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命の本質の扉が開いた人生最大のターニングポイント ②(大きな一歩)


人生最大のターニングポイント ① の 
   
   つづきです



まず先に、(生命の実相)生長の家に繋がる前の暮らしについて少しふれます。

前の記事には この時期の長男保育所時代を書いていますのでここではその一部になります。



1軒目の新築一戸建てでの暮らし

「生命の実相」に繫がった2軒目の家(名張市)に引っ越す前の、1軒目新築一戸建ては奈良県桜井市朝倉台という新興住宅地でした。


 

そこでは、長男の保育所時代を過ごした4年近い暮らしがあり、長男と二人で3次元生活のシナリオを一生懸命生きた時期でした。


 
 

当時、新築一戸建てが2回も与えられていたのは、強迫神経症潔癖症の為に最も必要になっていたからです。

朝倉台の最初の家では、再発性手のひらヘルペスと強迫神経症に頑張りまくる苦しい生活の中にも、3歳で保育所に入所した長男を毎日原付バイクで送り迎えをして、
長男の良い友達ができて、良い保育士さんに恵まれ、良いママ友にも繋がりました。
 
それなりに幸せと言える事も色々ありました。

まだ自覚はなかったけどスターシードだから、ハートフルに本音で周りの人達に繋がれていたんだと思います。


特に、仲のよかったママ友との繋がりでは、私の良さを感じたまま表現してくれたり、私の自信になることをいつも本音で言ってくれていた人がいました。いつも本音だからめちゃ気の合う人で、最も信頼できる関係性でした。

(彼女の実家は大神神社のすぐ近くで三輪明神の氏子さんでしたから、彼女を通して奈良浄化のプロセスを大神神社に守られているような気がしました。)

今でも心に残っているママ友の言葉ですが、

「○○さん、他の人よりも何でもよくできてるんよ!」

と本音でそのまんま言ってくれました。

この一言で、私はホントに
「そうなんだ」と思ったのです。

彼女の表現は素直で本音ストレートですから、
自分はそんなにできていたのか、とあらためて実感したのです。

この時が潜在意識の深いところでは自己肯定スイッチだったのかもしれません。 


その頃はまだまだ自己否定が強くて、
自分はできていないからもっとしっかりとできるようにならなければいけない・・
自分の考えや答えは間違っているかもしれないから、他者の言葉を優先して、自分で決められない…決めてはいけない・・
というふうに自分評価は超低かったわけで、

厳しいしつけの両親に育った幼少期から結婚するまでの間、他人からは褒められたり認められたりすることはけっこうあったのですが、いくら他者に評価されても、私は自信がなくて自分に厳しかったから、自分のできている良いところよりもできていないダメなところばかりに意識が向いていていましたから…

今から思えば、長男が生まれてこの保育所時代の頃からが あまり感じていなかった自分の良さを確認できて、
ようやく自己肯定、自己信頼が水面下で本格的に開き出した時期だったのだと思います。 

命の本質の扉への前兆でした。  

長男が生まれたことは、こうして色んな場面や出会いの中で自信に繋げてくれる「自己肯定への道」へと導いてくれていたのです。 

朝倉台の家での暮らしは、長男にとって最初の思い出深い幼少期のステージです。





ここからは、2軒目新築一戸建ての家に引っ越してからの生命の実相との出会いのプロセスになります。

 


本質に繋がる生長の家式実践方法の体験


2軒目の新築一戸建は三重県名張市の百合ヶ丘というオシャレな家が立ち並ぶ新興住宅地でした。
   

ここで、生命の実相に繋がったお話は前の記事に書いています。

生長の家では、宇宙の本質と3次元世界を「実相と現象」という風に伝えています。
簡単に言えば、
現象は、目に見える物質世界、形に現れている世界で、実相は目に見えない本当の世界、神の世界、超意識、宇宙の本質という意味です。

実相は実在し現象は本来無いという真理です。
 

最初、義理姉が生長の家の行として、潜在意識をポジティブに変化させていくいくつかの方法を伝えてくれました。



✦神想観をする
(瞑想みたいなもので生長の家独特の方法)

✦生命の実相を読む

✦聖経 甘露の法雨を毎日読む 写経する 

✦聖経 真理の吟唱を読む

✦先祖供養として、部屋で先祖に意識を向けて聖経を読み上げる


これらはスピリチュアル界では、
瞑想、アファーメーション、愛と光の言葉を唱える、等
と同様です。
生長の家独自の形で真理の光の言葉がてんこもりにチャネリングで降ろされた

