に戻ってきた。涼しいとはいえ夏の真っ盛りだ。身体が汗ばんでいる。立ち寄り湯の『しろがね湯』で汗を流すとしよう。

入口に、「満員につきお待ちいただきます」という内容の張り紙があった。受付のおっさんに「ここで待っていればいいですか?」と声を掛けると、「すぐに入れますよ」と返答があった。なんだよ、それなら張り紙いらないじゃないかと思いつつも、入湯料500円を支払い湯に浸かった。

先客は1名。ちょうど湯上りで、私と入れ違いになった。しばし男湯を独り占めにする。かけ流しで浴槽に流れてくる温度は高く、少し水で薄める必要がある。硫黄臭がする湯質で、肌に若干のピリピリ感が生じる。バス旅で凝り固まった筋肉がほぐれていく。
他の人が入ってきたのを機に、湯から上がることにした。

靴を履き外に出る際に、受付のおっさんと他のお客さんの会話が耳に入った。どうやら混んでいるのは女湯の方らしい。謎は解けた。しかし、それならそうともっとわかりやすくした方がよいとも思った。
そういえば、ここまで乗ってきたバスでも「1万円札は崩せないから、駅前の売店(徒歩3分)でやってもらって」という対応があった。コンセプチュアルで自然も遺構もある良質な観光地なのに、細かいところで使い勝手が悪いのはとても残念だ。

さて、気を取り直して水分補給にいそしもう。まずはカットスイカから。

甘い! 瑞々しい! 量が足りない!

ということで、今度はカフェに入りすいかジュースを堪能した。

ここ尾花沢市はすいかの名産地だそうだ。たしかに、そこかしこですいかばかり売っている。

しまいに、豆腐屋の店先で冷やされているすいかに目をひかれ、立ち食い豆腐まで購入してしまった。

ついでにスイカサイダーも。

余談だが、カットすいかを購入するときに「支払いはSUICAで」と言うのがとても恥ずかしかった。

食後は足湯スポットでボーっとしながら駅までのバスを待つ時間をどうやって潰そうか考えていた。「いっそのこと、駅まで走るか」と思い立ち、銀山温泉を後にした。さらば銀山よ。

しかし、1㎞ほど走ったところで一天にわかにかき曇り、集中豪雨に見舞われてしまった。

私は沿道の土産物屋に避難し、ついでに温泉まんじゅうを入手して頬張りながら雨脚が弱まるのを待ち、しばらくしてから傘をさして銀山温泉まで徒歩にて戻った。
ただいま、銀山温泉!

駅に戻るバスは定刻を10分ほど遅れて到着したが、なんとか乗り継ぎ予定の電車には間に合った。

この路線、各駅停車は1本逃すと90分ほど待たなければならない。山形新幹線も停車するのだが、じつは今回の旅は『青春18きっぷ』を使用して各駅停車で各地を回ることにしているのだ。

終点の新庄駅で、酒田駅行きに乗り換える。ところがこの路線、沿線工事の都合で運休となっており、代行バスでの輸送を行っているのだ。
駅の改札を出て、バス乗り場に移動する。乗り継ぎ時間は意外にタイトだ。駅員さんに急かされながら、バスに乗り込んだ。

バスは線路に沿ったり最上川と並走したりしながら、2時間近くかけて酒田駅に到着した。

10万人規模の市の中心駅にしては寂しい駅前に、小綺麗でこじんまりとした駅舎がポツンと立っている。

駅舎に入り、さっそくコインロッカーを探す。

なんと、Suica対応だ! 親切。しかしこのサイズで500円はちょっと高いぞ…… まあ、仕方ないか。
では、キャリーケースを詰め込んだら、酒田の街を走り抜けるとしよう。

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まずは、駅前のロータリーから伸びる目抜き通りをまっすぐに抜ける。

休日の夕方、人通りも車の通行も寂しい。駅前なのに商店もほとんど見当たらない。

Googleの案内に従って左に折れ入り組んだ路地を進んでいくと、公園に突き当たった。

公園の中を進んでいくと、展望台になっている一角に出た。どうやらここは高台になっているようだ。

少し先には日本海が広がっている。

展望台脇の階段を下り公園を出て、なおも海に向かって下っていく。階段には猫が4~5匹。

意に介さず階段を下っていっても、母猫のおぼしき猫と子猫一匹はその場を動かずこちらを見つめている。子猫に手を伸ばしても嫌がることなく、撫でられるままになっている。ずいぶん人馴れした猫だ。

