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熱のある日

熱のある日の自分というのはいつもの自分とはべつの自分なのだと思います。

なんのためにこんなに熱を出すというのか?わからないのですが。


きもちは高揚もせず、落ち込むということもなく、ただぼうっとしていて、深くて底の見えない穴の中に何かを投げ込んでいるような、心許ない感じになるだけ。

でも、その心許なさに対して何にもできないまま、時間だけが過ぎていきます。

そのことをどうすることもできないまま、ただ時間だけ過ぎていきます。


時間が過ぎていく様子さえ実感できる余裕が無くて、ただ重い、だるい、熱と痛みと息のできにくいからだを持て余しながらぼうっとするだけ。


熱のある日の自分というのは、なんの価値もないように思えてしまう悲しい自分。

何かをしようと思っても何もできず、何も思いつけず、思うように動けないから時間が無駄に過ぎているだけ。


ため息をつく余裕さえなくて。



いつもの普通の生活が自分のからだから離れてしまって、ぼうっとした動かないからだが自分なんだと思うだけ。



何にもできず、入っても来ない。


だるくて何にもできない自分。

熱のある日の自分。




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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。