啓示。
表現は宗教っぽい感じです。

 
当時の私は生長の家しか知らなかったから、本質をズバリ伝えてくれた義理姉の勧めてくれることを一通りやってみました。 
確信して本気でやりました。


まず聖経を読む先祖供養から始めました。
先祖供養といっても堅苦しいものではなく、仏壇もいらないし、ちょっと名前を紙に書いて自由に置くだけでいいし、聖経は先祖へのお手紙みたいなものだと義理姉が言ってましたから気楽にできるので私にも可能でした。

毎日甘露の法雨を読み上げていると、ある日お香の香りが漂ってきました。
何処にもお香を焚いていないのに・・?
義理姉に聞いたら、上(天上界)で先祖が炊いている、とのこと。
次元を超えて届いていました。

その後も、生長の家練成道場を訪れた時に強くお香の香りがしたり、その後もスピリチュアル繋がりでは、高次元の良い香りが流れてきたり亡き夫がそばに来る時には、お香の香りがする時もあったり…
私は聞こえたり、視えたりはしないけど、向こう次元の良い香りはたまーに感じることがありました。



聖経を毎日本気で読み上げていたら、学校から帰った長男が、

「お母さん、これを読んだら幸せになるの?」

と言って、自分から読み始めたのです。

長男は小学1年生でしたが小学生にはとても読めない内容の漢字を覚えて読んでいました。

毎日一緒に読んだり、写経をしたり、

すぐに大人と同じように読めるようになりました。 
 


生長の家の書籍コーナーは日本教文社が中心で、生長の家の本以外もけっこう置いていて、私は当時、アイディーン・キャディの著書(山川紘矢・亜希子 訳)「フィンドホーン愛の言葉」がお気に入りでした。

「フィンドホーンの花」
「フィンドホーンの魔法」

「心の扉を開く」も好きな一冊でした。 
30年くらい前に読んだ本です。 


堅苦しい甘露の法雨よりは好ましかったですが、聖経はしっかりと読みました。


神想観というのもやってみましたが、どうも祈る姿勢は独特でしんどいから、好きではなかったし、後には自分にはそういう形は必要ないことを確認しました。

神に意識を向けて神と一体になる祈りの言葉をしんどい正座体勢で30分もやらなきゃいけないのは力が入るし疲れるし、そんなことをいちいちしなくても、意識は高次元に繋がりますから、後にそれらも確認しました。

それでも一通りは真剣に行いました。
 
強迫神経症の苦しみから開放されて幸せになりたい一心で魂のスイッチでした。

宗教団体等の組織というのは、人が決めたことをそのまま実行するという世界ですから、自分らしい自分感覚のものではありません。 
そこに感覚が合えばそれもOKですが…

組織に入る人は、それがベストでそれしか知らないことが多いですから、それだけを信じて行えます。

信じるものは救われる・・ですね。

それが最高でそれしかない、という世界には、それ以上の進化や拡大はできなくなるし、

それをしなければ、神に繋がれない、幸せになれない、といった教え方になると、医療のコントロールと基本的には同じ洗脳レベルだと思います。

素晴らしい内容でも組織に入れば、無意識的に教祖様コントロールになってしまう人がけっこういますが、
伝え方、受け取り方もその人によるし、その人に必要なことがその時にベストに繫がっていて「全て良し」ということです。

全て良しは生長の家で良く言う言葉です。

とにかく、生長の家を通してその世界をしばらく本気で体験しながら、長男と光の扉へ向けて進みはじめたのです。



私が確信している根源を長男も感じとって自ら一緒に甘露の法雨を読んでいました。
長男も本気で読んでいました。 
神想観も一緒に覚えました。
 



(同じ時期には、前夫も生命の実相を本気で読んでいました。
彼と生命の実相のことは、前の記事に書いています。)




 生長の家の誌友会
 (白鳩会)を体験


名張市には新興住宅地がいくつかあって大阪の通勤圏内では最も遠い住宅地でしたが、波動は低くない場所でした。

生長の家(名張市)の集まりは百合ヶ丘から少し離れたつつじヶ丘という住宅地でした。
生長の家活の動では女性だけの白鳩会という誌友会が会長の自宅で定期的に開かれていて、そこに足を運ぶ流れが始まりました。

