褐色細胞腫闘病記 第2回「祭りはあとからやってくる」

私の家系は低血圧。
揃いもそろってみんな上が80~90下が60~70くらい。当然朝が弱い。みんな弱い。母も毎朝機嫌が悪いし私も遅刻気味。父は昼から元気が出て妹は午前中は無口で地蔵だ。

その中でもとりわけ血圧が低いのが私だった。
自慢ではないが私は幼少時から病弱だった。小児リウマチ熱、小児肺炎、ストロフェルスに慢性便秘に慢性胃炎に頭痛持ちに肩こり。なんだかんだでいつも学校を休み、寝ていることが多かった。
食べても食べても太れず、あだ名は「ガリ子」だった。中学の時初めて血圧を測ったら上が80しかなかった。そのうえ低体温で、なんだかいつも元気がない子供だった。

だから、私の家にある血圧計で上が110という数字が表示されるのは珍しく、しかし、そんなことにも慣れてしまい、みんながみんな「そんなもの」だと思っていた。
そしてみんな己の低血圧自慢のために競って血圧を測るようなところがあったバカみたいな家族である。でも、のちのちこのおバカな習慣が私を救うことになるのだが。

毎日なんだかわからない異様な暑さと動悸とめまいに悩まされていた私は、いつものように何気なく血圧計を引き寄せた。
「あ、お姉ちゃん、次は私に測らせてね」妹が言う。
テレビでは明石家さんまが唾を飛ばしながら「なんでやねん!」とツッコんでいる。私はさんまを見て笑いながら血圧を測る。
ブーーーッ…私の左腕に圧がかかる。

  【156-130】

・・・は? 
ついに壊れたか、この血圧計。もう一度もう一度。
ブーーーッ・・・【160-138】

「なんでやねん!」さんまバリのツッコミがつい口を衝いて出る。
「お姉ちゃん、なに血圧計と漫才してるの?」妹が話しかける。
「これ、壊れてるわ。ま、もう年季入ってるしね」
「え、そう?」そう言って妹が測定を始める。
 【98-78】・・・妹のいつもの血圧だ。
あれ? なんなんださっきの私の数値は。
「さっき160超えたんだけどなんでかな」
「たまたまじゃない?  お姉ちゃんの測り方が良くなかったとか」
「ま、そうかもね」

そう、ここでもう少し血圧計の値に「なんでやねん!」を言い続けていたら、私は後々1年半も苦しまなくて済んだのかもしれないのだが、あとの祭りである。

私は幼少時からひどい頭痛持ちだった。
だが、この数カ月、毎日毎日頭が痛かった。連日痛いとか、そんなことはさすがに一度もなかったのだが、頭痛に慣れきっていた私は、こんなことは大したことはないとタカをくくり、誰にも相談しようとせず、鎮痛剤で毎日をごまかしていた。

そして季節は春。
私は32歳になっていた。彼氏とドライブをしていたら、唐突に後ろから頭を殴られる。なにすんだよと横を見ると、彼の顔がひどく歪んで見える。
あ、あれ?
その直後、今度は頭上にハンマーが下ろされる。ひでえな。とんだDV彼氏だ。こんな男だとは思わなかった。それにしても痛い。ああ、なんだこの痛みは。

いや、違う、これは殴られているんじゃなかったんだと気づいたのは彼の「おい、大丈夫か?」の言葉で目覚めたときだった。
私は、病院にいた。
「急に頭抱えて気を失ったんだよ。覚えてない?」
全く覚えていない。
「今度脳の検査をしたほうがいいだろうって医者が言ってたよ」
えええ、そんな大げさな。でも、なんであんなに頭が痛かったんだろうと不安になる。
「何か飲む? コーヒーでいい?」
コーヒーが大好きな私はいつもならすぐに頷くのに、どうしてもコーヒーを受けつけない気分だ。
「水でいい。お水がほしい」
ペットボトルの水を受け取る。口に持っていこうとするが、手が震えて飲めない。こんなことは初めてだ。
ブルブルブルブル。どうやっても手の震顫を止められない。
「アル中かな」冗談で言った言葉が宙に浮く。

私は、いったいどうしちゃったんだろう。
こんなに頭が痛くて手が震えるなんて、きっと脳に大きな腫瘍でもできているに違いない。私はすぐに脳神経外科に予約を取った。




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