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《創作大賞2024:恋愛小説部門》『友人フランチャイズ』第9話 狐の嫁入り 41~

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《第3章 第3節 狐の嫁入り 41~》 

 新しい年が始まった。大学生になって迎える初めてのお正月。去年、一人暮らしを始めたから、初めて実家と呼べるものに帰って、お母さんが用意してくれたおせち料理と牛肉コロッケをお母さんと食べた。そして、一人暮らしを始める前よりも沢山話した。でも、それ以外は高校生の時までと、あまり変わらない。しいて言うなら、テレビで正月特番をやっていて、実家に帰って来る時に乗った電車で、やたら家族連れが多いなって感じただけで、僕にとっては、日常に薄化粧をしたくらいの感覚だった。

 元旦に水穂ちゃんに初詣に行かない?って新年の挨拶と一緒に送ってみた。けれど、いつものように返事はなし。しかも今日は1月3日でついでに夕方。でも、返ってこないのは、いつもの事だから仕方がない。あとの楽しみといえば大学のアトリエで創作くらいなんだけど、頼みの綱の大学も年末年始は全館閉館。つまり、暇な年始を過ごしたって事。こんな時に友達が多ければなっと、ふと考えてしまう。

 そんな退屈な年始を迎えた僕のエネルギーは、大学のアトリエが使えるようになると、爆発した。他の学生は冬休みで誰もいない。っという事は、1人で使えるという事。僕は朝から、蒸気機関車のように白い息を吐きながら、大学まで一直線に向かった。

 大学に到着すると、事務室からいつものように鍵を借りようとした。けれど、僕より先に来た人がアトリエを使っているのか、鍵を持って行っているらしい。

 そして、年始の余韻がシーンっと残る廊下を歩きアトリエへ向かってみる。もし、誰かが使っていたら、バイトまで時間はあるし、何処かで時間を潰して、1人で使えるまで、待てばいいかと、できるだけ足音を立てずに歩いた。

 アトリエの近くまで来た。廊下からアトリエ内の気配を探る。でも、中から人の気配がしない。多分、教授が道具でも借りに来て開けたまま出て行ったのかな?なら、すぐ帰るだろうから、教授と少しの間だけ話を持たせればいいかと、思考を凝らしながら、心の帯を徐々に緩めた。

「小絲くん?」

 突然声がして、心臓が跳ねた。声はアトリエの中からしている。僕は跳ねた心臓をゆっくりと落ち着け、緩めた心の帯をまた徐々に締めていく。

 そして、アトリエの中からこちらに歩いてくる音がして、廊下で立ってる僕に、わっ。と、秋山あきやまくんが首を出しておどけて見せた。

「やー。おはよう。小絲くん。暇だったから、アトリエで作品を描いてみようって来たら、足音がしてね。そしたら君がいて、びっくりしたよ」

「僕、廊下にいたのに、何で分かったの?」

 僕の2m以内に入っている、彼に僕の身体は自然と警戒モードに入っている。

 秋山 海あきやま かいくんは、僕の白花色しらはないろが展示会の端っこに飾られた時に、僕の意識をその作品の中に吸い込んだ『シャングリラ』を描いた人。その時に抱いた悔しさから名前を知っている。教授にも気に入られる程のコミュニケーション能力を持っている。そして、その能力を如何なく発揮した社交性で、学部の垣根を越えた友人関係を作っている。彼っていう人を一言で表すなら、僕の対極にいる人。

「だって、あそこにおどおどしてる、小絲くん映ってたもん」

 秋山くんが指差す方には、全身鏡があった。鏡にはアトリエの内部が映っている。だから、アトリエから廊下を歩く僕の姿を秋山くんも見る事ができたんた。

「っで、小絲くんも作品を描きに来たの?」

 僕はアトリエという空間を、1人で使ってキャンバスを前に絵を描きたかった。でも、それを言ってしまうと、目の前の秋山くんを傷つけてしまうかも。ただ、この場合の上手い切り返しを僕は知らない。

