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 今が好き。

 私は今が大好きです。
 いつもそう。
 生きてる今が今として好き。
 いつもそう。

 過去のことも未来のことも大切だと思っていますが、それでも今が大好きです。

 最悪に思える時はものすごく辛いけれど、それでも今が大好きです。

 今にしか自分は生きていないから、生きている今が一番好き。

 いつだって今の中にしかいられません。
 他の時間は今ここには存在していません。
 自分が生きているのは今しかないんです。

 苦しい時期は沢山ありました。
 というより今まで苦しくなかった時ってほとんどなかったような気がします。だけれども、その中にかけがえのない大切な瞬間が含まれていて、だからこそ生きていることを否定しないで済んでいます。そのことに私は感謝しています。

 完璧なんてありません。
 そんなものを望んではいません。

 それよりも心が開いて動き出すことができることの方が私にとっては大切です。

 生きていることを喜べる瞬間が大切で、それを他の人がどう思うのかよりも自分と自分の大切な人がどう思うのかの方が私にとっては大切なんです。

 他の人にどう思われてもいいとは思わないけれど、そのことに捕らわれて自分を苦しめることよりも、素直な気持ちで生きることができる方が大事だと思うんです。


 素直に生きる。
 そのことに集中できることができたら自分のことをもっと好きになれるはずです。
 自分を好きになれることが私にとってのしあわせだから私はそれを選びたいです。


 自分では思いもしないようなことを言われ続けて傷つき続けてきたことで素直に暮すことに心が向くようになりました。

 そのままの心ではなかなか生きられないけれど、できるだけ素直でいたいと思うのです。


 自分のことを必要以上に飾っても却ってかっこ悪いような気がしてしまうのです。
 そういうの変ですか?


 結婚していた人が私から離れていってしまった時に感じた恐怖を思い出すと悲しい気持ちと苦しい気持ちにしかなれません。
 その人を強く責めてもその人も心を変えることなんてできないと感じて、その人と別れようと決めました。
 子供にも別れて欲しいと言われました。
 私をぞの人が今と同じやり方で傷つけたことをとても怒っていました。
 私自身の気持ちも同じ怒りでいっぱいです。
 それと同時にものすごく悲しい気持ちも沢山あります。

 でもそのことばかりに捕らわれていても今が生きることはないと感じるので、仕事をしたり、文章を書くことに努力したり、生活を変える努力をしています。

 苦しいし大変ですがそれでも今こうして自分をいい方向に運ぼうとして頑張っていることで自分のことを好きになることができているから、やめる気はありません。

 私は今と今生きている自分が好きです。
 欠点もあるけれどそれでも私は自分が好きです。
 嫌いにはなりたくないと思います。

 今までに何回ももう駄目かと思うことがありました。
 苦しいことの連続でした。
 だからこそ本当にしあわせになりたいと強く思うしそうしたいです。

 前よりも人が怖いと思うようにはなっているけれど、それでもです。


 信じ切っていた人に今のように傷つけられるようになってしまって、何回逃げても終わらないことに今はもう恐怖しか感じることができません。
 だからこれから誰かを信じてしまってもいいのかどうか不安です。

 でも私、大切だと思う人を信じたいし、いろんな面で成長してしあわせになりたいです。

 私の思うしあわせは、素直な気持ちで生きられることと、穏やかに平和な気持ちで生きられることです。

 それができていなかったから長い間ずっと不幸でした。
 本当に苦しかったです。

 でもそのことを素直に言葉にすることができませんでした。

 子どもと家庭を守るためにはしあわせなふりをしているしかなくて本当に苦しかったです。

 もう今はそんなことをしなくてもよくなりましたがそれでもその頃無理をしていたことがきっかっけでものすごく酷いことをされる生活が続いていて終わりません。

 結婚は失敗でした。
 ただ苦しんだだけで本当のしあわせにつながるものは何も得ることはできませんでした。

 私が得ることができたのは真面目に生きることの大切さを逆説的に知ったことだけでした。
 それと同時に、母になること。
 母として生きることを子を持つことで知りました。

 だから私は母を助けたいと思えたのかも知れません。
 母親として暮らした経験が母を理解することにつながって、母に対する気持ちが変わったんだと思うんです。

 経験しないと理解できないことが確実にあることを自分の人生を通して知ったような気がします。
 だから自分が年齢を重ねたことをマイナスだとは考えなくなりました。
 確かに失ってしまったものもあるとは思います。
 でも私自身の経験からいうと、瑞々しい感性を持ち続けることは年齢にはあまり関係ないような気がしています。

 いつも今の中で生きていることが、そして心を開き続ける努力をしていることができているのかどうかの方が心の瑞々しさを保ち続けられるかに強く関係していると感じています。


 かたちより中身の方が大事な気もするし、それとは別に逆説的だとは思いますが、中身が充実しているとかたちもそれに伴って美しくなっていくような、そんな気がするのです。

 だから心と思いと行動全部が大切で、心と思いが良くないといい方向には進みにくいし、行動がないと何もかたちにならないし経験も生まれないので失敗はない代わりに成功もありません。

 自分のまわりのいろんない人が私を批判したり逆に羨ましがったりしているのを見ていていつも思うのは、必要に迫られて行動した結果いろんなことやものや経験が得られただけで特別なことなんて何もないということです。

