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#2 アクティブラーニング

こんばんは。探究baseの川崎(通称:かわやん)です。
昨日、#1を書かせていただいたのですが、お読みいただいた方はいらっしゃるでしょうか?色々あって今フリーランスとして動こうとしている自分のことを少し書かせていただきましたので、興味のある方はご覧ください。

改めまして、本日もこの記事に辿り着き、リンクをクリックしてくださった方、どうもありがとうございます。

今日から「#2」「#3」「#4」の3つの記事を書いていこうと思うのですが、普通の教員をしていた私が『なぜ、授業方法を改めなければならない』と感じたのか?ということを中心に書いています。
「#2」については、今から10年も前の話になるので、読まれた方の中に「いまさら、何を当たり前のこと書いてるんだ?」と感じられる方もいられるかもしれません。でも、10年前の北海道の自分が認知している範囲内で、これを真剣に実践しよう!と考えている先生とほぼ出会うことがありませんでした。全体の雰囲気が変わるにはたくさんの時間と労力がかかりますが、今すぐに変えられるのは自分だけです。


『アクティブ』な授業

"アクティブ"という言葉から、「活動的」とか「動きが伴う」ということを連想される方は多いのではないでしょうか。子ども授業参観で、「シーン」としている教室を見させられているよりも、「活気」がある教室の方が見ていて楽しいみたいなイメージでしょうか。
私自身、教員が一方的に喋る授業にはしたくない、ということを念頭に授業づくりをしていましたが、なかなか学習者の学びに対する声を拾うことは難しく、きっと当時の他の先生からも「ちゃんと授業やったほうがいいんじゃないの」という、声にはならないメッセージを受けとり続けていました。
そんなことをやり続けているうちに、「まーた、なんかやってるね」という周囲の先生方からの視線に変わっていったような気がしています。

で、次に気にしなければならなくなったことは、「活動あって学びなし」の状態を生み出さないようにしなきゃね、という有識者の方々が発するメッセージでした。
改めて思い返してみると、そうゆう場面は結構多かったなぁ。。。と。
そのタイミングからようやく「アクティブラーニング」についてのインプットをたくさんし始めた記憶があります。

今からちょうど10年前の北海道高等学校教育研究会の全体講演で溝上慎一先生がお話しされたことが、ものすごく頭に残っています。

本との対話ですらも、アクティブラーニングになります

思考がオンになっている状態を"アクティブ"とした時に、一見表面的に見える活動ではない、もっと学習者の脳内深部で生じている思考がドライブしていることがアクティブラーニングであるということを、おっしゃられていたのだと認識しています。

正直なところ、「ぶっちゃけなんでもありだ!」と感じた記憶があるとともに、ノートを丁寧に書いてるとか、積極的に挙手や発言するとか、1問1答のテストで高い点数をとるとか、明らかに誰が見てもわかるもの以外を知るために、どんな方法が良いだろう?ということを真剣に考え始めたのがこの時です。
大学で触れた「理科教育」に関する講義資料や自身の当時のアウトプットなどを眺めながら、(完全に把握することは無理だが)学習者の思考の状態を可視化できるのか!?みたいなことに必死になり始めていた当時のことでした。その流れで、「自分の授業ってなんだ。。。?」ということを考えながら、目の前の大学受験を控える生徒への塾的な指導を行う、なんともモヤモヤした時間を過ごしていた当時です。

時代が少しずつ進んで、今では非認知能力をどのように見とるか?みたいなことも教育トレンドの中には組み込まれているかと思います。
でも、でも、やっぱり、実態として、まだまだ変わらない現場があります。
みんなの前で発表できた方が良いし、手も上げられた方が良いし、テストの点数は高い方が良いし、先生の板書をしっかりと写せたノートの方が良いだろうし、学校には元気に遅刻しないで通った方が良いだろうし。などなど。

2025年になって、明らかに読みきれないほどの本を購入して、積読がどんどんどんどん溜まっていきます。
現在、テレワーク中心の私ですが、本との対話を通して脳をアクティブにするトレーニングは欠かさないようにしたいですね。


◻︎参考図書


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