時間に限りがあるため、先を急ぐことにする。海沿いまで一気に進み、『さかた海鮮市場』の前にたどり着いた。

すでに18:00で閉店していたが、ここでは酒田港で水揚げされたばかりの鮮魚を購入したりレストランで海鮮丼などを食べることができる。

そのまま海沿いを進み、今度は海に注いでいる川を上流に向かって舵を取る。しばらく進むと、右側に年季の入った倉庫が立ち並んでいる。

" 山居倉庫は1893年(明治26)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられた。舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えている。"

山居倉庫

本当はこの真裏に流れる最上川沿いがインスタ映えスポットのようだが、少なくとも今の夕暮れ時は、正面から見る明かりを灯した倉庫群とその川面に映った姿を眺める方が圧倒的に美しいであろう。

しばしその姿に見惚れつつ、橋を渡り倉庫街を一気に駆け抜ける。
さあ、ここからは駅に戻る道のりだ。

ここからひたすら直進し、酒田駅に戻った。駅の手前に新築されたと思しきバスターミナルと、隣の建物に併設された図書館が目に付いた。駅周辺の再開発も進んでいるようだ。

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駅に戻ったら、今日のディナーの食材調達にいそしむ。地下通路を通って逆口に出て、地場スーパーで値引きシールが貼られている食材を中心にチョイスした。

酒は、せっかく山形まで来たので大好物の『初孫 魔斬』をチョイスした。 ” なんでこんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物。”

酒田から各駅停車で鶴岡駅に到着したのは、20:30頃。

今日はここに宿を取ってあるのだ。

駅から10分弱歩いたところに、今日の宿はある。『ビジネスホテル白樺』。

昭和の香りを残したこのホテル。「洗濯をしたい」という私に、フロントのおっさんは「水圧が弱いので、洗濯にはとても時間が掛かる。どうしてもやりたいならやってもいいけど…」などと面倒くさい対応をしてくる。実際に洗濯機を回すと、30分で終わるはずの洗濯が1時間ほど掛かった。しかし21時で消灯されるはずのランドリーは、私の洗濯が終わるまで点灯されていた。

洗濯中に立ち寄った近所のコンビニになぜかドンペリが売られているなどのちょっとしたサプライズを受けつつ、私は無事に洗濯を終えて床に就いた。


8/14 鶴岡から日本海沿いに新潟へ向かう


旅行2日目の8/14。私は7:40に宿を出発した。フロントのおっさんは、私の濡れたシューズをボイラー室に移して乾かしてくれていた。

鶴岡駅の待合室にあるコインロッカー(700円!)にキャリーバッグを詰め、駅前の停留所から羽黒山山頂行きのバスに乗り込んだ。バスは庄内平野の平坦な道をのんびりと進み、40分ほどで随神門前に到着した。

鳥居をくぐったすぐ先にある赤い門。これが随神門だ。

私はこれからこの門をくぐって羽黒山をノルディックウォークで登り、山頂近くにある出羽三山神社に向かうのだ。

“ 出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で江戸時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。明治以降神山となり、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読命、湯殿山は大山祇命、大国主命、少彦名命の三神を祀る ”

出羽三山神社ホームページ

出羽三山神社にはこの三神すべてが祀られており、参拝すれば出羽三山巡りと同様のご利益があるとのことだ。もちろんバスで直接神社のすぐ近くまで行けるのだが、さすがにそれでは労力を惜しみすぎだと考え、せめてこの山だけは登っていくことにしたのだ。

では、スタート。

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随神門をくぐると、目の前に下りの階段が続いている。

これから山を登るはずなのだが……

階段は濡れていて、突いたポールの先が滑りバランスを取るのに苦心する。階段を下りきったところで、道が右に曲がっている。道なりに進んでいくと赤い橋が架かっている。

右手頭上からは滝が流れている。ここ数日東北地方を襲った大雨の影響か、轟音を立てて落ちてくる水量が半端ない。

滝つぼの脇にある神社の祠の周囲にまで滝からの水が流出し、溢れている。足を滑らせて水中に落ちたら一巻の終わりだ。気を付けて滝の真下まで移動し、しばしその流れを見続けてしまった。壮観だ。

元の道に戻り、先を進んでいく。
突き当りに巨大な杉の木が一本、空に向かって屹立している。爺スギと呼ばれているようで、樹高が42mほどあるとのことだ。隋神門から約1.7キロメートル続く石段の両側に推定樹齢350年から500年超と推定される総計400本以上もの杉並木が続いているが、その中でも断トツの大きさを誇っている。

その右側に少し離れて、五重塔が建っていた。

この塔は平将門が建立したとされている。山の中に独立して立っている五重塔は初めて見た。まだ朝9時頃だが、この周囲をけっこうな数の観光客が取り囲んでいた。中国人カップルが互いに写真を撮り合っている。