強迫神経症(潔癖症)は私の場合、自宅以外のトイレを使こえないというのが大きなブロックの一つ
で、他所のトイレが
汚いというわけではなくて、手を洗う作業や仕様状態に特別な制限があるので、自宅以外の仕様は不可能になっていました。
強迫神経症の状態の形は、その時の生活環境である程度変化します。

この時期はそういう状態でした。

トイレとトイレの間に誌友会へ出かけては、ギリギリまで無理をして帰ってくることが多かったですが、新しい出会いや命の本質のことを共有していくことは、喜びでした。

お互いに素晴らしいと讃嘆することが多くある繋がりは、超自己否定の私には新鮮で心地良く、一般的な表面上の関わりとは違い、本音で語りあえて共感し合える喜ばしい繋がりでした。 

真理に関する色んな話を聞いて、色んな事を話し合ったりする流れの中でどんどん意識は本質を確認しながら、開いていったと思います。

必要な情報やメッセージは必ず届けられていました。


 

   

生長の家宇治別格本山へ導かれて


その半年くらい後だったか、全国4箇所の錬成道場で自宅から一番近い宇治別格本山という所へ、
 行きたい!!
と強く思うようになりました。

自宅以外のトイレを使えなかったけど、
何とかしていきたいと強く願っていました。

奈良の県境の三重県名張市から、京都の宇治市までは奈良を回らずに裏道の山越え近道で片道2時間〜2時間半くらい。
往復したら、トイレがもたない状態です。

その頃、宇治錬成道場はほぼ全面改装の新築間もないピッカピカで、
なんとかそこで洋式トイレを使えたら行ける!
という強い願望は、見えない力に強く背中を押されていたのです。

そうして絶対に行きたい!という想いが実現する日がきました。

名張生長の家の誌友さん二人も同行してくれることになり、車2台で強い決心のもとに出発できたのです。
  
秋も深まる11月に入った頃でした。
少しでも温かい日であれば、トイレの間隔もあくのですが、11月に入ると可能性は厳しいものを感じていました。
予定した日は、前日の天気予報では大雨で寒くなりそうでした。
雨だったら無理だなー、と思いながら
諦めかけてはいたものの、出発は止める気配なし。
準備もしっかりしていました。

翌朝、起きたら 

  快晴ーーー!!


空は澄み渡って春みたいに温かいのです。 


  すごーい!!
   神さまの導きー!!
と本気で思いました。
(本当は自分の超意識の創造です)

恐怖心で緊張したりするとトイレが近くなるけどその日は大丈夫でした。

そうして、前夫の運転で長男と三人車に乗り、友人二人と2台で自宅を出発したのです。

途中道を間違えそうになったけど、ちゃんとスムーズにたどり着きました。

到着近くなると、気持ち的にトイレに行きたくなりそうな気配もあったりしたけど、何とか持ちこたえて、前夫も必死の全力で宇治を目指してくれました。

そうして、京都府に入り宇治川を右手に見ながら北上し、宇治川の近くにある宇治別格本山へ無事に到着したのでした。

 

たどり着いただけでも特大奇跡でした。

お天気まで、宇宙の全てが味方でした。

後から知ったのですが、お天気も意識で変える事ができる、と生長の家の本の何処かに書いてありました。

友人と会長も到着をめちゃ喜んで共感してくれました。

宇治別格本山に着いて、まず生長の家の本部講師に「個人指導を受けよう」と前夫が直感的に言い出したので導かれるままに一緒に個人指導を申し込みました。
すぐに順番が来て前夫と二人で部屋に入りました。 

そこには今は亡き榎本講師が待ってくれていました。

榎本講師は、その頃の生長の家で唯一「実相」の真髄を講話で伝えている人で
まんまるい顔は笑うと思いっきりスマイルになり、練成会等では榎本スマイルの絵をサインみたいにみんなに書いてあげていました。  
太陽ようなニコニコスマイルでした。 

  

