タンマリ@マレーシアのド田舎で華人の嫁になった(日本語教師)
マレーシア華人家族のリアルな食日記です。
3人の小さい子供たちとマレーシアに来て早4年。 私がずーっと悩んできたことそれは、 「どうやって子供たちの遊び場を手に入れるか」。 【外国人嫁/夫不在/子供3人/超田舎在住】 こんなハンデを持った私が、子供たちを安全安心して遊ばせることができる場所を探すのは本当に大変でした。 そして、これにはマレーシアという国のライフスタイルも大きく関わっています。前提としてマレーシアには安全な無料の子供の遊び場はありません。日本で当たり前に手に入るインフラ(子供が安全に遊べる場
※この記事はマレーシアごはん会の連載「タンマリのマレーシア家族ごはん」からの転載です。https://malaysianfood.org/ 31th May. 2020 Lunch : バナナリーフカレー banana leaf curry/ Place : インド人街のカレー店 今日は日曜日なのでダーリンと長女、次女の4人で久しぶりのお出かけ。わが家から車で30分ほどの町、クランに来た。ちなみに今はMCO(新型コロナの影響下による行動制限令)中で、車の乗車可能な人数が
今日はマレーシアで2年間子育てをしてきた私が、イジメ問題について1つの新説を見つけたので短く紹介します。 よく旦那さんに「マレーシア華人小学校ではイジメがほとんどない!なぜ日本の小学校はそんなにイジメが多いのか?」と質問のようなマレーシア自慢をされる。そこで、私は「ええーっと日本はムラ社会で同調圧力があー」などと生ぬるい返事をして自信をなくしていたのだが、今日大きな事実に気がついた。 「マレーシアの小学校には友達をイジメる時間がそもそもない!」 説明しよう!! マレーシ
今日はRonny chiengの小学生時代を参考に、マレーシアからシンガポールに通学する子供達の話を短く紹介します。 先日、私のRonny chiengへの恋について書きましたが、正直・・・全然!!足りてない!彼への愛が全く伝わっていない!というのにモヤモヤしておりました。そこでまた今回もロニーのことを書きたいと思います。 Ronny Chieng(Malaysian comedian)(Chinese: 錢信伊)Wikipedia https://en.wikipe
日本を出て二年。毎日立ちはだかる言葉の壁!そんな中で私が見つけた語学学習で一番の近道についてお話しします。 私はマレーシアに住んでいる。普段使う母語の日本語を除いた優先言語は①英語②中国語③マレー語。その中でも英語はやはり格段に必要。なんせ、中国語とマレー語ができなくても英語さえなんとかなればマレーシアでは意思の疎通や、仕事は成り立つからだ。 けれど!!私は英語ができないのである!そりゃあ、日常会話なら死なない程度にはなんとかなってる。「お腹空いた」とか「あれ安い」と
ここ数年、早起きがどうしようもなく好き。 朝の風は冷たくて好き、1日を有意義に使えるから好きとか色々な理由があるけど。 最近、気がついたのは「早起きの明かり」が好きだということ。 「誰かが早く起きて何かを始めている明かり」はとても勇気づけられる。誰かのコツコツを見せてもらっているみたいで、人間捨てたもんじゃないなあと思う。 そして、少しだけ早起きできた自分も捨てたもんじゃ無いなと毎朝、少し褒めてあげる。 おはよう! 今日も暑くなるけど、頑張るね。
これは今日の午前7時、登校前のマレーシアの空。 長女が私に言った。 「この雲はいっちゃんへのプレゼントかな」 「『いっちゃん頑張って』ってお空さんが言ってくれてるのかな」 今朝はドラマティックで感動的だった。 長女の小学校が約4カ月の休業を終え、今日再開したのだ。 私は一週間前ぐらいから、ずーっとソワソワとしていた。 長女8歳は元来、新しい環境に馴染むのに時間がかかる人で、コロナ前の学校でも新しいクラブ活動や、イベントがある度に半泣きになる。 「怖いよ~。いっちゃんできるの
2年間暮らした、私のマレーシア人への総評。 「優しい、生きる力がある、柔軟、家族想い、けど個性が浅い」 すごく素敵なのに、なんで私は彼らを「個性が浅く」に感じないのかずーーっと疑問があった。 けど、今朝の精華大学学長のウスビ・サコのコラムを読んですごく腑に落ちた。 『アフリカ出身・京都精華大サコ学長 「学校に期待しすぎる日本人」への疑問』https://dot.asahi.com/dot/2020071700037.htmlfbclid マレーシア人(華人限定かも)が個性
「成長期の子供は陰気に偏りやすい」 養生学の勉強をしている友達が前に言ってた。 最近、この言葉を本当にそうかもなあ~って思う。 今朝も次女(5)のギャーギャーでグッタリ疲れた・・・。いつも何かが気に食わず、情緒的で、すぐにグズグズと泣くスーパー陰気ガール。けど、振り返ると次女は一年程前、家族の中で一番カラッと陽気な人だった。 そういえば長女(8)2年前までとんでもない陰気女子だった。マレーシア移住前からそんな感じで、この子は一生メソメソしてるのかも嫌だなあ、こんな陰気な
昨日の夜、大学時代の友達と電話で話していたら 「自分のコンフォートゾーンを抜け出して戦っている戦友として勇気がでた」と最後に言わてすごく嬉かった。 けど、”コンフォートゾーン”の意味がよく分かってなかったので後からググった(笑)。 そうか私はコンフォートゾーンを抜け出したのか。 2年前マレーシアに来るまで高校卒業してからずーっと、京都に18年間住んでいた。京都生まれでもないけど、私の馴染みっぷりは本当にすごくて、民生委員のおじさん家でコタツみかんしたり、大文字山