コーラに怒り、イノシシに泣いた2021年の振り返り
廊下の風がひんやりと両腕に感じられて「風呂上がりに半袖は寒いな」と思い、ふと考えてみたら今は12月だった。もうすぐ今年も終わりである。流石に長袖のパジャマを着て脱衣所を出ないと寒い。
そう、もういくつ寝るとお正月の時期だ。お年玉は誰からももらえないが、歌の通り今年の残りは寝る、いや、冬眠して来年を過ごそうと思う。仕事は終わり。プライベートも終わり。たくさん肉を食べてお布団とひとつになりる時がきた。
ただ、冬眠に入る前にやっておきたいことがある。それは今年の振り返りだ。今年の振り返りだけはやっておきたい。
来年は飛翔する年にすると決めている。羽をはやし、空を自由に飛び回り、大気圏に誤って突入し、アチアチと燃えて灰になる。そう心に硬く決めている。
高尚な目標を掲げているので、今年の反省は必要である。なぜ反省が必要かというと、ビジネスで言うPDCAをやらねばならないのだ。
PDCAとは、“パッと思いつき、ドンっとやるのは、ちょっとした、アホ”という標語だ。イギリスの経済学者であるジェームズ・ボンド18世によって作られた。簡単に言うと、過去を振り返りながら計画を立てて物事に取り組んでいきましょうという意味の言葉だ。
そう、つまり、飛翔人間になるためには今年の振り返りが必要なのだ。
ということで今年を振り返っていこうと思う。
まずはよくなかったことから。
これは一つしかない。コカコーラ社のスーパーにおける500mlペットボトルの廃止だ。コカコーラ社がマーケティングでイノベーションしたところ、500mlではなく350mlと700mlに分けたほうが売上が増えるという結論になったらしい。
正直、この政策に対しては、怒りすら覚える。漢字2文字であらわすと憤慨。おじさんが使いそうな時代遅れの言葉であらわすと、チョベリバもしくはマジ卍。
僕はコーラもしくはコーラゼロ500mlをほぼ毎日スーパーで買い続けてきた。会社が終わると、スーパーに向かい、買い物と一緒にコーラを買い、車の中で一気に飲む。そういったことを楽しみに働いてきた。
500mlとはペットボトルにおける黄金比だ。足りないわけでもなく、余るわけでもなく、車内でラッパ飲みするにはちょうどいい容量なのである。
この最適解をコカ社は自ら取り下げてしまった。しかも僕の行っていたスーパーでは、500mlを置いていたショーケースの最下段すべてが、しれっと350mlに変えられていた。プライスカードにミジンコのような小さい文字で350mlと書かれていたけど、気づくわけがない。
じゃあ750mlを買えばいいだろ、容量が多い分には問題ないだろと思われるが、それはその通りだ。僕もそう思った。750mlを買って、余った分は家で飲めばいい、その考えは正しい。
ただ、ひとつだけ問題があった。
僕のいくスーパーでは750mlはショーケースに入れられず、常温で保管されているのだ。
これに関しても怒りを覚える、10年来のコーラ愛飲者を舐めているのだろうか。
涼しさを取れば量が足りず、量を取れば涼しさが足りず。
しかも750mlを毎日飲んでいたところ、またもや体重が増えてしまったし、痛風にもなってしまった。
コカコーラ社により健康が悪化したことを考えると、スーパにおける500mlペットボトル廃止はバッドニュースだった。
まあ、悪いことはこれくらいにして、よかったことを振り返ろう。
よかったこと、これもひとつ印象的な出来事がある。高速道路を走っている時に、対向車線でイノシシの死体を見てしまったのだ。
イノシシの死体にはものすごく興奮した。じっと見ていたら少しコンタクトがずれてしまい、涙がこぼれおちてしまったほどだ。
その時に走っていた高速道路は片側2車線なのだけど、その2車線をまたぐ形で、ビターンとアザラシが寝っ転がるような姿で横たわってていた。
イノシシには柴犬より少し大きいくらいのイメージしかなったので、「こんなにもでかいんだ!!」とテンションが上がった。
この時の興奮はすごかったので客先や職場でも鼻をフガフガさせながら話した。でも、みんな「ふーん」とまったく興味のないリアクションしかなく、ちょっと寂しい気持ちになってしまったのを覚えている。
僕のまわりの群馬の人は動物に対しての感動が薄いところがある。
地平線の先まで見そうな田んぼに囲まれた道路を車で走っているとたまに牛舎が現れる。ヴォーヴォーと気だるげに鳴いて、白黒のまだら模様をプルプルと震えさせている牛を見ることができて、僕はめちゃくちゃ興奮するのだけど、群馬の人はまったく興奮しない。
「スーパーに白菜があるくらいで興奮すんなよ」というような冷めた目線で、「牛はどこにでもいるし……」と言ってくるのだ。
「お前の家にはいねーから、どこでもじゃーねだろ」と喉元まで出かかるのだけど、流石に妻や上司に暴言は吐けないのでいつも我慢することになる。育った環境の違いの差は悲しい。
さて、牛の話を振り返ったところで、丑年である2021年の振り返りを終えようと思います。
2022年は飛翔するということは決してなく、地に足をつけてひとつずつやっていきたいです。
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