【米国教育レポート】「つながりで学ぶ」を探究するコネクテッド・ラーニングサミット
「学校が地域や社会とつながることが大事だよね」「多様な人とつながって、学びをつくっていかないと」。教育に関心がある人なら、そんな風に聞いたことがあると思います。
では、「つながりで学ぶ」に、米国ではどのように取り組んでいるのでしょう。日本の学びの環境にも活かせそうなヒントはあるでしょうか。
2019年10月2−5日にカリフォルニア大学アーバイン校で開催されたコネクテッド・ラーニングサミットに参加してのレポートを、Qコントリビューター・一般社団法人こたえのない学校代表理事の藤原さとさんがお届けします。
1.「コネクテッド・ラーニング」とは何か?
コネクテッド・ラーニングサミットは、もともと2005年に Digital Media and Learning Initiativeという「デジタルメディアがどのようにして若い世代のコミュニケーションや学び、遊びに影響するか」をリサーチするマッカーサー基金による約50億円($50Mil)の研究から始まりました。
初期メンバーは南カリフォルニア大学ヘンリー・ジェンキンズ教授、ノースウエスタン大学学習科学ニコール・ピンカード准教授、カリフォルニア大学アーバイン校情報学部のミズコ・イトウ教授らです。
もともとは大学の研究から始まった活動ですが、このテーマならではの必然で、学校の外に出て、地域の人たち、リソース、教師、学生、保護者、メディアなどに積極的につながっていくところがこのサミットの特徴です。いわば、社会に開かれた「学会」のようなイメージでしょうか。参加していた感覚だと、大学関係者と、教育者(教師・民間教育・教育系NPO)、学生、地域活動者などがバランスよく参加していたように感じます。
では、「コネクテッド・ラーニング」とは何か。上の図は、「興味関心の芽生え」「関係性の中での相互の学び合い」「実際に学びを社会で実践してみる機会」を指しており、この3つが重なり合う場所を彼らはコネクテッド・ラーニングと定義しています。「学習機会は学校に限定されるものではなく、さまざまな生活の場所(学校、家、コミュニティ)に学びの機会があり、それを繋げて学んでいく」という考え方のもと、この3つの円の重なるところをできるだけ大きくし、学びの場を広げていくことを目指しています。
わかりやすいコネクテッド・ラーニングの例としては、シカゴ公立図書館に作られたYOUmediaがあります。これは、放課後に気軽に立ち寄り、本だけでなくコンピュータを活用できる、ティーン向けのラーニングラボです。メンターや、シカゴ市内の美術館や博物館などの施設とつながり、デジタルアートや科学技術・美術を学ぶことができます。教育格差を軽減するために始まったYOUmediaの取り組みは、現在21の地域で開催されています。
また、コネクテッドには2つの意味合いがあります。1つは、前述したとおり「多様な人たちとどう繋がり、学びを深めるか」。これは、経済的な格差をどう軽減していくかや、公正と正義をどう実現していくかなど、社会的包摂の視点も含んでいます。そして、その目的のために「オンラインやデジタルメディアでどうつながるか」ということを考えていきます。
日本では「公正と正義の実現」と言われても、すぐにはピンとこないかもしれません。この記事では、まず「オンラインでのつながり」について、具体的な例を交えながら紹介します。
2.スローなゲームがコネクテッドの感覚を呼び戻す
まずは「オンラインでのつながり」についてですが、個人的にとても刺激を受けたのが、「社会の加速化に逆らい、あえてスローにする取り組み」でした。
3日目に発表した南カリフォルニア大学トレーシ・フラートン教授は、数々の賞をとったゲームデザイナーで、もともとゲーム制作会社の社長です。2014年から南カリフォルニア大学で、USCゲームディレクターとして教育に関わっています。
その彼女が取り組んだのがなんとヘンリー・デイヴィッド・ソローによる「ウォールデン 森の生活」のゲーム化。ソローはアメリカの作家・思想家ですが、ウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て、自給自足の生活を営みました。そんなスローな隠遁生活をゲームにしようとしたのです。
彼女は、ゲームの世界がどんどん加速化し、人間の思考のリズムと合わなくなっていることにもう何年も疑問を持っていました。息をつく間も無く、次から次に畳みかけるようにリアクションを求められ、「勝つ」ということに焦点が定まっているゲーム。
本来、人はもっとゆっくり時間をかけて何かに触れ、内省に基づく意味の構成をするはずなのに、ゲームではそういったことがむしろ妨げられてしまっている、と感じていました。終わりのないスピードアップの時代がいつしか人とのつながりを断ち、移民問題、環境問題など社会正義の限界をあらわしている、こんな時だからこそソローから私たちは多くを学べるはずだと語りました。
このゲームにはシンプルな勝ち負けはなく、どれだけ自分が想像の世界を探索できたか、また自然を愛する人にどれだけなれるかというような価値観に基づく旅が続けられます。社会的情動的効果も認められ、アメリカの学習スタンダードにも応じ、学校で使いやすいものになっているとのこと。ゲームの評判もとてもいいそうです。
3. 健全なオンライン世界の構築のために大人ができることは?
