最近、何においても自分の中で決心することが何よりも大切なことに気が付いた。今まで自分は何事においても決心するということに欠けていたように思う。まずは自分の中でこれを絶対にするんだと決めて、行動する。何も決めないまま、生きていては何ひとつ進んでいかないし、具体的にはならない。そのことに今まで気が付けなかった。時間を無駄にした。
数日前にノートに書いたことを 今日の朝読んで 自分を恥じた。 なんて馬鹿げていて できないようなことを 書き綴ったのか。 でもその数日前には 自分で自己暗示をかけるみたいに 書いたのだろう。 書けば叶うとどこかで信じている。 その反面、書いたところで何も変わりはしないと 思っている自分もいる。 内なる戦いはいつからか長期化している。 きっと死ぬまで終わらないだろう。
言葉とは普段使い慣れているようで なかなかうまく使いこなすことができない。 文章にするのと口で相手に伝えることは また全然違う技術で 自分の言葉は相手にどれだけ伝わっているのだろう。 飾らないありのままの言葉って いったい何? 自分の言葉ってどういうもの? 相手の深淵に染み渡るような、 しばらく生き続けるような 言葉を発したい。 でもまずは自分で自分を守る為に 言葉を生み出していけたのなら それもありなのだろう。
今日から6月。 夏が始まった。 学生の頃、友人が言い放った言葉が今も胸に残っている。 「夏の始まりと終わりが好きなんだ」 あの時のこの言葉は本心なのか、 気障なセリフだったのか、 はたまた、どこかからの受け売りだったのか 今となっては知る由もないが、 あの時の何気ないこの言葉が20年以上経った 今でも僕の中で漂ったままでいる。 彼から聞いて意識するようになったのか、 もともと以前よりそうは思っていたが表出してこなかったのか、 それももう忘れてしまったし、 そもそもどうで
昨日、眠い目を擦りながら、 足を引き摺り歩いていると、 玄関の外で何かほわーっと光っているのを見つけた。 まさかとは思ったけれど、 夜中でなければ外に出られるような恰好ではなかったのだけれど、 やっぱり確かめたくて玄関の扉の外へ出た。 やっぱり蛍だった。 この街に移り住んで初めてのことだったと思う。 いや、前にもこんなことがあったような気もする。 もはや記憶は定かではない。 でもただただそのことが嬉しかった。 僕の気持ちなんて単純なものなんだ。 でも都
春はいつでもどこでも眠い。 すぐにぽかぽかしてしまうので仕方がないのか。 いっぱい寝たって眠いし、全然寝ていないともちろん眠いのだ。 眠れないのも嫌だけれど、 すぐに眠くなってしまうのも困ったものである。 睡眠というのもまたコントロールしづらいものである。 思い通りにならないから世の中って面白いのか。 なんでも思い通りになったらもっともっとこの世界が面白くなるのか。 どうなったって自分のことだからまだ見ぬ世界を求めてしまうのだろう。 そろそろ自分のことについ
ずっと思っていることがある。 歌詞の世界に入り込んで自分なりの答えを出してみたい。 何が合っていて、何が間違っているということはないのだろうけど、 あれはきっとそういうことだろうと 自分の中で納得したいだけ。 僕はその意味について、普段は深く考えたりはしない。 どちらかというと響きによって感じ取る方だ。 だからあまりその言葉の意味について悩んだり、 ああだこうだと議論したりはしない。 しないのだけれどやってみたい、スピッツの歌詞に関しては。
日に日にあたたかくなってきている。 身体も気持ちもついつい緩んでしまう。 でも春は花粉症がつらい。 特に鼻がひどい。夜になると鼻からの呼吸器官を失う。 気道が完全にシャットダウンしてしまっている。 薬を処方してもらうと少しは違うのかもしれないが、 これもこの時代を生き抜くものの運命であると 自分の中に飲み込んでいるつもりではいるが、 春はパフォーマンスが絶対的に落ちている。 だからと言ってほかの季節がいいのかというとそうでもないのだけれど。 そろそろ土筆が
ありのままの自分を記録したい。 いいところも悪いところもうれしいことも悲しいことも。 今日起きた出来事を人はすぐに忘れてしまう。 大切な人との大切な思い出や、 絶対に忘れたくないと思った小さな感動さえも。 それがいいことに働くこともあり、悪い方向に向かうこともある。 僕はそれらをただありのまま記録したいと思う。 恥ずかしさや見栄や様々な感情が入り混じるけれども、 そんなことはもう捨て去って自分らしく生きていきたいなんて 思ってみたりする。 これは小さな決意