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「政治を身近にするこども哲学」改め、「こども・若者のための哲学対話」開催報告

11月3日、福岡市立中央児童館「あいくる」にて、「こども・若者のための哲学対話」の1回目を地域のこどもたちとともに実施しました。今回のテーマは「選挙」でした。

参加者構成
年長児1名、小学5年生2名、高校2年生1名、保護者2名、そして主催者2名の計8名が参加しました。
小学5年生と高校2年生は、この哲学対話に何度も参加してくれているリピーターであり、活動内容を理解したうえで参加してくれています。一方、年長児1名と保護者1名は今回が初参加となりました。

年長児の様子
初参加の年長児は、ホワイトボードへのお絵描きに夢中でした。また、話しかけると進行をわざと遮るような仕草を見せたり、落ち着かずバタバタと動き回ったりしていました。しかし、このような行動を通じて、自分なりに全身を使って対話の場に参加しようとしている姿に感動さえしていました。


場の雰囲気作り

しかし私には、年長児のしぐさや態度から、これまでにこの参加児が(おそらく園や習い事やこどもの社会で)このような行動を認められず、たくさん叱られる経験をしてきたことが想像できました。そこで、本人に聞こえるように、あえてこう伝えておきました。「しほさん(私)は、バタバタしてもうるさくても、お絵描きしてても、ウエルカムですよーーー!」と。

同時に、他の参加者(特に保護者)に対しても、この子は今このようなスタイルで「参加している」ことを伝えました。

年長児と高2生。偶然にも同じ名前の二人

今回のテーマは「選挙」

選挙権のないこどもや若者にとって、「選挙」というテーマは実感が湧きにくいかもしれません。そこで、「参加する」という行動を切り口に考えることにしました。この日は、政治学者の大賀哲さんが、保育園・幼稚園や学校でのこどもたちにありがちなさまざまなシチュエーションを取り上げ、「これは参加してる?」と問いかけてくれました。

Q. 参加するってどういうことだろう?

この問いを軸に議論を進めると、次のような意見が出てきました。

  • 授業中にきちんと座って先生の話を聞いていない場合
     → 自分では「参加していない」と思っていても、先生から見れば「参加している」ように見えるかもしれない。

  • 授業中に隠れて漫画を読んでいる場合
     → 自分では「授業に参加している」と感じていても、先生からは「参加していない」と判断されるかもしれない。

こうした視点から、参加者たちは「『参加』には濃淡があるのではないか?」という新たな問いを立てました。その流れで、大賀さんは「参加」と「参画」の違いについて、ある外国の研究理論をもとに説明を加えてくれました。

すると、小学生がすかさず「『参画』ってなんですか?」と大賀さんに質問。
さらに年長児が「ぼくも聞いたことありません!」と、元気よく声を上げます。
それまでは、話しかけると「ぼくは聞いてません!」と、ちゃんと聞いているからこその応答をしてくれていた年長児が積極的にこちらを向いて発言をするようになりました。この反応に場がさらにほぐれ、こどもたち自身の疑問や関心を出発点に対話が深まりました。
Q、そもそも参加を決めるのは「わたし」なのか?
という問いも小学生から立てられ学校生活の中での様々な参加について「あれ?」「おや?」みたいなことがどんどん出されていきました。

お開きになった後の余談。(わたしはこれが一番大事だと思っていますが)
会場を片付けていると年長児さんからしきりに「後で一緒にしゃべる?後で一緒にご飯食べようか?」とお誘いを受けました。
主催者同士で次回について話していると、それを聞いていた年長児から
「ぼく、次も来ていいの?」と質問を受けました。
「もちろんだよ!!!」と私がいうとその年長児は私の目を見て微笑んでくれました。次回は12月26日、テーマは「国際協力」です。

★お申し込みはこちら
https://ccpc241226.peatix.com/view


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