「うん……そのつもり」

 これを言ってしまうと、おのずと社交性の高い、秋山くんから、返ってくる言葉も分かっている。

「じゃー。一緒に描こうよ」

 そう言うと白いシャツに映える、金髪に染めたツーブロックの頭を揺らしながら、アトリエの中に入って行き、キャンバスの前に座った。

 僕も彼の斜め後ろに腰を下ろすと、持ってきた道具を準備しながら、彼の挙動を観察した。

 秋山くんは、キッチリとワックスで整えられた金髪の頭の上から、グシャリとヘッドフォンを付けた。そして、小型の音楽プレーヤーを弄ると、ヘッドフォンから漏れたフィーリングミュージックの音が聞こえてくる。そして、肩の力を抜いて、動かなくなると、一瞬、秋山くんの周りの時間が止まる。

 次の瞬間、大きく空気を吸い込むと、息を止め、木灰で下絵をする事なく、いきなりキャンバスにドンっと筆を置いた。そして、大胆に筆を滑らせては、止まって意識を窓の外に向け、また筆を滑らせる。白いシャツにピンクの染みが出来ようが、袖が黒くなろうがお構いなしに筆を走らせていた。

 講義でも見せない彼の大胆な姿に、僕は見入ってしまった。その感覚もまた、僕の心をジリっとさせる。

 その気持ちに蓋をし、目の前のキャンバスに意識を落とし込んだ。そして筆を持つと、いつものようにスイッチを入る。

 あー。何描こう?あっこれがいいな。

 僕は意識を落とし込み、記憶の箱から年末に水穂ちゃんといつもの公園で、花火をした日の球体を取り出した。

 じっくり眺めると、線を捕まえた。公園は寒くて、風もなくて、花火が綺麗で、それに負けないくらい水穂ちゃんの浴衣姿が綺麗で、夜景も綺麗で──あっ!あと、線香花火が面白かった。これを描いて水穂ちゃんにあげたら喜ぶかな?そんな事を考えながら筆を滑らせる。

 幾許かの時間が経ったのか、キャンバスから目を上げる。すると、外の景色はオレンジ色に染まっており、光が隣の棟の窓に反射している。

 3mくらい先の秋山くんが、先に描き終えていたのか、だらりと腕を垂らし椅子に座って僕の方を眺めている。

「小絲くん。君ってやつは」

 沢山の色が飛び散った白いシャツを着た秋山くんは、殺意にも似た表情を僕に向けていた。

「ごめん」

 秋山くんは僕が描き続けている間、ずっと待っていてくれていたんだ。そして、多分、何度も僕に話しかけたんだと思う。でも、僕はスイッチが入ると周りの音が聞こえない。それを無視されたと思って、他にも無礼が重なってそんな表情をしているんだと思った。でも、その後、彼は普通の表情に戻り、唇を噛み締めながら自分が描きあげた絵画を見ながら言った。

「いや。小絲くんが悪いんじゃないよ。これは僕の問題だから」

 ふと、肩を落としながら、自分の作品を眺める秋山くんの体の隙間から絵画が見えた。

 その瞬間、鳥肌が立った。体に隠れていて、全体の4分の1も見えていない。でも、分かった。この人は凄いって。

「秋山くん!」

 僕の無意識の感動は、彼の名前を叫び、席を立つと、描かれた絵画全体を見ることを選択していた。

「なに?」
「あっ……」

 でも、秋山くんの声で、現実に戻される。それでも、心の中は踊っていた。『シャングリラ』を見た時よりも、興奮している。

 隙間から見えた、羽衣を着た天女の儚くも凛とした表情が、僕の抑える心を更に踊らせている。それを秋山くんに伝えたいが、僕のこの人には負けたくないという、ふつふつと湧き上がるものが邪魔をして、喉を詰まらせた。

「いや。何でもない」

 それから、暫く無言が続いた。秋山くんは帰ろうとはせず、僕の斜め前に座り、自分が描いた絵を眺めている。

「小絲くん。君はどんな風景を見ているんだい?」

 秋山くんは、ふと、沈黙に身を屈めている僕に、丸い言葉を転がした。でも、それはこちらが聞きたい。君はどんな景色をその頭で見てるんだよって。でも、その言葉が口から出てこない。きっと、僕のちっぽけなプライドが邪魔をしてるから。