 その人達の方が私なんかよりずっと恵まれているのに、私の行動や生活を羨ましく感じてしまうのだとしたら、何か新しいことを自分自身で始めたいと感じている証拠だと思うので何か、本当に心からしたいと感じていることに挑戦してみることを強くお勧めしたいと思います。

 どんなことも痛みや傷を伴う部分があります。
 その痛みから逃げないで自分の努力で突き抜けてしまえば終わります。
 そのためには勇気よりもそうすることの必要に迫られることの方が突き抜けやすいと感じています。

 まわりに守られ過ぎていると無理なことをせずに生きられるから楽だと思いますが、思い切った行動はできにくくなる気もします。


 私を妬んでどこまでも追いかけてくる人達は物質的な面や金銭的な面では恵まれていると思うけど、本当の意味でそのことに感謝ができていないことで人を妬んで傷つけていないと自分に価値があると思えなくなっているような気がしてとても怖いと感じています。

 自分自身のしあわせにきちんと気がつくことができずに人を傷つけないと生きられない人が思いの他たくさんいて弱くて心のきれいな人を傷つけながら生きていることに気がついて驚きながら暮らしています。

 私を自分のために利用することだけを考えて私の人生を滅茶苦茶死してしまった人達はみんな、物理的には恵まれていてもそのことに感謝できないで自分以外の人を傷つけて平気な顔で生きられるインチキな人ばかりでした。

 そんな人をどうにかしようとするよりも私は自分で何かして前に進んで行くことだけに集中したいんです。
 心と思いと行動だけが私の今とこれからを作るから、自分自身が納得できる今とこれからを作るために努力することを続けます。

 他の人と自分を較べることより自分がどうしたいのかが私にとっては大切です。いろんな邪魔は入りますが私は私の心の向かう方向に進みたいから努力を辞めたくありません。

 今生きていることを、今生きていることに感謝し続けていたいんです。
 そうして今できることを精一杯頑張り続けていたら必要以上に自分と他の人を較べて僻んだり妬んだりしなくてもよくなるような気がします。
 自分の夢を追いかけて毎日必死に生きていたら自分と他人を較べている暇なんてありません。私自身はいつでもそうです。

 今生きていることのその強さを、今を生きることができていることのしあわせを、私は書いていきたいです。

 子どもと一緒にいた時のしあわせ。
 母と笑っていた時のしあわせ。
 自分の夢を追いかけようとした時それを守ってくれようとした人がいたことのしあわせ。
 愛されていると感じた瞬間があった事のしあわせ。

 そのしあわせの瞬間瞬間はその時々を一生懸命に生きていたことのご褒美で、私だけの宝物です。

 そういうものを増やしていくのは自分の心の持ちだけでお金ではありません。
 そういう心を守るために使った時にお金は自分の心を守るツールになってはくれますが、心の持ち方は自分の努力で作っていくしかありません。

 私はきれいな心でいたい。
 それは自分が間違ったことをしないでいるための一番大切な部分だからです。
 失敗は間違いというよりも未熟さの表れなだけですが、自分のわがままを通すためにまじめに生きている人を傷つけて壊してしまうのは間違いだと、いけないことだと思うんです。

 完璧な人なんていません。
 そんなことよりも大切なのは心がきれいで真面目に生きて、自分の役目をきちんと果たしている人が一番素晴らしい人だと私は思い続けています。

 私が尊敬している人の尊敬できる部分はそれだし、大好きな人の好きな部分もそれなのかも知れません。
 結婚していた人のことを素敵だと思っていた時、彼はそういう人でした。

 でもそうではない一面が私を壊してしまった時に別れようと決めました。
 その人は今でも私を間違ったやり方で傷つけ続けてやめません。
 だからもう元に戻ることはできなくなってしまいました。
 そうして私を傷付けることに必死になっている人がその人以外にもいると言おうことに気がついてしまった時、私は今本当に好きだと思っている人を自分がどうして好きになったのかが分かったような気がしました。

 その人のまっすぐな強さが私に伝わってその人をとても好きだと感じるようになったような気がするのです。

 私の心は私にとって本当に必要な人に向かって行っている。
 そんな気がするんです。


 尊敬している人がどうして私を見つけてくれたのか、私には分りません。
 私はただ自分の夢を叶えることで子どもや母を守る力を持ちたいと思っただけです。

 働くということは力を持つこと。
 何かの力を持たないと仕方が無くなるということです。

 単純にお金だけの問題ではないのです。
 自分なりに戦って生き抜かないといけないということです。
 だからかなり怖かったし躊躇もしました。

 けれども母と自分と、一緒に暮らしていなくても子どもの人生を守り続けていくためにはまず、働いて自活するしかないと考えて頑張ってきました。
 必要に迫られたことで私は今の仕事に就いて続けることになりました。
 私が自分をしあわせだと思うことができるのはそうやって頑張る自分が好きだということとその自分を助けてくれようとしている人がいることです。

 どうしてその人達が私を助けようとしてくれるのか私には全然わからないけれど有難いです。

 本当にありがとうございます。


 私を傷付けている人達と、その仕組みについての記事はまた別の機会に書きます。

 私はどうしてもきれいで前向きなことが好きなんです。
 だから暗くてインケンナことについて書くのは好きではありません。
 でも自分を守る必要に迫られて書かないといけない気分になっていました。


 暗いのは好きではないし苦手なのに。





 とりあえずここで終わります。

 お休みなさい。









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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。