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一月九日。

 いろいろな偶然が重なって今の自分がいるんだと考えた時、自分では思いもしなかったことが意外に大きな出来事だったのだと後から気付いて驚くことがあります。もしもあの時、何かがちょっと違っていたら何もかも違うように運んでいて全然別の方向に進んでいってしまっていたかもしれないと感じることがあったりします。本当に不思議だなぁと思います。
  
 なんとなく手に取ったもの、読んだ本、小耳にはさんだ話、自分では気づくことのできなかったことが、なんとなくの偶然で気づけて何かが変わっていったりすることの不思議を感じている今です。

 ほかの人から見たら何でもないささやかなことが、(自分から見てもその時点では何でもないように感じていたことが)意外と大きなことにつながっていたというようなことがあったりして、不思議だなって思います。

 私、本当に、自分を変えてゆきたいと切実に考えるようになりました。
 本当は不安だし、怖いです。
 そして実は、ずっと不安で怖かったんです。

 だけどそういう不安な気持ちに負けてしまったら、子どもも母も自分自身も守ることはできませんでした(実際に守れていたのかを考えた時、正直自身はありません)。けれども今よりもっとよくない状況に陥ってしまうことはどうしても避けたかったんです。そして周りのおかしな誤解がなかったら、もっともっといい状況にできてたはずだと思ってもいます。私、前向きな性格なのかもしれません。

 本当に幼い頃の私は明るくて、あんまり物怖じをしない子供でした。父の実家から母の実家に移り住んでから、性格が大きく変わってしまったような気がしています。理由はうまく説明できないのですが、とにかく私はそのことを機に暗い思いを抱き易い子供に変わってしまいました。環境って大切ですよね。
 
 今、また自分を大きく変えていきたいと思うようになった理由は、やっぱり前向きでいたいからなのです。すごい勢いでガンガン前に進んでいくというよりも、きちんと自分のペースを守って確実にしっかりと進んでいきたいということです。

 いろんなことを見失ってしまって混乱していましたし今もまだ落ち着ききってはいないのですが、それでも小さな前進を止めてしまってはいけないと思うのです。

 ただそれが具体的にどんなものなのか、自分でもまだよくはわかっていないので、激しく不安になってしまうことの連続です。怖いです。

 目には見えないジェットコースターに乗せられて、どこまでも運ばれていく途中のような気がしています。本当に怖いです。自分では緩急がつけられず、どうしたらいいのかわからないことの連続です。それは今までも同じでしたが、今回は今までとは全然違うことのように感じてしまっています。今までよりも何千倍も怖い気持ちが大きいです。今までとは本当に全く違う自分になっていく途中だから。そして、本当に大丈夫?って自分自身に問いかけた時、何一つ確信の持てるものが見えないし感じ取ることもできないからです。本当に不安です。

 せめて自分に自信があったら違うような気もするのですが、それもまだ持ててはいません。

 本当は怖いけど、必要に迫られて前に向かって進むしかない。
 その連続の中をどうにか暮らしてきましたが、苦しい気持ちが大きすぎてかなり混乱しています。

 本当に怖いです。

 母に対しても、自分がもっと違う対応をしてあげることができていたら、何かが違っていたんじゃないか?と考えて苦しくなってしまうことの連続です。ただより深く考えて視野を広げてみた時に、どうし言いようもないことばかりだったんだと、諦めるしかありません。

 これから私がほんとの意味でもう亡くなってしまった父や母が安心してくれるような生活がで切るようになっていくことで贖っていくしかないと思っています。

 生きていてもいなくても父も母もいつまでも自分の中に住んでいて、二人とも見えない場所で私を見守ってくれているのだと信じています。そして二人を悲しませるようなことはしたくはないと思っています。二人に守ってもらえるような自分でいないといけないと心から思うのです。

 母は私にとって、反面教師だったり、道しるべだったり、セイフティーネットだったりしました。私は母に守られたり、困らされたりしながら、今までの人生を歩き続けてきたんだと感じています。これからはまた別の生き方を探してゆくんだと思うと怖さと不安と小さな希望といろんなものが感じられてとても父子いい意義な気持ちになります。

 
 母が亡くなる少し前、私の夢の中に父が出てきました。
 母もです。

 二人が何を伝えようとしていたのか本当斧ことがわかるのはこれからずっと先のことなのかもしれないけれど、一つだけ言えるのは父が私に母のことを教えてくれようとしていたことで、そこには確実に何か大きな意味があったと感じるのです。

 だから生きている人だけではなくて、もう会うことのできない向こう側に行ってしまった人たちも、心も意思も魂も、確実に持ち続けて存在し続けているのだと信じないではいられません。

 その人たちの心を大切にしながら、新しい生活をこれからまた新たに作り続けていくということに挑戦していくことになってしまいました。

 できるんだろうか?
 本当に不安です。
 怖いです。

 それでも私、頑張りたいです。
 
 できるかどうかはわからないけど、やってみるしかありません。

 勇気をもって進んでこられた先輩たちを尊敬するしかない一月です。

 

 

 

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。