さあ、ここから本格的に上りに入る。巨大な杉の木が両側に並んでいる医師段を2本の足と2本のポールを駆使して登っていく。

ハイカー風のいで立ちをした老夫婦何組かとすれ違う。すれ違い際に「こんにちは」と声を掛け合った。こんな感じで快調に進んでいったが、徐々に勾配が急になり息が切れてきた。

「一旦休憩したいな」 そう思ったところで、ちょうど左手に茶屋を発見した。まだ開店したばかりで、店内も空いている。私はさっそく入店し、シンプルに砂糖水のシロップが掛かったかき氷で喉を潤した。

茶屋から麓の景色を見下ろしてみる。

もうこんなに上って来たのか。なかなかの眺めだ。
店内が混雑して来たので、食べ終わったところですぐに席を立った。

ここから先は勾配が緩やかになる。静寂に包まれ木漏れ日が差しこんでくる石段を一歩一歩踏みしめて進む。雨上がりの草の匂いが鼻をついてくる。ほとんど誰ともすれ違わないので、マスクは外している。
計2,446段を歩み、私はついに出羽三山神社の鳥居に到達した。

さっそく三神合祭殿に参拝する。

" 羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)と見立てることで、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」となって広がりました。"

日本遺産 出羽三山

お盆の中日、午前中に無事生まれ変わりを果たした私は、下りに向かう前にベンチに腰掛け小休止する。

山形に来ていることを私が所属しているランニング部のFacebookグループに投稿すると、ツアコンを仕事にしているU原さんから「え!一昨日からわたしお仕事で山形にいます〜 すれ違いランできるかしら。笑」「羽黒神社には一昨日いました。今日は午後から湯殿山神社です」とすぐにリプライが返ったきた。意外なところでニアミスするものだ。

どうやら、世界は思っているより狭いようだ。

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上って来た道をそのまま随神門までノルディックウォークで下ってきた。鶴岡駅まで戻るバスを待つ間に、みやげ物屋兼茶屋のような店構えの店に入り、カットすいかを食べて喉を潤した。

バスで鶴岡駅に戻ったのは13時頃だった。次の目的地に向かう電車は、15:10に発車する予定だ。時間つぶしがてら、鶴岡の街を走ろうと思いついた。

キャリーバッグを取り出し、駅から500mほど歩いたところにある『エスモール』というバスターミナルが入った商業ビルまで移動してトイレでランニングウェアに着替えた。ふたたび荷物をコインロッカーに預ける。500円也。100円玉しか使えないので、自販機で飲み物を購入して小銭を崩した。こういったひと手間が以外にストレスになるものだ。

気を取り直して、準備体操を済ませたらさっそく走り出そう。BGMにはマイケル・ジャクソンをセットした。準備万端。

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バスターミナルを出て、すぐに線路を渡る。渡った先しばらく直進したあと左に折れ、幹線道路に出る。少し幹線道路に並走したところで三差路にぶつかり、信号を渡り左に進んでいく。見渡す限り水平線が拡がり、その先に山脈が立ち並んでいる。いかにも庄内平野を走っている、という実感が沸いた。

少し進んだところで、ある看板が目に付いた。

『鶴岡サイエンスパーク』

” 2001年、慶應義塾大学先端生命科学研究所(以下「慶應先端研」)の誘致・開設によって幕を開けた鶴岡サイエンスパークは、県と鶴岡市の行政の支援をベースに、大学、民間企業、そして市民をも巻き込み、今、世界が注目する実績と未来への大きな可能性をもった面白い「街」に成長しつつあります。”

山形県オフィシャルサイト

いわゆる「産・学・官」連携の地域活性化事業のようだ。3年ほど前に、私の知人が数名ここで開催された泊りがけのシンポジウムに参加していたのを思い出して寄ってみたのだ。

碁盤の目状に整備された道をジグザグに進んでいくと『スイデンテラス』という宿泊施設の入り口まで来た。

” この土地を象徴するランドスケープである水田から着想を得て生まれたホテルがSUIDEN TERRASSE。田んぼに浮かび、周囲の山並みや田園風景に溶け込むような佇まい。”

【公式】スイデンテラス

日本を代表する穀倉地帯、その水田を借景にするホテルのようだ。たしかにこの環境は落ち着いて過ごすには最高だろう。

サイエンスパークを一周し、線路の方に舵を切って進んでいくことにする。

水田の間、農道になっている道を進む。
我がランニング部の部長も3年前にシンポジウムに出席してここに宿泊していたが、その時の「朝コーヒーか何かを買いに行くついでに宿の近くを走ったのだがあまりにも何もない風景に戸惑った」というようなSNSの投稿を読んだことを、不意に思い出した。

線路を渡り、さらにしばらく住宅地を直進していく。川沿いの道に入り、また民家の間をウネウネと進んでいく。大通りに出たところで、水色の壁が特徴的な洋館に出くわした。

致道館という建物らしい。

道を挟んだその向かいにはお堀が通っている。

これは鶴岡城の外堀で、その向こうが鶴ヶ丘城址公園となっている。

公園の中に入り、石垣に沿って走り抜けた。

公園を出てひたすらまっすぐに進み、スタート地点のエスモールに戻った。ゴール!

