不理解を理解すること
Netflixで「地上の星たち」を見て、最近長く考えていたことを書き記そうと思う。
「きっと、うまくいく」に主演した、アーミル・カーンの監督作品。本作では美術教師としても出演をしている。
主人公は失読症を患う8歳の男の子、イシャーン。
インドの差別意識は、日本よりも高いと言われている。ノーマルであるということ。テストの点数が高得点獲得者以外は、クズ扱いをされてしまうこと。障害者は不当な扱いを受けてしまうこと。そんな社会問題がテーマとなっている映画だ。
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印象的なシーンがある。
イシャーンがクラスの生徒や先生と折り合いが合わず学校をサボってしまい、人通りの多い街へ繰り出してしまう。数日後、無断欠席をしたことが親にバレてしまい激怒される場面だ。
イシャーンの年齢は小学3年生くらい。日本であれば、電車通学している子ども少なくない年だ。
ただ、ここはインド。日本とは違い、ちいさな子供が誘拐され、人身売買の対象にされてしまうという危険性がある。ましてや普通の子どもよりも深く考えて行動できないイシャーンだからそこ、通りに無断で出てしまったことに激怒したのだ。
課題は"怒鳴る"ことではない。
勉強ができない、親の言うことを理解できない根本的な原因は、もっと別のところにあるのではないか。街に繰り出したときに何を感じたのか、直接聞いてあげなくて良いのだろうか。そんな疑問が、親から生まれてこないことだ。
親であれば心配が先を越し、怒鳴ってしまうのは当然。しかし、子どものことを理解している(と思い込んでいる)から怒鳴る、という親の誤った認識がひとつの原因だと思っている。
「なぜ他の子はできるのに、あなたはできないの?」という発言をよく耳にする。あなたは普通ではない、という発言をしながらも親自身は「私の子どもは普通なはずだ」思い、病気や障害を疑わない。これは時として間違いを産むこともある。
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障害に対する意識は、日本も案外変わらないと思っている。
私の身近には、「ちょっと変わっている」家族がいる。そう、彼女はグレーゾーンなのだ。
発達障害は重さの定義がない。個性が尊重されるようになり、より見極めが難しくなりつつある。
彼女はADHDやLDに似た症状がある。ちいさい頃、妹は発達障害の子どもたちが集う園に通っていたが、数年後に通常保育の園に移動し、通常学習を受けるようになった。当時は症状、親の方針、彼女の将来を考えて、グレーゾーンという結果が出たと理解している。
子どもの頃、親からグレーゾーンという説明がないことで"なぜ妹は他の子と違うんだろう"と悩むことが多かった。彼女への理解に苦しんだことは、今でも胸の奥底のしこりとして残っている。親は「あの子は"普通の子"と同じだから」といつも言っていた。しかし、学習がうまくできないことに対して苛立ちをみせ、家の中では常に喧嘩が絶えなかった。
現在、彼女はウエイトレスのアルバイトとして、それなりに仕事を楽しんでいるようだ。ただ、何かひとつでも問題に直面すると、親と子の言い争いが絶えない状況は変わっていない。
グレーゾーンについて家族に早い段階で説明をしていたら、私は彼女とどんな付き合い方ができていたのかと考えることがある。もしかしたら、彼女は今よりももっと楽に生きれたのかもしれない。
親の時代には発達障害が一般的に広く認知されていなかったことも原因だったはずだ。親なりの、子どもへの気遣いだったと考えられる。私は、自分の親は精一杯の思いやりで接していたと理解しているし、今以上に良くなっていたかどうかも分かりかねる。障害とは、家族みんなの長い課題なのだ。
不理解を理解する。
今からでも始められれば、私も、家族も少しは楽に生きれるのかもしれない。
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