「自分」という「商品」は役に立っているか?
皆さんは自分のことを「商品」だと思ったことはあるでしょうか。
「あなたは商品です」と言われると、何だかお店の棚に並べられた、無機質な「モノ」になってしまったようで、違和感を感じるでしょうか。
私が自分を「商品」だと意識するときは、自分の「市場価値」を考えるときです。
「市場価値」とは「世の中の役に立つ」程度でもあります。
自分の働きが世間の人の役に立って、その対価として報酬をいただく。
ごく当然のことですよね。
ここで、どうしたら「役に立つ」かの考え方が、自分(の働き)と商品で通じるところが多いのです。
提供するものは必要とされているか
商品の世界、例えば工業製品では、今までになかった高性能や新機能を搭載したところで、それが世間で必要とされていないものであれば評価されず、売れません。
研究者や開発者は、自分が手掛けた技術への思い入れが強く(・・それ自体は悪いことではないのですが)、ときおり彼らの思いに任せてそれを製品化してしまい、結局売れなかったということが起きます。
これは、その技術が「必要とされているか」という視点が抜けていたからです。
「商品」である自分自身を考えるときも同様です。
あなたが、「好きなこと」「得意なこと」は、続けていくうえで大切なことですが、それが必要とされていないことであれば、あなたを評価して採用してくれる人はいません。
「好きなこと」「得意なこと」は、自分のことだけに思い入れが強いために、世間がそれを必要としてくれるか、という視点が弱くなりがちです。
あなたが「好きなこと」「得意なこと」の中に世の中が必要としてくれるものがあるかを冷静に見極める目を持つことが大切です。
また、もし「好きなこと」「得意なこと」への必要性が、プラスアルファの知識やスキルを加えることで、より高まると思ったら、それを自分の「オプション」として身に着けたらよいのです。最近流行りの「リスキリング」もそう考えて選べば、その効果はより高くなると思います。
ところで、商品を「必要とされている」ようにするために、「必要とする世の中を作ってしまう」という「荒業」もあります。
発明王エジソンは、パンを焼くトースターを発明した人でもあります。
彼は、発明したトースターを売るがために、自分の発言力をバックに「一日3食、食べるのが健康に良い」とキャンペーンを張りました。
そうして、それまで一日2食があたり前だった人々に、朝食を食べるという生活習慣を植え付けたのです。
まさに「荒業」です💦。
もちろんこれが一夜にしてできるのは、世の中を変えてしまうほどの影響力を持った、ごく限られた人たちなので、その他大勢のわたしたちは、最初に書いた方法でやっていくことをまず考えましょう(笑)
提供するものは知られているか
「世の中に必要とされる商品」があったとしても、世の中に知られていなければ必要とする人に届かず、売れることもありません。
世の中に知られるために、「アピール」も必要です。
対象が商品であれば、この考え方はすんなり受け入れられるでしょう。
ですが、対象が自分となると、気が引けてしまう日本人は多いと思います。
「出る杭は打たれる」
集団の中で自己主張は控えて場を乱さないようにする習慣が身に付いているのが我々日本人。
私の中にもそういう部分は存在しています。それが皆のベクトルを合わせ易くし、集団の力を発揮しやすいというメリットも確かにあります。
ですが、自分は「知られていなければ必要にもされない」存在であるのですから、やはり自分が出した成果や提供できることは正しく知らせていくべきだと思います。
そうすることで、世の中に対して、「ここにあなたが必要とする人がいますよ」と知らせることができ、あなたが「役に立つ」機会が増えることになります。
もちろん、自分ができる以上のことを「誇大広告」してはいけません。お客様である世間の人は、最初は飛びついてくれるかもしれませんが、すぐに化けの皮が剥がれてしまいます。あくまで、等身大の自分をアピールするべきです。
提供するものを磨き続けているか
先日、日経新聞のスポーツ欄にある三浦知良氏の連載コラム「サッカー人として」の記事で、カズさんは
『自分は「カズ」という商品を運営する事業者だと思っている。』
と書いてらっしゃいました。(『 「カズ」であり続けたい』2024年6月21日、日経新聞)
私は思わず「その通り!」と強く同意しました。
続く文章を要約すると
『商品として人々の目に付くのは氷山の一角であって、表に見えづらい部分で自分は多大な労力を払ってたゆまぬ準備や、努力をしている。
自分はよく人から「変わりませんね」と言われるが、自分が今の年齢(カズさんは今57歳)まで昔と変わらずにいられるのは、年齢に合わせ変えるべきものをうまく変えられているから「変わらない」でいられる。』
というものでした。
自分という商品は磨き続けることで、価値を維持し、さらに高めることもできます。
会社勤めでも「商品」意識を持つ
私が『自分はひとつの「商品」なんだなあ』、と意識したのは30歳ごろのこと。
すでに企業で設計者として働き、何年かたっていたときです。
それからは、自分の成果や、自分ができること、やりたいことを、飾り立てることなくアピールすること(当時は何が必要とされることかはわかっていなかったので、とりあえず対象を絞り込まずに発信していました)、自分の技術や知識・スキルを磨くことをしてきました。
振り返ると、そのことにより、自分を必要とする人が常に現れ、自分も期待に応えていくうちにレベルアップでき、評価も上がっていったと思えます。
それも自分の「やりたいこと」「できること」がベースでしたし、必要に応じて「オプション」の引き出しも増えたので、「できること」が広がり、ひいては「やりたいこと」の幅にも好影響しました。
同僚に「いつも楽しそうに仕事をしているね」と言われたことも何度かあるので、充実しているところが滲み出ていたのでしょう。
企業に勤めていると、言い方は悪いですが「そこに居る」だけで給料はもらえます。
ただ、20代から60代までの時間の3分の1は仕事をしているのです。
その時間を「そこに居る」ためだけに費やすのは人生の大きなムダだと思います。
だからこそ、自分という「商品」を磨き、プロモートすることで、役立ち続ける。そうすることで、より充実感をもって人生を過ごせるのではないでしょうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。