「これと言ってないよ」
「そっか」

 からっと秋山くんはそう返事をすると、荷物を持ち、アトリエから出て行った。そして、僕は秋山くんが描いたあとの絵に近づく。近くで観ると、遠くで観るよりも、また一段上げた、圧倒的な凄さを放っている。

 廊下の足跡が遠くなると、アトリエはまた静かになった。っで襲ってくる、聞きたかったと言う後悔。

 そして、僕は持ってきた道具を背負うと、バイト先に急いだ。秋山くんに感じるジリッとした感情は正直、居心地が悪い。でも、僕の奥底では、それを踏まえたとしても、何だか彼とは作品で繋がりたいと思った。

***

 大学も冬休みが明け、騒がしい毎日がやってきた。

 クリスマスにこれをした。正月はお友達とあれをした。僕はそんな周りの話から一つ間をとって、ぼーっと小さな雪が舞う外を眺めている。

 秋山くんは、いつものように友達と笑いながら談笑している。でも、その笑う姿がアトリエで一緒に絵を描いた彼とは、また別人のような僕には映った。

 秋山くんとアトリエであった一連の話を、水穂ちゃんから「悪い。寝てた」っと電話で行われた謝罪会見のついでに話してみた。すると「なんとなーく私は、秋山くんの考えてる事分かるかも」っと言って「青春だなー。あちーあちー。でも、私はちょっと嬉しいかな」っとゴクリっとビールか何かを飲んでいた。

 そして、その時に描いた作品を貰ってくれないかな?っと聞くと、電話の向こうから嬉しそうにダカダカダ♪と、軽快なステップが聞こえた。

 雪がしんしんと降り出した、午後での講義の終わり、出席シートを出し、そそくさと外に出ると、あの白花色に普通の評価を下した篠宮しのみや教授が「小絲。話があるんだけど、ちょっといいか?」っと僕を呼び止めてきた。

 その言葉に「え?」っと悪い方の緊張が走った僕を尻目に「向こうで話そうか?」っと話を進められ、僕は言われるままに、広い肩を揺らしながら歩く、篠宮教授と一緒に隣の部屋に入って行った。

「まー。掛けろよ」

 そう言われ、テーブルを挟んで篠宮教授の前に座ると「小絲はいつから、絵を描いてる」っと、無精髭を生やした顎を摩りながら僕の目を見つめている。

 胸板が厚い篠宮教授はその体の所為なのか、門番とは違う圧を感じる。そして、その体から出る言葉は太く低音で逃げ出したいけど、逃げれない状況の僕は、じっと合わさる目線を襟元に移して、質問に答える事しか出来なかった。

「小学生の3年くらいからだったと思います」
「どっか、美術系のスクールに通ってた経験とかは?」
「ありません。中学と高校で美術部に入ってたくらいです」
「じゃあ。絵の勉強は?」
「本とか、美術館で」
「賞を獲ったことは?」
「小学生の時に小さなコンクールで何回か獲って、あとは中学と高校で県の主催するコンクールで入選したのが何回か」
「ふーん。分かったありがとう」

 尋問のような質問があった後、まー。楽にして。っと篠宮教授は椅子から後ろに体を投げ出しコキコキっと背伸びをした。

 そして、また僕の方を見直すと「小絲。お前、絶対描くの辞めるなよ」っと目に力を込めているような気がした。

「んで、まー、ここからは俺との雑談として、小絲から見て同期で誰が上手いと思う?」

 その質問は僕にとって答えづらい質問だった。他の人の作品は凄い。特に秋山くんのは。でも、それを言えない僕がいる。そして、暫く黙っていると「じゃあ。質問変えるわ」っと、腕を組み少し考え、ニヤリっと笑いながら聞いてきた。

「負けたくないのは?」
「……秋山……くんです」

 そう言うと、篠宮教授はガハハハっと山賊のように豪快に笑った。

「ずっと観てたけど、お前やっぱり変態だわ」っと変に笑いのツボに入っている。

 言いたくない事を言わされ、それを笑われて僕の心がジリジリする物を感じていると「わりい。わりい」っと軽く謝罪して、短髪の薄くなった頭を掻きながら、笑う理由を話した。

