見出し画像

#第28番 「あれ?もう1,000曲も書いてるやん」 〜素人が「バッハ」について学ぶ〜

お元気ですか?

最近顔が丸くなってきているtanosunです。(冬場定期)

さてさて、ようやく作曲家について学ぶコンテンツを今日から書きます。

素人目線なので、自分のアンテナに引っかかったコトをまとめていきます。

*バッハについて知ったこと*

大きくまとめて「3つ」

①  作曲家の歴史を学ぶ上で、一番最初のページに出るほど偉大な存在であること

②  生涯で1,000曲も書いたこと

③「技巧的すぎて自然さを欠く」と否定されたこともあったこと

この3章に分けて、まとめて書いていく。


①めちゃくちゃ偉大な「大バッハ」

「バッハ」といえば、その周辺の町では「音楽家の代名詞」と呼ばれるほど
ドイツの大音楽家一族だったらしい。

そんなたくさんのバッハ一族の中でも
その功績から「大バッハ」と呼ばれていた。
(でも8人兄弟の末っ子らしい)

何よりもyomesun曰く、

「音楽の父」と言われるほど音楽の基礎を作った人らしい。


②1,000曲書かざるを得ない状況に置かれていた

バッハは生涯で1,000曲以上の楽曲を書いた。

現代の感覚では、とんでもない数字らしい。(素人目でも1,000曲はやばい。)

「なぜそんなたくさんの曲を書けたのだろう?」

歴史を紐解くと、この時代の作曲家は概ね多作であったそう。

理由は、作曲家は大きな教会に所属していたので

日々の行事や礼拝用に新曲を書かざるを得ない状況だったらしい。

当時のバッハを想像すると、

「数えてないけど、気づいたら1,000曲いってました」

みたいな感覚だったのだろうか。

ただ1,000曲は本当に偉大な数字だ。

③精密すぎて否定されたが、100年後に注目された

同時代人には「技巧すぎて自然さを欠く」と否定されていたらしい。

しかし100年後にメンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を復活演奏してから

「神聖な天才」として認知されるようになったらしい。

自分のイメージだと、偉大な作品って当時は全く理解されないが
かなり先の未来で再評価を受けているという印象がある。

それはすごいことだけど、なんだか寂しい気もする。

でも「天才」とはそういう感覚を持った人間のことなのかもしれない。


*バッハを学んでみて。*

「時代と環境」という言葉がポイントだと思った。

1,000曲を書いた素晴らしい功績も背景にはその「時代と環境」があり、

逆にその「時代と環境」では評価をされなかったバッハ。


そう考えると今自分たちが生きている「時代と環境」からも

きっと何かを得られることもあり、逆に評価されないこともあるのだろう。

ただそれもひたすらにその時代を生きたからこそ。

逆らえない流れの中で生き抜くことが大切だと教えてくれた

バッハさん、ありがとう。

今もあなたの音楽を聴きながら、こうして書けていることを幸せに感じます。

次回は「モーツアルト」について学びます。

それでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?