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荷物を取り出してトイレで着替え、館内の店で鶴岡名物『麦切り』のランチを摂った。

そば粉の代わりに小麦粉を使った蕎麦だった。

その後私が乗り込んだ電車は、予定通り15:10に鶴岡駅を発車した。
私は車窓を眺めながら、「そういえば、あの時部長が投稿した文章はどこに載っていたんだっけ?」と疑問を持ち、手元のスマホでいろいろなSNSを物色してみた。しかし、どのSNSにも該当する投稿は残っていなかった。部長本人に聞いてみるのが最も手っ取り早いのだが、そうはいかない事情がある。部長は、去年の10月に亡くなってしまったのだ。

電車は山形県から新潟県に進み、乗車してから1時間半ほどで村上駅に到着した。私はここで下車し、瀬波温泉で軽く汗を流すつもりだった。

しかし、改札を出ると目の前は集中豪雨。ここから温泉までは片道2km以上あるのだ。私は温泉に浸かることを諦めて待合室で次の電車を待ち、40分後に到着した後続の電車に乗り込んだ。

しばらくすると、車窓から見える空には晴れ間が見えてきた。大きな夕日が日本海に沈んでいく。

村上駅から1時間ほどで、電車は本日の宿泊地である新潟駅に到着した。

 NGT48の劇場公演を観覧するために今まで7〜8回通った新潟であるが、じつは宿泊するのは今回がはじめて。公演終了後、最終の東京行き上越新幹線で帰宅するのが常だったのだ。

宿に向かう前に、まずは腹ごしらえをしよう。通い慣れた『須坂屋』で、へぎ蕎麦と天ぷらに地酒の〆張鶴を合わせる。

いつもと変わらぬ美味。3年半ぶりに訪れたが、何もかも変わっておらず一安心だ。

数多くの色紙が並べられている中、一枚だけ特別扱いされているものも変わりがなかった。

さて、宿のチェックイン期限が迫っているので、ここからは急いで進んでいこう。

万代の繁華街を抜け、新潟日報本社ビルの先に架かっている万代橋を渡る。古町のアーケードを途中で右に曲がり10分ほど歩くと、今日の宿『本田旅館』だ。

チェックインすると、フロントのお婆ちゃんにやたらと話しかけられた挙句、明朝はご主人の運転する車で新潟駅まで送ってもらえることになった。ラッキー!

8/15 終戦記念日に新潟県を横断する


8/15。朝7:50にチェックアウトし、宿のご主人の案内で近所にある神社に立ち寄った。

なんと、狛犬がクルクルと回転する、世にも珍しい仕様となっていた。

新潟駅まで送ってただく車中で、宿のことをいろいろと聞いた。曰く、近くにある造船所へ出稼ぎに来ている人たちがメインの顧客で、長い人では数年に渡って暮らしているとのこと。コロナ禍で保健所の指導が厳しくなって賄いを出せなくなってしまったことが無念だとのこと。

無事に新潟駅に送り届けられたが、目当ての電車まであと40分ほどある。私は万代バスセンターまで歩いて、ブレックファーストを摂ることにした。目当ては立ち食いそば屋のカレーライス。

なんという行列の長さ。どうやら8時のオープンに合わせて帰省客が殺到しているようだ。元々立ち食い蕎麦屋でひっそりと売られていたカレーライスが、なぜこんなに地元民の支持を受けたのだろうか?

20分ほど並んで、ようやくカレーライスにありついた。

並んでいる人たちがこぞってミニカレーを注文していたのを見てはいたのだが、食べてみてその理由がわかった。「量多すぎ!」 お味は典型的な蕎麦屋のカレーで、鰹出汁が効いてご飯が進む系の一品だった。

新潟に足を運ぶようになってから一度も食べる機会がなく、今年の元旦にも通りすがりにこのカレーを食べるためだけに新潟に寄ったのだが、残念なことにその日だけ店休日だった。

これでまたひとつ、伏線を回収できた。

充実した心とお腹を抱え、新潟駅に戻った。8:55発長岡行きに乗り込む。
今日も長い一日になりそうだ。


(後編に続く)


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蒲公英
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