「他の学生の何人かに聞いたのよ。同期で上手いやつはいるか?って。そしたら、全員、仲のいい奴の名前出すわけ。んで、お前に同じ質問したら、お前は黙った。それで、こいつはちゃんと作品と向き合ってるって感じた。だから、質問を変えた。お前から見て負けたくない奴はって。そしたら、観念したような顔で秋山の名前が出てきやがった。だから、これは俺の勘なんだけど、お前、自分が1番上手いって思ってるだろ?」

 篠宮教授の言った言葉に、僕の背中はゾワりとした。僕は自分の描く絵が1番上手いと思ってる?いやいや。他にも上手い人は沢山いる。……いるはず。秋山くんのシャングリラを見た時だって、展示会の他の作品を見た時だって、上手いって思った。だから『白花色』はあんな片隅に飾られたんだ。っと。

「でも、僕の『白花色』は展示会の外でした」

 言葉が漏れた。それを聞いた篠宮教授は机をバシバシ叩きながら、子供のように笑った。

「でも。って言葉が出るのは、自分が1番上手いって思ってるってからじゃないか」
「それは……揚げ足取りじゃ……」
「俺は、教え子の変態的なエゴを守るためには、揚げ足くらい何回も取りに行くぜ」
「う……」

 何も、言えなかった。確かに白花色は僕の自信作だった。しかし、それが展示会場の中じゃなくて、外って言うのが悔しかった。心のどこかで、展示会場の中で誰もが観れる所に飾って、凄いって思われるはずだって思ってたから。

「当たったろ。俺の勘は暴論だが、だいたい当たる。あとな、お前勘違いしてるかもだけど、お前の白花色はあそこが1番いい所だよ。観た瞬間思った。あの展示会入り口の隅だってな」「な……何で隅なんですか?」
「それは答えない。答えたらお前の画家としての成長は止まる。でも、ヒントをやる。それは、お前より白花色を観た人の方が、作品の価値を良く分かってる。あとはこれからのながーい画家人生で考えな」

 そう言って席を立ち、棚にあるファイルを鷲掴みに持つと、部屋の入り口まで肩を揺らせながら歩いていく。

 でも、何かを思い出したのか、踵を返すと「そうた。そうだ。小絲。お前、レポートとか提出物ちゃんと出せ。白花色もレポート出してなかったから評価はBなんだぞ。他の教授方も言ってたけど、お前、提出物時々忘れてるらしいぜ。気をつけろ」

 ん?……あっ。いや。篠宮教授。僕、レポートしっかり提出してますけど。一回、講義中に眠ってしまった事と、一度講義をさぼった事はありますけど、レポートとかの提出物は忘れた事ないですよ。

 そう言いたかった。でも、言ったあとの事を考えてしまい、言葉が出てこない。頭でうだうだと考えていると、篠宮教授は「ったく。最近の学生は」っと小言を漏らしながら出て行った。

「篠宮教授。待って」

 足音が聞こえなくなったあとに、僕は篠宮教授を追うために席を立った。

 そして、廊下に出ようとした時、誰かとぶつかって、僕は廊下に倒れ込んだ。でも、篠宮教授への誤解を解かなければと体を起こすと、僕の前に秋山くんが倒れている。

「秋山くん、大丈夫?ごめん。でも、僕行かなきゃ!篠宮教授はどっちに行ったか分かる?」

 謝罪を済ませて、矢継ぎ早に篠宮教授の向かった先を訪ねようとすると「待ってよ!」っと秋山くんは僕の後ろ髪を引いた。

「痛いんだけど」
「ごめん」
「急に出てきたら危ないだろう?これで腕を痛めたりしたら、どう責任をとってくれるんだ?」
「悪かったよ」

 廊下に倒れて起きない秋山くんの怒りの表情に、慌てていた僕の感情が冷め、先に秋山くんを保健室に連れて行こうと彼に伝える。

「保健室に着いていくよ」
「当たり前だろう!」

 僕は秋山くんを起こすと、一緒に保健室へ行った。幸い特に問題はなく湿布を貼ってもらい、保健室をあとにする頃には、秋山くんは普通の表情に戻っていた。そして「ちょっと休憩でもしない?」と誘ってきた。