また、本研究のコアメンバーである文化人類学者のミズコ・イトウは、あるセッションでこんな話をしていました。
「インターネット上で多様な意見やバックグラウンドの人々と関わりをもつ現在、私たち親や教育者の役目は、ネットに繋ぐことを制限したり、ルールを押し付けるのではなく、子どもたちと一緒にその環境に身をおいて彼らをナビゲートしていく必要があるのではないか。
例えばオフラインの生活では、バドミントンをやりたい子どもがいたら、安全に練習できる環境を用意します。オンラインでも同様の環境を作ることが私たち大人の役目でしょう。学校の教員・保護者や地域が共同して、子どもが自分たちでやりたいことを見つけ、選んでいけるような安全な場所を、オンラインでも確保していくべきだと思います」
日本でもすでに、Minecraftなどのオンラインゲームや、YouTubeなどのオンラインサービスから、自分たちの力で学んでいる子どもはたくさんいます。良くも悪くも、彼らが大人になる社会はますますオンラインとオフラインの境界が消えていくことになります。
だからこそ、子どもと大人が分断(Disconnect)してはいけない、地域社会や保護者、教育者も一緒にオンラインの世界に入っていかなければならない。単なる子どものためのオンラインの環境を与えるのではなく、オンラインの環境が多様であることが重要で、一緒に協働していかなければならないというメッセージかと思います。
そんな時代に向けて、まず私たち大人自身もオンライン環境の中で、彼らと共に過ごす時間を作っていくことからはじめる。その中で、子どもたちを見守りながらも時には適切な提案をし、成長の機会を作っていくことで、より健全なオンライン環境を実現するという前向きな考え方がアメリカではされているようです。
4.公正と正義のために“つながる”
コネクテッド・ラーニングでは、オンラインでのつながり方はあくまでも手段と捉えており、「人種や性別、収入格差にかかわらず、全ての若い世代に均等な機会を与え、公正な社会を実現する」ことをとても大事にしています。
シンポジウムでも、“公正(Equity)””正義(Justice)”社会関係資本(SocialCapital)”という言葉が極めて多く使われていたのが特徴的でした。例えば、初日の基調講演では初期からこの取り組みに関わっているヘンリー・ジェンキンス教授が、若手の社会活動家2名とやりとりすることから始まりました。
一人はジェシカ・リーストラさんという大学生。2018年にフロリダ州の高校で17人が亡くなった銃撃事件のあと、「March for Our Lives」という銃による暴力を止めるための数百万人以上のデモを率いました。ジェシカさんは、「アクティビズムとは自分がコミュニティから受けた恩恵を還元していくこと」「しかし私たちはまだ子ども。ソーシャルネットワークから受けるヘイトや脅迫については大人も守ってほしい」などと語りました。
もう一人は、ジャスティン・スコットさん。2015年に黒人のフレディ・グレイさんが警察に不当に暴力を振るわれ、死亡した事件をきっかけに、ロサンジェルスで黒人・イスラム教信者などが不当に逮捕されてしまう現状を改善するためのStudent Deserveのリーダーをしています。「アクティビズムとは、自分をよく知ることであり、コミュニティとつながり人を愛すること」「若い人がSNSを利用して活動を行う時には自分のことだけ考えて投稿するのではなく、課題に対して真摯であること」と話しました。
二人ともとても若いにも関わらず、現状を否定したり、相手を非難することなく、力強く美しい言葉で語るのが印象的でした。この日はたまたまガンジー生誕150記念日の翌日。こうやって変化する環境の中でもデモはなくならない一方で、このようにソーシャルメディアも駆使しながら立ち上がる子どもたちがいるのだと強く再認識させられるスタートとなりました。(写真左がジャスティン君、中:ジェンキンス教授 右:ジェシカさん)
2日目の基調講演も社会正義に関するものでした。講演者はイブ・ユーイングで、作家・詩人であり、社会福祉学者です。彼女が研究したのは、シカゴで起きた人種差別に基づく学校閉鎖のような社会問題。「若い人たちがソーシャルネットワークを含めた新しい情報流通を利用して、それを広く知らしめることが大切」「1860年の人種隔離が当たり前だった公教育からこれだけの変化が起きているのは、誰かが活動したから。皆もポジティブに想像してアクションしてほしい」と訴えました。