彼は、私の顔をみるなり合掌してニコニコ榎本スマイルで
満願の微笑みを浮かべて言いました。

「よくいらっしゃいましたね!」
と両手を合わせて真っ直ぐ私を見つめて到着できたことを祝福してくれていました。

私の状況は何も聞かず何もしらないけど、繫がっていました。

私は一気に涙が溢れ出しました。
思いっきり泣けてきました。

ずーっと、ずーっと休むこともできずに頑張り続けてきたからです。

そして、究極のメッセージが榎本講師を通じて降ろされました。

外から学び入れる必要はありません
あなたの中に全てがあるから 中から外へ 中から外へ と
表現していきなさい 

両手を胸から上へと広がるようにして伝えてくれました。
終始私には榎本スマイルでした。

全ては自分の中にあるから、内側から外へ自分自身を表現しなさい、という究極のメッセージでした。 

それだけでした。 
それが全てでした。

この時のこの言葉が自己肯定、自己受容へのプロセスの地球人生を生きる基本の基本となっているのです。
この言葉から全てが始まりました。
 
その後も出会いの中で、 
「あなたは全部わかっているから学びは要らない。
自分の感じることを信じて自分に自信を持ちなさい。」
と何度か言われました。
 
それは、HSP、エンパスの気質だったんだと今では納得です。

私の地球人生シナリオは感謝を学ぶとかではなくて、
自分を愛する自己受容がメインですから、この時こそ、人生最大のターニングポイントメッセージで、地球人生本質の扉が開いた瞬間だったと思います。


 

そして、榎本講師は、
「ここに大勢のご先祖様が来ていてあなたのことを心から喜んでくれていますよ」と、おっしゃると本当にいるんだな、と感じました。

あの日のあの光景は今も瞼に焼き付いています。

それから、
前夫は早速私の症状を説明し始めました。
すると、しばらく聞いていた榎本講師が前夫の話を打ち切るように強く言ったのです。
「ここは、病院ではないのですよ。
私は医者ではないからそんな症状の説明をされてもわからないので、応じられません。」

そうして、生命の実相の真の意味を強くきっぱりと、前夫に向かって厳しい口調で言い切りました。
 
家庭の現状問題を全部強迫神経症の私だけの問題にしている前夫に対して、生命の実相の真髄を強く語られたと思います。

たぶん内容は、
目の前に現われている家族の問題は、その相手の問題ではなく、前夫自身の心の歪みを写し出している(無自覚)前夫本人の問題だと、いう意味のことをきっぱりと言われたと思います。 
 
最後に、 
生長の家とはそういうことですよ! 
と前夫に真っ直ぐ向かって厳しい顔で断言されました。

私は涙溢れまくりで、榎本講師が前夫に何を言ったのかは全部聞き取れずにいましたが、だいたいそんな内容でした。

最初から最後まで涙溢れまくりでした。

魂の深い強烈なご縁を感じる出会いでした。   
   
前夫は黙ってしまって聞いていたと思います。
彼自身が直感で選択したご縁でした。

個人指導の部屋を出てから、長男と友人二人の所へ戻り、しばらくして言いました。

「今日ほど自分を嫌な最悪の人間だと思ったことはないよ」と。

榎本講師は全て見抜いていて、   
前夫の、普段はごまかしている良い人のつもりの自己正当化や目に見えた形だけの問題を人のせいにするエゴに対してズバリ光の言霊の剣が振り降ろされたのですから。


記憶が少し薄れてきて、私の感動榎本スマイルが先だったか、前夫への厳しい榎本指摘が先だったかははっきり思い出せないのですが、
もしかしたら前夫とのやりとりが先で厳しく指摘された後にくるりと私の方を向いたら真反対にキラキラの榎本スマイル祝福だったかもしれません。


長男は、友人二人と一緒に待っていました。
広い場所なのでのびのびと楽しそうでした。
 
私達が個人指導を受けている間、長男は、 
「ありがとう、ありがとう」
と言って走り回っていたと友人が伝えてくれました。

生長の家では、挨拶にありがとうございます、と言います。
こんにちは、とは言わないのです。
それほど感謝、感謝、感謝を強調していました。

 
そうして、深く癒された私はブロックが和らいで練成道場のトイレを何とか使用することができたのです。

帰り際には、当時はまだ本部講師の卵だった女性と繋がり、心からの愛を沢山いただきました。
 
宇宙のギフトがいっぱいでした。


 
  
念願の宇治別格本山へ届いて、素晴らしいメッセージを受け取り、帰宅してからはしばらく平和な日々が続きましたが、
強迫神経症(潔癖症)は消えていなかったので、娘が降りてくる為に一時的に特別な大きな力が働いたみたいで、奇跡的に娘はやってきました。

(潜在意識は彼を拒否していますから、不潔恐怖症という形で自分を守っていたのだと思います)


この後、長女が生まれて離婚への流れになります。
  
後に離婚に繋がる光の方向へ導かれたのは、生長の家総本山(長崎)でした。



生長の家の時期は、先の記事の長女誕生や幸せ兄妹のステージです。


 
この先はまた次の記事に書いていきます。

お読みいただき
ありがとうございました。


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