 正直、さっき程の熱量はないけれど、篠宮教授を追いかけて、誤解を解きたかった。しかし、怪我までとは行かずとも、秋山くんを傷つけてしまった。だから、僕にその誘いを断る権利はない。

「いいよ……少しだけなら」
「んじゃ、俺飲み物買うけど何かいる?」
「自分で買うから」

 そして、卒業制作のオブジェが並ぶベンチに移動し腰をかけると、秋山くんは缶コーヒーの蓋を開け一口飲み「っで、篠宮教授に何か用事だったの?」っと声色を1つ下げて聞いてきたから「レポートの提出が悪いって言われたんだけど、僕は全部出してるんだよね。その誤解を解きたくて、篠宮教授を探してたんだ」っと篠宮教授に直接言いたかった内容を秋山くんに漏らした。

「教授連中よく、生徒の提出物無くすからな……」

 脚を組み、秋山くんはそう呟いた。

「いやいや、でも、それでこっちの評価が下がるのは意味が分からないんだけど」
 僕の教授達への怒りを秋山くんに当たるように言ってしまった。
「でも、仕方のない事だろ?それに、小絲くんがレポートを出したって証拠はあるのかい?教授なんて適当でそんなものだろ?」
「それでも、納得できない」
「じゃあ証拠がなくて信用できないなら、レポートの採点が終わるまで小絲くんが教授連中を見張ってればいいじゃないか」

 声を荒げた僕を更に上から押し込むように、秋山くんは声をあげた。

「いいや。僕は行くよ。納得できない。篠宮教授はどこに行ったんだ」

 でも、僕は折れなかった。そんな理不尽が通ってなるものか。ベンチから立ち上がり今すぐにでも、篠宮教授の所へ行きたかった。

「まぁ、落ち着けよ。今のその状況で行ったとしても、ちゃんと話できるかい?」
「できる!」
「小絲くんは分かってないなぁ。教授達は俺たちをすぐに除籍できるんだよ?そんな鬼の形相浮かべて行っても、状況悪くなるだけだよ?だから……な?ここは鞘に収めて、次から気をつければいいじゃないか。それに、今、篠宮教授が君の白花色のレポートを無くした事実が発覚した所で、もう出てしまった評価が覆ると思うかい?できないだろ?だから、行った所で無駄なんだよ」 

 ん?僕は秋山くんに白花色のレポートについて何も話していないのに、なぜ知っているんだろうか。

「秋山くん。僕は君に白花色のレポートって言ってないと思うんだけど」
「ん?さっき言ってたじゃないか」

 秋山くんは脚を組み替え、乗せた指で太ももを叩いながら言った。そして、急に思いたったように体をこちらに向け、僕の細かな所まで観察する様な目で見つめる。

「俺は、同期として、小絲くんがこの大学から去るのは寂しいな。だから、今はグッと我慢するんだ。うん。それが利口だよ」

 確かに、秋山くんの言う通りの部分はある。レポートを無くしたと自覚がない篠宮教授の所に行って責任を突きつけたあと、じゃあ自分たちが無くしたって事を証明しろっと言われたら終わりだ。除籍になるかもしれない。そうなってしまうと、水穂ちゃんと約束した世界一の画家への道が遠くなる。

 この八方塞がりな怒りをどうぶつければいいのだろうか。僕は立ったまま奥歯を噛み締める事しか出来なかった。

「じゃ、俺、講義だから、行くわ。くれぐれも間違った判断をするなよ」

 そう僕に念を押すと、秋山くんは近くにいる友達を捕まえると、美術棟へ消えて行った。

 もうこの日は僕が受ける予定の講義はなかったから帰ることにした。沸々とつかえる何かが僕の胸の中に靄を作った。

 家に帰って、少し冷静になったとはいえ、この喉に魚の骨が刺さったようなチクチクとした違和感が残っていたので、今日あった事を水穂ちゃんに長文でメールを送ってしまった。でも、返信は来なかった。



《第3章 第4節 狐の嫁入り 41~ へつづく》


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