その他、「コミュニティーのリソースをどのようにつなげて新しい価値を生むか」「ヒスパニックなどのマイノリティ家庭が学校外学習リソースにどのようにアクセスしたら良いか」「貧困家庭における母親の子どもに対するデジタルリソースを使った教育支援」「コミュニティの構造変化や社会資本にどのようにデジタル技術が寄与できるか」「デジタルメディアに触れることで子どもが逆に保守に触れる場合の対処法」などの研究が発表されました。
社会的な意義を持って、「どのように子どもたち、親、学校、コミュニティが変容し、つながっていくのか」というテーマが多く見られました。データによる定量分析も多いですが、エスノグラフィー調査で日常的な行動様式や会話を丁寧に記述し、何が現場で起きているのかを追っていくことで解決策を見出そうという質的な試みも多かったです。
5.つながってみると、悩みや葛藤は共通
このサミットでは、イベントの構成や運営そのものにも“つながり”が意識されていました。
複数のプレイヤーによる共同ワークショップ
例えば、ワークショップも単体のものだけではなく、コラボレーションによるものがありました。マサチューセッツ工科大学のメディアラボで子ども向けプログラミングコミュニテイを運営するスクラッチチームと、イタリアのレッジョ・エミリアという幼児教育で美術・音楽の専門家として子どもたちの創作活動を手伝うアトリエスタ、サンフランシスコにある科学・芸術・知覚を統合した公立のラボであるExploratoriumの学芸員が一堂に会し、ワークショップを行いました。
結果は歴然!ワークショップスペースがあっという間に美術館のようなアート空間になりました。(共同代表理事を務める一般社団法人SOLLAで8月に実施した研修の時に講師をしてくれたMIT Media Lab のYumiko, Eric, Lily にも会えました)
利害を超えて集まって話すセッション
「子ども向けのオンラインプラットフォームを大きく広げる(スケール)させるためにはどうしたら良いか?」というような演題のシンポジウムでは、大手のオンラインサービスが一堂に会しました。例えば、全米の小学校の3分の1に導入されているブレインポップというイーラーニングサービス、全世界で4300万人が登録しているプログラミングコミュニティのスクラッチ、1億人のアクティブユーザーがいて、ユーザーが独自のゲームを開発して、他のユーザーが作成したゲームを楽しむことができるロブロックスなど。通常は競合するこうしたサービスの担当者が一堂に会してこのような話題で話し合う場は少ないと思いますが、やはりこれも”つながる“の効用でしょうか。
参加者同士の間の距離が近い
また、大型のイベントと比べて、参加者との距離が近いです。“つながる”がテーマなだけあり、ワークショップに参加して同じグループになれば、初めて会った人でもランチを一緒に食べたりするような柔らかい雰囲気でした。プレカンファレンスでは教師教育においてどのように“コネクテッド・ラーニング”を実現するかというセッションがあったのですが、ホストのイリノイ大学シカゴ校准教授のKira先生は、「コネクテッドラーナーを真正性を損なわずにいかに増やせるか」「公正(Equity)と正義(Justice)はいかにして実現できるのだろうか」などの問いを投げかけ、数名で2時間ほどじっくり話し合うことができました。
研究発表に於いてはデータを表示し、自信たっぷりに発表している先生でも、インフォーマルなディスカッションの場では、いろいろな葛藤があることを告白してくれます。
上述の教師教育のディスカッションで一緒に話したイリノイ大学のKira先生も、自分たちの作り上げてきたデザインを広げることを優先して、スケールを目指すと途端に実践の劣化と真正な学びが失われることをとても心配していました。
また、マサチューセッツ工科大学リサーチサイエンティストのDanも、公立の学校改革が難しいからといって、学校外の場、例えばオルタナティブスクールやホームスクールで革新的な取り組みをしたところで社会的に弱い立場にある子たちにはそうした学びが届かないという悩みを持っていました。
研究者による発表でもデジタルネットワークだけでは貧困・マイノリティ層には充分にサービスが届かないという声があちらこちらで聞かれました。一見、テクノロジーと新自由主義的な考え方で突っ走っているように見えるアメリカですが、現場で抱える悩みは日本とも共通のようです。
ミクロでの変容をいかにして、社会構造変化につなげるのか。そこに社会正義はどのように実現されるのか。それは彼らにとっての問いであるのと同様に、私たちの問いにもなります。一緒に考えていけたらと思います。
(執筆:藤原さと、編集:岸本高由、田村真菜)